NATROM氏と話をして、やはり統合医療への道は遠いのだな、と感じざるを得ませんでした。
「幸せなお産」の件に関しては、予想通りと言うべきか問題の「出産後死亡」の件で帝王切開の方が良かった、その医学的根拠などと言ったリプライをいただきました。
その点に関して私が異論を持っていないと言うことについても、Twitterをごらんになった方ならご存じの通りです。
8人に1人が死産というのは、私が千分率を百分率と間違えてしまったために起きたミスであって、本当は80人に1人です(ここ数年の平均で行けば、です)。元々私は「死産や出産後死亡」が普通にある、と言っていたのですから、死産と出産後死亡を混ぜています。そして、この数字は十分「普通にある」と言って差し支えないレベルでしょう。
もちろん、私はこの手の統計数字を扱うのには慣れていません、山川という人から根拠を出せと執拗に迫られたので、やむを得ず出しただけですし、間違っているなら訂正してくれればいい話なのです。
というか、医師ならその程度の数字は最初から出すのが筋でしょう。でなければ、横レスなどしなければいいことです。
考えても見てください。80人に一人が死産と言うことは、今新生児は1分に2人生まれているんでしたっけ?(ちゃんと調べてないのでつっこまないでください)つまり30秒に1人生まれているわけですから、80x30=2400秒=40分に1人は死産という計算になります。日本のどこかの「近代医療」の病院で、一日あたり何十例と「死産」があるわけで、これは「普通」でしょう。
さて、その「普通」にある「近代医療」の病院における死産を、ことさらセンセーショナルに、「近代医療の暗部」とか言ってスクープすることも、それほど難しいことではないでしょうし、実際にそういう話も過去にニュースになったことがあります。
これを持って近代医療がどうこうとかマスコミがどうこうといったしょうもないインネンをつける気はなくて、NATROM氏の記事はそういうものに対する一種の「復讐」なんじゃないかと思うわけですね。つまり、本人はいたって論理的・科学的な批判と思っているようですが、実際には感情的なのではないかと思うわけです。
感情的な批判を私は否定するものではありませんが、論理的・科学的な論調で痛烈な批判を行うNATROM氏と、それに諸手を挙げて賛同する「信者」の方々に、私はNATROM氏が吉村医院に感じたであろうと同種の「気持ち悪さ」を感じてしまうのです。
そこには「なぜ代替医療がポジティブに報道されるのか」といったことに対する考察が、そっくり欠落しているのです。
しかし、どうやらあのやりとりで、近代医療と代替医療の間の溝は、私が思っているよりもずっと深くて暗いのだと言うことを思い知らされました。
私が一度世話になった整体師の方にも「連中とは絶対に関わるな」と言われていたのです。
実直な整体師の過去に何があったのか、私には知るよしもありません。しかし、今回のやりとりで何となく分かった気もします。
しかし、私はへそ曲がりですし、自分で確かめないとよく分からないという性分もあり、一度試してみることにしました。彼らが「自分自身の無意識的無謬性」を知る努力を、どれだけしているかと言うことをです。
結果としては、たぶん全くしていないと言うことが分かりました。
「無意識的な無謬性」に対して「それは間違い」と言いきるNATROM氏。しかし「吉村医院より近代医療の方がいい」。こういうのを無意識の無謬性というのであって、この文脈そのものが私から見れば矛盾しています。
しかし、それは無意識になるものですから、自覚するのはまだまだ難しいかもしれません。
やはり、統合医療への道のりはかなり長いのだと思わずにはいられませんでした。
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私の反論のどこが的外れであるのか、だいぶつさんは説明できますか。「だいぶつさんの推測が的外れである」ことについては、もしだいぶつさんがご理解できないのであれば、説明する用意はあります。
>> いいえ。「とくに酷い例であればRCTなんてしなくても医療ミスと判断することは可能である」と言うことです。
>上記は「恣意的」を言い換えたにすぎませんよね?
いいえ。かような質問をするということは、やはり、だいぶつさんは、「RCT」か「恣意的」かのどちらかしかないと誤解しているようです。血液型の確認を怠り血液型不適合輸血をしてしまった場合、普通は医療ミスだとみなされます。だいぶつさんは、「血液型を確認した群と、確認しなかった群の2群に分けたRCTをしない限り、医療ミスだという判断は恣意的である」とお考えになるのでしょうね。
>> ・医療ミスに対して医療裁判起こすような遺族に対して否定的な人が他にいるのですか?
>確認はしていませんが、少なくともワタミ事例に関しては否定的な意見が多数見られましたよ。
「ワタミ事例に関しては否定的な意見」はあったのでしょう。しかしそれは、「ワタミ事例は医療ミスではない」もしくは「ワタミ事例は医療ミスとは断定できない」にも関わらず医療裁判を起こしたことに否定的であっただけで、「医療ミスに対して医療裁判起こすような遺族」に否定的であったわけではないと思います。
・「ワタミ事例は医療ミスである」と認めて、なおかつ、「ワタミ事例に関して医療裁判起こした遺族に対して否定的な意見」を述べた人を一例でもいいから挙げてください。
NATROMさんの反論が的外れであることは理解しました。
> いいえ。「とくに酷い例であればRCTなんてしなくても医療ミスと判断することは可能である」と言うことです。
上記は「恣意的」を言い換えたにすぎませんよね?
> ・医療ミスに対して医療裁判起こすような遺族に対して否定的な人が他にいるのですか?
確認はしていませんが、少なくともワタミ事例に関しては否定的な意見が多数見られましたよ。
医療者側であろうとなかろうと、医療ミスを批判するのには関係者の心情にも配慮すべきですね。死産が「普通にある」かどうかは、吉村医院批判のポイントでないこと、ひいては「NATROM氏の記事はそういうものに対する一種の「復讐」なんじゃないか」というだいぶつさんの推測が的外れであることは、ご理解いただけましたでしょうか。
>では医療ミスの判断は恣意的になされると言うことでしょうか?
いいえ。「とくに酷い例であればRCTなんてしなくても医療ミスと判断することは可能である」と言うことです。もしかして、「RCT」か「恣意的」かのどちらかしかないと誤解してはいらっしゃいませんか。
>検診を受けた郡は早死には極端でも、検診を受けても寿命は伸びない(=お金の無駄だから検診はしない方がいい)。で構いませんよね?
だいぶつさん個人が「検診を受けても寿命は伸びない=お金の無駄だから検診はしない方がいい」と考えるのは自由です。そう考える医学者もいないわけではありませんが少数派です。主流の考え方は「総死亡に有意差がなくても検診対象となった疾患の死亡を有意に減らせるのであれば検診には意味がある。コストが見合えば推奨される」です。全死亡に占める検診対象疾患の割合は小さいわけですから、検診対象疾患による死亡を有意に減らすとしても、全死亡で有意差が出ないことはありえます。全死亡での有意差を確認するにはより大きな集団を対象に研究をしなければなりません。
検診のメリットではなく疾患のリスクに喩えるとよりわかりやすいでしょうか。たとえば特定の電磁波を浴びた人の白血病のリスクが10倍になることがわかったとしましょう。しかし全死亡に占める白血病の割合はきわめて小さいので総死亡率には有意差は認めません。だいぶつさんは、「特定の電磁波を浴びても寿命は短くならない=お金の無駄だから電磁波対策はしない方がいい」で構わないと思いますか?全死亡に有意差があることを確認できるまで放置しておきますか。主流の医学者は「総死亡率に有意差がなくても白血病のリスクは明らかなら電磁波対策はしたほうがいい」と考えます。「総死亡率に有意差がなくても検診対象疾患による死亡を減らすのが明らかなら検診をしたほうがいい」と考えるのと同様です。
>では以前ワタミの子会社の介護サービス会社が80代の老人がなくなった際に損害賠償請求されたケースについてはどう思いますか?
まずは、
・医療ミスに対して医療裁判起こすような遺族に対して否定的な人が他にいるのですか?
という質問に答えてくださいな。
「ワタミの子会社の介護サービス会社」の件については、サービス会社に酷いミスがあったとすれば損害賠償請求訴訟を起こすことには私は否定的ではないですよ。もしかしたら、ミスが無いにも関わらず、単に悪い結果になったというだけで訴訟されたのかもしれません。そういう訴訟に対して否定的な人ならたくさんいます。ワタミの件はよく知りませんが、大野病院事件や大淀病院事件についてはよく知っています(前者は民事ではなく刑事ですが)。
・仮に十分な論拠があっても関係者の心情にも配慮すべき(特に医療者側であれば)。
と思います。
> EBMの思想に照らし合わせても、「とくに酷い例であれば一例であってもトンデモあるいは医療ミスであると判断可能」とすることに何の問題もありません。EBMの思想について十分に知識のある人で、「医療ミスかどうかを判断するためにRCTが必要である」なんて主張している人はいません。
では医療ミスの判断は恣意的になされると言うことでしょうか?
> では質問を変えましょう。
>
> ・吉村医院を批判したエントリーについて、他の読者(産科医含む)のコメントやブックマークを読んでみて、「NATROMは批判の根拠が足りない」というコメントはありましたか?もし私による吉村医院批判の根拠が足りないとしたら、そのことを指摘するコメントがあるはずだとは思いませんでしたか?
どうも、NATROMさんは「批判の根拠が足りない」事を批判されているとお考えのようですね。そうではないのですが。
まあ、その辺については改めて記事にします。
> 「いずれの無作為対照化試験でも検診を受けた集団が早死にする」という主張に反論するにはこれ一つで十分ですよね。
これは私の論ではないのですがまあ甘んじてお受けします。
検診を受けた郡は早死には極端でも、検診を受けても寿命は伸びない(=お金の無駄だから検診はしない方がいい)。で構いませんよね?
> というか、「検診を受けた集団が早死にするという無作為対照化試験が一つある」という主張すら、私は怪しいと思います。なお、私の個人的な意見としては、「たとえ前立腺癌死を減らすとしても、コストや弊害を考慮するに、ルーチンとしてのPSA検診は行わない方がいい」と考えています。PSA検診は、有用性に議論があることやデメリットについて説明を受けた上で、希望者に行えばいいのです。
私も検診を受けた郡が早死にするかどうかは別として、QoLが低下することは間違いないと思います。
だからPSAは受けない方がいいと思います。
> 「私も」ってどういうことですか?医療ミスに対して医療裁判起こすような遺族に対して否定的な人が他にいるのですか?医療ミスは「仕方のないことだから、医療裁判を起こすな」ってことですか?医療ミスに対して医療裁判起こすような遺族に対しては、私は別に否定的じゃないですよ。医療ミスを犯しても謝罪や反省のない医療者に対しては、訴訟を起こすのはむしろ再発予防のために必要なことだと思います。
では以前ワタミの子会社の介護サービス会社が80代の老人がなくなった際に損害賠償請求されたケースについてはどう思いますか?
>とは思います。
医療ミスを批判してはならないと、だいぶつさんはお考えですか?どうもだいぶつさんは「医療ミスは仕方のないことだ。医療ミスを批判してはならない」と言っているようにしか思えないのですが。
>> 一例であってもトンデモあるいは医療ミスであると判断可能だと私は考えます。
>それはEBMの思想に照らし合わせるとどうでしょうか?
EBMの思想に照らし合わせても、「とくに酷い例であれば一例であってもトンデモあるいは医療ミスであると判断可能」とすることに何の問題もありません。EBMの思想について十分に知識のある人で、「医療ミスかどうかを判断するためにRCTが必要である」なんて主張している人はいません。
>> ・私が吉村医院を批判した根拠についてだいぶつさんは納得はしていないでしょうが、他の読者(産科医含む)は私のエントリーについて納得していることはお認めになりますか?
>私以外の読者がどう理解しているか、私には理解しえません。
では質問を変えましょう。
・吉村医院を批判したエントリーについて、他の読者(産科医含む)のコメントやブックマークを読んでみて、「NATROMは批判の根拠が足りない」というコメントはありましたか?もし私による吉村医院批判の根拠が足りないとしたら、そのことを指摘するコメントがあるはずだとは思いませんでしたか?
>> たぶん、「いずれの無作為対照化試験でも検診を受けた集団がoverall survival(総生存)でみて長生きするという証明はなされていない」と言いたかったのでしょう。
>その資料をNATROM先生は発見されたのでしょうか?
(資料はあるんですが仮に)資料を発見するまでもなく、「検診の有用性については、科学的に否定されている。いずれの無作為対照化試験でも検診を受けた集団が早死にする」なんて主張が論外であることはわかるのです。「死産が8人に1人」という主張が論外であることが資料を調べなくてもわかるのと同じです。だいぶつさんにわかりやすいようにたとえると、「アメリカ合衆国ではいずれのハンバーガーも値段が10ドル以上する」という主張が論外であることが、ハンバーガーの値段と為替レートの常識を知っている人なら資料を発見するまでもなくわかるのと同じです。私の言いたいのは、「食べ物の値段に物申すなら、そういう常識的なところを把握してからにしてはどうか」ということです。
>私は現時点では、自分自身が胃カメラやその他の苦痛を伴う検診を受け、それでQoLの低下を実感しているので、検診郡が有意に寿命が縮むと言う説に納得しています。それをRCTをもって証明していただけませんか?
>検診全般だとアレなので、PSAだけについてでも構いません。
RCTをもって証明する必要があるのは、「検診郡が有意に寿命が縮む」とかいう主張をしている側ですよ。まあいいでしょう。The New England Journal of Medicineという臨床医学ではもっとも権威のある雑誌の一つに載った論文です。PSA検診の有用性については議論があるところですが、前立腺癌死を減らす可能性があることがこの研究で示されました。
Screening and Prostate-Cancer Mortality in a Randomized European Study
http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMoa0810084
欧州における前立腺癌のスクリーニングと死亡率に関する無作為化試験(日本語解説)
http://www.nankodo.co.jp/yosyo/xforeign/nejm/360/360mar/xf360-13-1320.htm
総死亡については有意差なしです。「いずれの無作為対照化試験でも検診を受けた集団が早死にする」という主張に反論するにはこれ一つで十分ですよね。というか、「検診を受けた集団が早死にするという無作為対照化試験が一つある」という主張すら、私は怪しいと思います。なお、私の個人的な意見としては、「たとえ前立腺癌死を減らすとしても、コストや弊害を考慮するに、ルーチンとしてのPSA検診は行わない方がいい」と考えています。PSA検診は、有用性に議論があることやデメリットについて説明を受けた上で、希望者に行えばいいのです。
>目くじら立てて医療裁判起こすような遺族とかに対しては、私も否定的です。
「私も」ってどういうことですか?医療ミスに対して医療裁判起こすような遺族に対して否定的な人が他にいるのですか?医療ミスは「仕方のないことだから、医療裁判を起こすな」ってことですか?医療ミスに対して医療裁判起こすような遺族に対しては、私は別に否定的じゃないですよ。医療ミスを犯しても謝罪や反省のない医療者に対しては、訴訟を起こすのはむしろ再発予防のために必要なことだと思います。
とは思いません。
「病院で治ると信じていた以上は、医療ミスで病気の子が死んでも仕方ない」
とは思います。
> 一例であってもトンデモあるいは医療ミスであると判断可能だと私は考えます。
それはEBMの思想に照らし合わせるとどうでしょうか?
> ・私が吉村医院を批判した根拠についてだいぶつさんは納得はしていないでしょうが、他の読者(産科医含む)は私のエントリーについて納得していることはお認めになりますか?
私以外の読者がどう理解しているか、私には理解しえません。
> ・だいぶつさんは産婦人科学についてどれくらいご存じですか?
うちの妻の出産につきあった程度の知識はあります。
> ・だいぶつさんが私の提示した根拠に納得できないのは、だいぶつさんの知識不足に由来するという可能性は考慮しましたか?
NATROM先生の提示した根拠は、吉村医院の医療が医療ミスないしは吉村医師の知識不足に由来するものであると言うことに対する根拠です。私が求めているのは、それが吉村医院を批判するのに足ると言う根拠です。
> ・そのサイトの記述が正しいかどうか、だいぶつさんは検証しましたか?
していません。
> たぶん、「いずれの無作為対照化試験でも検診を受けた集団がoverall survival(総生存)でみて長生きするという証明はなされていない」と言いたかったのでしょう。
その資料をNATROM先生は発見されたのでしょうか?
私は現時点では、自分自身が胃カメラやその他の苦痛を伴う検診を受け、それでQoLの低下を実感しているので、検診郡が有意に寿命が縮むと言う説に納得しています。それをRCTをもって証明していただけませんか?
検診全般だとアレなので、PSAだけについてでも構いません。
> ・だいぶつさんは、検診の有用性を検証した無作為対照化試験を一つでもご存じですか?
知りません。
> 標準医療否定を批判しています。オカルティックであっても標準医療を否定していなければ容認できるものもあります。
標準医療否定に対しては私も否定的です。
> 吉村医師は「経膣分娩が可能かどうか判断する」ための専門知識を持っていません。
それは問題だと理解しています。
> そういう主張はよく理解できます。ただ、そういう主張を行うのに、よりにもよって吉村医院を持ち出してくるのが理解できないのです。
吉村医院だから、あえて持ち出しているのかもしれません。何の擁護の余地もないような例を持ち出した方が、必要な要素が浮かび上がりやすいと思ったのかもしれません。
>「標準医療でも死ぬことがあるんだから、インチキ医療で死んでも問題ない」と言っているように聞こえます。実際、「医療ミスで病気の子が死んでも問題ない」という指摘に反論はありませんでした。
「問題ない」と言うのは語弊があるので「仕方がない」に今後表現を統一します。
どうも、私が「仕方がない」という意図で言ったことがすべて「問題ない」と誤解されていたように思います。
問題は問題です。過去の問題に対し、どう対峙するかその姿勢を問うています。
「仕方ない」は気の持ちようの問題です。
目くじら立てて医療裁判起こすような遺族とかに対しては、私も否定的です。
医療は人を幸せにするためにあるものであると言う、基本的な部分における理解についてはNATROM先生と認識が共有できたようで、それについてはうれしく思います。
という指摘に反論がないようですので、今後反論がない限り、だいぶつさんがそう考えているものとして理解します。
>>「たった一例で医療ミスだと批判するのはどうかと思う」などと言い始めたらヤブ医者は大喜びです。
>そんなことを言った覚えはありません。
なるほど、「たった一例を引用して「トンデモ」を貶めるのはどうかと思う」のはいいけれども、「たった一例で医療ミスだと批判するのはどうかと思う」のはダメだということですか?とくに酷い例であれば、一例であってもトンデモあるいは医療ミスであると判断可能だと私は考えます。
>「たった一例で吉村医院を医療ミスを続出するヤブ医院・ヤブ医師であると断定したなとろむ先生の論拠を問う」ているだけです。それを、なとろむ先生が明確にお示しになられれば何の文句もありません。
ヤブ医師と判断した根拠についてはすでに何度も明確に示しているけれども、だいぶつさんがご理解されないのですよ。他院で児頭骨盤不均衡とされたのに「バリバリの安産です」と安請け合いした時点でヤブ確定です。付け加えて、経膣分娩にこだわって3日間粘ったというのもアウトです。だいぶつさんに質問です。
・私が吉村医院を批判した根拠についてだいぶつさんは納得はしていないでしょうが、他の読者(産科医含む)は私のエントリーについて納得していることはお認めになりますか?
・だいぶつさんは産婦人科学についてどれくらいご存じですか?
・だいぶつさんが私の提示した根拠に納得できないのは、だいぶつさんの知識不足に由来するという可能性は考慮しましたか?
>> あるいは、「健康診断は受けるとそれだけで寿命が縮む」というのは初耳ですが
>以下のサイトをご参照ください。
・そのサイトの記述が正しいかどうか、だいぶつさんは検証しましたか?
「検診の有用性については、科学的に否定されている。いずれの無作為対照化試験でも検診を受けた集団が早死にする」という主張に反論するには、検診を受けた集団が早死にしない検診のRCT試験を一つでも示せばいいわけですが、そうした研究を示せばだいぶつさんは納得するのでしょうか。
検診についてのRCT試験は多数ありますので、その中には検診を受けた集団のほうが早死にするという試験はもしかしたら一つか少数ぐらいはあるのかもしれません(聞いたことないけど)。検診集団も対照群も差が無い(検診の有用性はない)という試験はわりとありますが、さすがに「いずれの無作為対照化試験でも検診を受けた集団が早死にする」という主張は論外です。そのサイトの人も誤りを認めると思いますよ。たぶん、「いずれの無作為対照化試験でも検診を受けた集団がoverall survival(総生存)でみて長生きするという証明はなされていない」と言いたかったのでしょう。
・だいぶつさんは、検診の有用性を検証した無作為対照化試験を一つでもご存じですか?
だいぶつさんは、検診の有用性を検証した無作為対照化試験を一つもご存じないので、「いずれの無作為対照化試験でも検診を受けた集団が早死にする」という記述に容易に騙されるのでしょう。「死産が8人に1人」でも思ったんですが、だいぶつさんは、まず、現代医学についてのごくごく基本的なことを勉強することからはじめられてはいかがですか?
>あえて質問に答えるなら、吉村医院の件を医療全体の問題としてとらえて話題にするのはOKです。オカルティックなものと切り捨て相対的に自己を無謬化する目的ならNGです。
なぜ「医療全体の問題」と「オカルティックなものと切り捨て」の二者択一なんですか?助産師やホメオパスだけを批判して、医師を批判しないわけにはいきません。標準医療を否定している以上、医師であっても批判の対象になります。それから「オカルティックなもの」を切り捨てているのではありません。標準医療否定を批判しています。オカルティックであっても標準医療を否定していなければ容認できるものもあります。
>私に言わせてもらえるならば、専門知識は必要条件であって、十分条件にはなりえないのです。
吉村医師は「経膣分娩が可能かどうか判断する」ための専門知識を持っていません。それを問題にしています。私は「専門知識は十分条件だ」とは言ってません。
>知識をいくら詰め込んでも、名医にはたどり着けないんです。では、どうやったら名医になれるのか?そのエッセンスが代替医療の中に見出せませんかと、そう問いかけているんです。
そういう主張はよく理解できます。ただ、そういう主張を行うのに、よりにもよって吉村医院を持ち出してくるのが理解できないのです。専門知識は十分条件にはなりえませんが、必要条件です。必要条件すら満たしていない例をなぜ挙げるのでしょうか。「標準医療でも死産とか出産後死亡なんて普通にある」なんて言う必要はありません。「標準医療でも死ぬことがあるんだから、インチキ医療で死んでも問題ない」と言っているように聞こえます。実際、「医療ミスで病気の子が死んでも問題ない」という指摘に反論はありませんでした。
>ただ、なとろむ先生の医療方針が「マニュアル医療」ではないかとは、思っています。
だいぶつさんがそういう誤解をしていることはうすうす理解しています。
ここまでは同意します。が、以下には微妙に勘違いが入っています。
>「たった一例で医療ミスだと批判するのはどうかと思う」などと言い始めたらヤブ医者は大喜びです。
そんなことを言った覚えはありません。「たった一例で吉村医院を医療ミスを続出するヤブ医院・ヤブ医師であると断定したなとろむ先生の論拠を問う」ているだけです。それを、なとろむ先生が明確にお示しになられれば何の文句もありません。白旗を上げますよ。長たらしい議論は不要です。
> あるいは、「健康診断は受けるとそれだけで寿命が縮む」というのは初耳ですが
以下のサイトをご参照ください。
http://blog.livedoor.jp/leeshounann/archives/50846113.html
「検診の有用性については、科学的に否定されている。いずれの無作為対照化試験でも検診を受けた集団が早死にする。」
> それで、吉村医院を批判するのはOKなんですか?それともNGなんですか?まさか、遺族でなければ医療ミスを批判してはならないなんてことはないですよね。
そもそも、吉村医院の批判の是非を問うているわけではなく、なとろむ先生の医師としての哲学を問うているのは最初から言っている通りです。
あえて質問に答えるなら、吉村医院の件を医療全体の問題としてとらえて話題にするのはOKです。オカルティックなものと切り捨て相対的に自己を無謬化する目的ならNGです。
この先、なとろむ先生の前に誰も見たことのない奇病の患者が運ばれてきたとします。お手上げですよね?それを「患者を見捨てた」と批判されたらと、考えてみてください。私は、そんなときになとろむ先生を批判しない、数少ない人間の一人です。
> 単に患者さんに共感して祈るだけなら専門知識は要りません。
これは、論理のすり替えと考えていいですよね?私は「医師は患者に共感して祈ればいい」なんて、書いてもいないのですから。
私に言わせてもらえるならば、専門知識は必要条件であって、十分条件にはなりえないのです。
知識をいくら詰め込んでも、名医にはたどり着けないんです。では、どうやったら名医になれるのか?そのエッセンスが代替医療の中に見出せませんかと、そう問いかけているんです。
まあ、自分はほどほどの医者でいい、名医になんてならなくていいと言うかもしれませんが、患者は皆名医に診てもらいたがります。
自然に任せてやばくなったら丸投げするのにも専門知識は要りません。吉村医師からして「医者なんて要らない」と言っています。ツイッターでのやり取りでも思ったんですが
> だいぶつさんは「EBMはマニュアル医療である」と誤解していませんか?
EBMは「証拠に基づく医療」です。マニュアル医療は「マニュアルに基づく医療」です。
ただ、なとろむ先生の医療方針が「マニュアル医療」ではないかとは、思っています。
論理のすり替えではなく、まさしくだいぶつさんの詭弁の中心を指摘しております。すなわち、代替医療に親和的である気持から問題のある医療行為を擁護するあまり、医療ミスですら擁護できるような論理を持ち出しているという詭弁です。『「仕方ない」以外に言う言葉はありません』とは、つまり、
・「病院で治ると信じていた以上は、医療ミスで病気の子が死んでも問題ない」と、だいぶつさんはお考えなのですね。
私は医療ミスは無いほうがいいし、医療ミスをなくすための努力を怠るべきではないし、医療ミスを犯した医療者は批判されてしかるべきだと考えます。人間である以上ミスを犯すことはありますが、少なくともミスを犯したら医療者は反省すべきです。「たった一例で医療ミスだと批判するのはどうかと思う」などと言い始めたらヤブ医者は大喜びです。
>見聞したことでしかありませんが、健康診断は受けるとそれだけで寿命が縮むそうです(EBMによる結果だそうです)。前立腺がん検診なんかもそうです。検診を受けた郡の方が有意に寿命が縮むそうです。
祈祷と検診を比較した試験があったので?あるいは、「健康診断は受けるとそれだけで寿命が縮む」というのは初耳ですが、よしんばそういうタイプの健康診断があったとして、だいぶつさんの論理だと「健康診断を受けると長生きできると信じた以上は実際にその健康診断で寿命が縮もうと問題ないですね」ということになりますね。私は、「健康診断は受けるとそれだけで寿命が縮む」ことが明らかになった時点で、そのような健康診断は中止すべきだと考えます。別に寿命が縮まなくても、RCTで有効性が示されていない検診はルーチンで推奨されるべきではないと私は考えています。
>批判しては「ならない」とは考えていません。ただ批判の依拠とするところが「悪意」であれば、批判するのはおかしいと言うことになります。批判の依拠が「家族を失った悲しみの怒りのぶつけ先」と言うのであれば、別にかまいません。なとろむ先生の依拠は「エビデンスがある」と言うところですね。
それで、吉村医院を批判するのはOKなんですか?それともNGなんですか?まさか、遺族でなければ医療ミスを批判してはならないなんてことはないですよね。
>虚偽と言うのは、意図的にそれが間違っているという前提と考えていますが、たとえば無知や勘違いが原因であっても、ダメですか?エビデンスも、解釈によってとらえ方が変わると言うことは、無いでしょうか?
あのですね、意図的に騙していることを批判しているんじゃないんです。悪意の有無も関係ないです。純粋に患者を助けたいという善意が無知によって患者を殺すことがあるんです。「無知や勘違い」も程度問題で、一握りの専門家以外は知らないようなことなら仕方ないと言えますが、水準の知識は医師は持っているべきでしょう。「違った血液型を輸血したらいけないなんて知りませんでした。でも患者を助けたい一心で輸血しました。病気ではなく人を診ていたのです」と医師が心の底から思っていたら輸血ミスが免責されるんですか?私は、怠慢で輸血ミスをやらかすより、血液型についての知識が無くせに人を診れる気でいる医師のほうがヤバいと思いますが。
「エビデンスも、解釈によってとらえ方が変わる」というのはあります。しかし、これも程度問題です。たとえば、健康成人のインフルエンザにタミフルを投与すべきかどうかは専門家によって意見が変わります。40歳代の乳がん検診をルーチンで行うかも専門家の間で意見の相違があります。けれども、吉村医院のケースは、専門家の間で意見の相違はありません。100人が100人、「これはダメだろう」というレベルです。輸血ミスを犯しておいて「エビデンスも解釈によってとらえ方が変わる」などと言い訳する医師がいたとしたら、許されると思いますか。
>エビデンスがすべての医療を決定づけるなら、医師は無用と言うことですか?
意味がよくわかりません。「医療にエビデンスなんて関係ないなら、医師は無用」なら、だいぶつさんの主張と整合性がとれます。患者さんを診察し、問題点を見つけだし、情報を収集し、その情報を患者にどこまで適応できるのかどうかを判断し、医療を行い、結果を評価するという過程に専門家(すなわち医師)は必要に決まっているでしょう。
単に患者さんに共感して祈るだけなら専門知識は要りません。自然に任せてやばくなったら丸投げするのにも専門知識は要りません。吉村医師からして「医者なんて要らない」と言っています。ツイッターでのやり取りでも思ったんですが、だいぶつさんは「EBMはマニュアル医療である」と誤解していませんか?
そういう論理のすり替えは、なとろむ先生らしくありませんね。でも、実際問題そうではありませんか?「仕方ない」以外に言う言葉はありません。ご冥福をお祈りする、と言うことではないのでしょうか。
> 「現代医療で死に祈祷師では死なないケース」とは具体的にどのようなケースを想定していますか?
見聞したことでしかありませんが、健康診断は受けるとそれだけで寿命が縮むそうです(EBMによる結果だそうです)。前立腺がん検診なんかもそうです。検診を受けた郡の方が有意に寿命が縮むそうです。
> 血液型不適合輸血を行って患者を死なせた病院が、「通常の輸血を受けても死に血液型不適合輸血を行って死なないケースもあり得るはず」と言いはじめたとします。だいぶつさんはもちろん、血液型不適合輸血を行った病院を批判してはならないとお考えなのですよね?
批判しては「ならない」とは考えていません。ただ批判の依拠とするところが「悪意」であれば、批判するのはおかしいと言うことになります。批判の依拠が「家族を失った悲しみの怒りのぶつけ先」と言うのであれば、別にかまいません。なとろむ先生の依拠は「エビデンスがある」と言うところですね。
> 現代医療で死んだら仕方ないですが、祈祷師だと仕方なくないです。その時点でできる限りのことをやったかどうかという点が異なります。
出来る限りのことと言う範囲が難しい気はしますが、その点については同意します。
> 祈祷師レベルと現代医療の差はエビデンスの有無です。エビデンスが無くても祈祷師の治療を受けたいという人もごく稀にはいるでしょうが、たいていは虚偽の説明ゆえです。
虚偽と言うのは、意図的にそれが間違っているという前提と考えていますが、たとえば無知や勘違いが原因であっても、ダメですか?エビデンスも、解釈によってとらえ方が変わると言うことは、無いでしょうか?エビデンスがすべての医療を決定づけるなら、医師は無用と言うことですか?
> だいぶつさんにも聞きますが、祈祷師と医療ミスを頻発するヤブ医者の差は何でしょうか?だいぶつさんの論理によれば、祈祷のみならず医療ミスも擁護できます。
その差は「無明」でしょう。つまり、なとろむ先生は「無明」を批判しておられると言うことです。
> 十分な説明を受けて自分の受ける治療を選択するのが良いと考えます。
たとえば患者がその治療を(論理的にではなく)感情その他の理由で受け入れられない場合は、どうでしょうか?(エホバの証人輸血拒否事件そのものですけど)。
>「虚偽であることを医師も患者も知り得ない場合、問題になりようがありません」だそうですから。騙す側に実に都合の良い論理ですな。虚偽説明はそれだけで問題だ(その時点で健康被害が生じていなくても)
だからこそ「善意」が重要なのではないでしょうか?善意なき医療はなにをもって成立するのでしょうか。
私見ですが、善意の生じるところすなわち感情です。論理からは善意は生じませんよ。
病気の子の親が「祈祷を受ければ病気が治る」という虚偽の説明を受けていたとしても問題はないと言えるのですか?
医療ミスで病気の子が死んでも、「病院で治ると信じていたのだろう。少なくともそれを信じた以上は問題ないですね」とだいぶつさんはお考えですか?
>現代医療で死に祈祷師では死なないケースもあり得るはずですよ。そこを無意識的に避けていませんか?
「現代医療で死に祈祷師では死なないケース」とは具体的にどのようなケースを想定していますか?血液型不適合輸血を行って患者を死なせた病院が、「通常の輸血を受けても死に血液型不適合輸血を行って死なないケースもあり得るはず」と言いはじめたとします。だいぶつさんはもちろん、血液型不適合輸血を行った病院を批判してはならないとお考えなのですよね?
>現代医療で死んだら仕方なくて祈祷師だと仕方なくないんですか?
現代医療で死んだら仕方ないですが、祈祷師だと仕方なくないです。その時点でできる限りのことをやったかどうかという点が異なります。医療者の怠慢による医療ミスで患者が死んでも仕方ないとだいぶつさんは考えるのですか?
>祈祷師レベルと現代医療の差は何でしょうか?無知?「変な宗教」による洗脳?なとろむ先生が仮想的としておられるのは誰なんですか?
祈祷師レベルと現代医療の差はエビデンスの有無です。エビデンスが無くても祈祷師の治療を受けたいという人もごく稀にはいるでしょうが、たいていは虚偽の説明ゆえです。だいぶつさんにも聞きますが、祈祷師と医療ミスを頻発するヤブ医者の差は何でしょうか?だいぶつさんの論理によれば、祈祷のみならず医療ミスも擁護できます。
>医者は、患者は、どうするのが一番いいとお考えなんでしょうか?
十分な説明を受けて自分の受ける治療を選択するのが良いと考えます。十分な説明を受けた上で、児頭骨盤不均衡なのに吉村医院でのお産を選んだり、現代医学で治る病気を祈祷師に頼ったりする人はほとんどいないと思います。だいぶつさんは、「十分な説明」なんてどうでも良いとお考えなんでしょう?「患者が医師の説明が虚偽であることを知らないままだった」としても「虚偽であることを医師も患者も知り得ない場合、問題になりようがありません」だそうですから。騙す側に実に都合の良い論理ですな。虚偽説明はそれだけで問題だ(その時点で健康被害が生じていなくても)と私は考えます。
>
> という質問の答えを明確にお願いします。もちろん、祈祷師の治療の全例を調べないと祈祷による死亡について文句を言えないのでしょうね。
少なくともそれを信じた以上は問題ないですね。それに、なとろむ先生の書きようでは逆のケースは起こりえないように読めます。現代医療で死に祈祷師では死なないケースもあり得るはずですよ。そこを無意識的に避けていませんか?現代医療で死んだら仕方なくて祈祷師だと仕方なくないんですか?
そここそが私の投げかけたテーゼな訳ですが。
> 患者が死亡しようが死亡しまいが、適切な治療を怠ってそれを恥じないのであれば、その一例をもって祈祷師扱いされても文句はありません。
それは吉村医師と同じいいようですね。
祈祷師レベルと現代医療の差は何でしょうか?無知?「変な宗教」による洗脳?なとろむ先生が仮想的としておられるのは誰なんですか?
医者は、患者は、どうするのが一番いいとお考えなんでしょうか?
という質問の答えを明確にお願いします。もちろん、祈祷師の治療の全例を調べないと祈祷による死亡について文句を言えないのでしょうね。
>もしNATROM先生が死亡例を出したとして、その一例をもってNATROM先生が祈祷師扱いされても文句はない、と、そこまでの覚悟があって書いておられるのか、試したかったと言うのが本来の意図です。
もし私が、現代医学で適切な治療を受ければたいていは治る病気に対して適切な治療を怠って、その結果患者が死亡したとしたら、その一例をもって祈祷師扱いされても文句はありません。すべての事例を調べる必要はまったくありません。というか、患者が死亡しようが死亡しまいが、適切な治療を怠ってそれを恥じないのであれば、その一例をもって祈祷師扱いされても文句はありません。
> 吉村医院の医療は「浄霊」レベル
つまりは、一件の死亡例を引用してこれを言おうとしていると言うことに違いはないようです。
吉村医師の知識不足もなにもかも、すべてがこの一例からの憶測なのですよね?すべての事例を調べたうえではないのですよね?
では、もしNATROM先生が死亡例を出したとして、その一例をもってNATROM先生が祈祷師扱いされても文句はない、と、そこまでの覚悟があって書いておられるのか、試したかったと言うのが本来の意図です。
多くの場合は、同じような説明で、「帝王切開でちゃんと子供が産める」と希望を持つはずなんのですが、「病院で出産すると本当の母親にはなれない」といった思想を吹き込まれてたからでしょうね。医師の説明に問題があったわけではないと思います。
>まあ、それは上記の「医療ミスタイプ論」につながりますね。そこを体系的にできたら、私はおもしろいと思います。
「この点とこの点において、吉村医院の医療はダメであるという指摘は適切ではない」と具体的に指摘することは、だいぶつさんはできないのですね。
>>だいぶつさんの言によれば、吉村医院の医療は「浄霊」レベルということになります。
>そうですね。それが私の持論ですから。
これで十分ですね。現代医学で適切な治療を受ければたいていは治る病気の子が、医学の知識のない拝み屋によって祈祷を受け、その結果病気の子が死亡したとしても、それは「病院で治療を受けても普通に死ぬことはある」し、祈祷も「人を診ようと努力」した結果であり、問題はないとだいぶつさんはお考えなのですね。
だいぶつさんの目指す「統合医療」がどういうところにあるのかよくわかります。「統合医療への道のりはかなり長い」はずですね。統合医療に積極的な人でも、普通は「浄霊」のような呪術もどきのいかがわしいものは排除しよう、(少なくとも口先だけでも)言います。
>だましているのかどうかは吉村医師にしか分かりません。
吉村医師が本当は経膣分娩が困難であることを承知の上で「バリバリの安産です」という説明を意図的にしているとは私も思いません(そうだとしても最悪なことには変わりありませんが)。吉村医師は医学的な知識に欠けており、経膣分娩が困難である症例を見分ける能力がないのだろうと私は考えています。結果として、安産できない妊婦に対して「安産だ」という虚偽の説明をしているのだ、ということだろう、ということです。吉村医師の意図(詐欺師なのか能力不足なのか)は吉村医師にしかわかりませんが、虚偽の説明をしていることは客観的にわかります。
そうですね。なとろむ先生に良心の呵責があるから「批判」と読めるのであって、正確には「印象」ですね。あの記事を読んだ私の印象。元記事はなとろむ先生のせいか削除されていて読めませんでした。
> 医療ミスを犯す可能性はどの医師もありますが、「吉村医院で行われるようなタイプ」の医療ミスは犯す医師はかなり少数派でしょう。
医療ミスに「タイプ」があるのですね。医療ミスタイプ論という本でも書いていただければ、おもしろく拝読します。普通は書けない話とかも含めて。
> 少なくとも吉村医院のケースでは「バリバリの安産です」と説明されたと家族は理解していましたけどね。標準医療の現場で行われているような十分な説明が、統合医療が行われる場でなされている例を私はあまり知りません(あえて言えば高価なガン免疫クリニックが防衛的に行うぐらいかな)。「なぜ代替医療がポジティブに報道されるのか」といったことに対する考察の一つがそこにはあります。代替医療推進側は、代替医療のメリットは説明するけれども、デメリットをあまり説明しないから、というのがその理由の一つではないかと私は考えます。
「適切な説明」というのは、最初の近代医療の産婦人科ででの話ですね。骨盤位なんたらとか、児童頭蓋なんたらとか、ようわからん説明で母親が分かったのかなぁ~と私は思うんですね。
そのとき、母親が感じていたのは「ちゃんと子供を産んであげられないかもしれない」という絶望感だったはずなんですけど、説明した医師はそれをちゃんと感じ取っていたのかなぁ?
> そういう視点があるなら具体的に指摘してください。吉村医院で行われている医療がダメな医療でないと、だいぶつさんはお考えですか?だいぶつさんは、「ダメな代替医療というがそれは偏見かもしれない」などとほのめかすのではなく、「この点とこの点において、吉村医院の医療はダメであるという指摘は適切ではない」と具体的に指摘するべきではないですか。具体的な指摘ができないから、ほのめかすしかないのでしょうが。
まあ、それは上記の「医療ミスタイプ論」につながりますね。そこを体系的にできたら、私はおもしろいと思います。
> 「この世界をつつむ東洋の宇宙観(易ともいう)」は「科学や医学といった形而下学的事象というほんのつめの先ほどの幼稚な認識」より高次な認識だ、というようなものですね。だいぶつさんがご自分の言説が統合医療推進の妨げになると思わないのは自由です。しかし、だいぶつさんの言説を読んだ他の人がどう思うのかをご考慮ください。だいぶつさんの言説を読んで同意するのは、初めから「統合医療は標準医療より高次の存在」などと思っているようなごく少数の人たちだけでしょう。他人を説得させることは難しいと思います。
東洋の宇宙観は傲慢です。どちらかというと「全にして一」「一にして全」のような全集の世界観が近いのではないでしょうか?確かに、容易にたどり着ける真理ではありません。だからこそ、医師という高次の存在がそれを「難しいから」という理由で逃げていては、正しい医療には行き着かないと思いますよ。
> エホバの証人の無輸血問題については、親権の及ぶ範囲の問題であって、代替医療の是非の問題ではありません。むしろ、吉村医院の件は、次世代ファーム研究所や「浄霊」で子供が死んだ件に似ています。生後7カ月の男児が「宗教上の理由から病院に連れて行かずに死なせた」という事件がありました( http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20100115#p1 )。もちろん、だいぶつさんは、「浄霊」による治療も、「人を診る」医療であり、病院で命が助かっても「父母の心には大きな不全感が残り、子供の発育にも悪影響を与えたでしょう」とみなすのでしょうね。だいぶつさんの言によれば、吉村医院の医療は「浄霊」レベルということになります。
そうですね。それが私の持論ですから。
> そもそも、帝王切開で「父母の心には大きな不全感が残る」理由は何ですか?「病院で出産すると本当の母親にはなれない」「帝王切開で生まれると子供の目が死ぬ」「自然分娩で生まれない赤ちゃんは遺伝子的に駄目で生まれてはいけない命」などと吹き込まれたからじゃないんですか。「この壺を買わないと不幸になる」と吹き込んでおいて、高価な壺を売りつける行為を批判されたら、「壺を買わないと心に不全感が残る。壺を買って幸福になった人もいる。壺を買わなくて不幸になった人をお前は最後まで面倒を見れるのか」などと反論するようなものです。
本質的にはそれと同じことと考えています。ここまで、宗教観を排除、と言って聞こえが悪いのなら近代医療は宗教観と距離を置くことという、なとろむ先生の考え方が見て取れますね。
> 人を診る・人生を診る医師ってのはね、「帝王切開で生まれたぐらいで本当の母親になれないなんてこたあない」と、母親に納得させてあげられるような医師じゃないのですか。
そうです。それも一つの考え方です。
でも吉村医師にはまた異なるポリシーがあったのでしょう。
ヤブとかヤブではないで語れる次元の話なのでしょうか。
> やりたい人がいるならやればいいと思います。いくらでも研究の方法はあります。
かつてはあったんじゃないでしょうか?それが上書きされて失われた「ロストテクノロジー」になっているのではないでしょうか。
> 「安産だった人の特長」とは、たとえば、骨盤と児頭のバランスです。現代医学においては、「安産だった人の特長」を調べて、安産がみこめる人は経膣分娩を、そうでない人には帝王切開を勧めます。個別化医療ですな。近代医療は「それをちゃんと取り入れて」発達させているのですよ。吉村医師はちゃんと「安産だった人の特長」をみているんですかね。母体なんてろくすっぽ見ずに全例に「バリバリの安産です」と言っているんじゃないですか。やってみてダメなら「死んだっていい」「丸投げすればいい」とね。個別化医療でもなんでもない。母体を見て児頭骨盤不均衡を「バリバリの安産です」と言ったとしてもヤブであることには変わりないですが。
なとろむ先生、ヤブじゃない医師なんていませんよ。今議論しているのはそういうことじゃありません。ヤブかヤブじゃないかに拘泥している限り、なとろむ先生にも私にも何の進歩も起こりません。
> 「昔の助産師だったら逆子でも普通に取り出せた」については、昔は普通に母も子も死んでいましたけどね。骨盤位ぐらいだったら緊急対応可能な施設で経膣分娩を試みるぐらいは許容範囲内かなと個人的には思います。児頭骨盤不均衡はありえない。それにしても、「死んでもいいから経膣分娩したい」という需要ってどれくらいあるんですかね。「可能なら経膣分娩したい」ならよく理解できます。「可能なら経膣分娩したい」と希望する人を、「バリバリの安産です」って騙しているだけなんじゃないんですか。
だましているのかどうかは吉村医師にしか分かりません。でもすくなくともなとろむ先生はそう考えておられるのですよね。もしそうなら、一度「吉村医師は騙していない」という仮定を立ててみて、吉村医師の心情をシミュレートしてみると面白いかも知れませんよ。
「目が死んでいる。心が死んでいる」「きっと本当の幸せを知らないのであろう」という印象を述べることが批判にならないとでも思っておられるのですか?それに私が書いた記事以上のことを知らないのであれば、『「トンデモ」を貶めるのはどうか』などという批判(それとも印象?)は不当ではないですか。
>吉村医院の件は先生自身の「他山の石」とした方が、論調としては良いのではないでしょうか?
医療ミスを犯す可能性はどの医師もありますが、「吉村医院で行われるようなタイプ」の医療ミスは犯す医師はかなり少数派でしょう。
>適切な説明がなされていたか否かが、その分かれ目と思います。
少なくとも吉村医院のケースでは「バリバリの安産です」と説明されたと家族は理解していましたけどね。標準医療の現場で行われているような十分な説明が、統合医療が行われる場でなされている例を私はあまり知りません(あえて言えば高価なガン免疫クリニックが防衛的に行うぐらいかな)。「なぜ代替医療がポジティブに報道されるのか」といったことに対する考察の一つがそこにはあります。代替医療推進側は、代替医療のメリットは説明するけれども、デメリットをあまり説明しないから、というのがその理由の一つではないかと私は考えます。
>ダメな代替医療を行う医師と言うのが、既にNATROM先生の偏見かもしれないと言う視点はないのでしょうか?
そういう視点があるなら具体的に指摘してください。吉村医院で行われている医療がダメな医療でないと、だいぶつさんはお考えですか?だいぶつさんは、「ダメな代替医療というがそれは偏見かもしれない」などとほのめかすのではなく、「この点とこの点において、吉村医院の医療はダメであるという指摘は適切ではない」と具体的に指摘するべきではないですか。具体的な指摘ができないから、ほのめかすしかないのでしょうが。
>NATROM先生の言いたいことは分かりますが、それは「標準医療」と「統合医療」が同質と考えているからそういう考え方になるのであって、私の中では統合医療は標準医療よりより高次の存在です。だから、私の言説が統合医療推進の妨げになるとは私は思いません。
「この世界をつつむ東洋の宇宙観(易ともいう)」は「科学や医学といった形而下学的事象というほんのつめの先ほどの幼稚な認識」より高次な認識だ、というようなものですね。だいぶつさんがご自分の言説が統合医療推進の妨げになると思わないのは自由です。しかし、だいぶつさんの言説を読んだ他の人がどう思うのかをご考慮ください。だいぶつさんの言説を読んで同意するのは、初めから「統合医療は標準医療より高次の存在」などと思っているようなごく少数の人たちだけでしょう。他人を説得させることは難しいと思います。
それから別には私は「標準医療」と「統合医療」が同質だとはまったく思っておりません。
>エホバ事件で輸血を行っていれば、確かに子供は生き残ったでしょうが、心に傷を負っていたでしょう。
>吉村医院の件で早期に帝王切開をしていれば、確かに母子ともに生き残ったでしょうが、父母の心には大きな不全感が残り、子供の発育にも悪影響を与えたでしょう。
エホバの証人の無輸血問題については、親権の及ぶ範囲の問題であって、代替医療の是非の問題ではありません。むしろ、吉村医院の件は、次世代ファーム研究所や「浄霊」で子供が死んだ件に似ています。生後7カ月の男児が「宗教上の理由から病院に連れて行かずに死なせた」という事件がありました( http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20100115#p1 )。もちろん、だいぶつさんは、「浄霊」による治療も、「人を診る」医療であり、病院で命が助かっても「父母の心には大きな不全感が残り、子供の発育にも悪影響を与えたでしょう」とみなすのでしょうね。だいぶつさんの言によれば、吉村医院の医療は「浄霊」レベルということになります。
そもそも、帝王切開で「父母の心には大きな不全感が残る」理由は何ですか?「病院で出産すると本当の母親にはなれない」「帝王切開で生まれると子供の目が死ぬ」「自然分娩で生まれない赤ちゃんは遺伝子的に駄目で生まれてはいけない命」などと吹き込まれたからじゃないんですか。「この壺を買わないと不幸になる」と吹き込んでおいて、高価な壺を売りつける行為を批判されたら、「壺を買わないと心に不全感が残る。壺を買って幸福になった人もいる。壺を買わなくて不幸になった人をお前は最後まで面倒を見れるのか」などと反論するようなものです。
人を診る・人生を診る医師ってのはね、「帝王切開で生まれたぐらいで本当の母親になれないなんてこたあない」と、母親に納得させてあげられるような医師じゃないのですか。
>たとえば、整体とかいう取り組みは、なされてしかるべきなのではないでしょうか?
>最近の周産期医学がどうなっているのかは分かりませんが、その辺の研究はされているんでしょうか?
やりたい人がいるならやればいいと思います。いくらでも研究の方法はあります。
>安産だった人の特長であるとか、昔の助産師だったら逆子でも普通に取り出せたりしたと言いますが、近代医療はそれをちゃんと取り入れ得ているのでしょうか?
「安産だった人の特長」とは、たとえば、骨盤と児頭のバランスです。現代医学においては、「安産だった人の特長」を調べて、安産がみこめる人は経膣分娩を、そうでない人には帝王切開を勧めます。個別化医療ですな。近代医療は「それをちゃんと取り入れて」発達させているのですよ。吉村医師はちゃんと「安産だった人の特長」をみているんですかね。母体なんてろくすっぽ見ずに全例に「バリバリの安産です」と言っているんじゃないですか。やってみてダメなら「死んだっていい」「丸投げすればいい」とね。個別化医療でもなんでもない。母体を見て児頭骨盤不均衡を「バリバリの安産です」と言ったとしてもヤブであることには変わりないですが。
「昔の助産師だったら逆子でも普通に取り出せた」については、昔は普通に母も子も死んでいましたけどね。骨盤位ぐらいだったら緊急対応可能な施設で経膣分娩を試みるぐらいは許容範囲内かなと個人的には思います。児頭骨盤不均衡はありえない。それにしても、「死んでもいいから経膣分娩したい」という需要ってどれくらいあるんですかね。「可能なら経膣分娩したい」ならよく理解できます。「可能なら経膣分娩したい」と希望する人を、「バリバリの安産です」って騙しているだけなんじゃないんですか。
看護師へのコメントは「印象」であって「批判」ではないと思います。それ以外の事実については、そもそもNATROM先生の書かれた記事以上のことを私には知りえませんので、議論の余地はないと思います。「前提」と理解しています。
> 「同じ批判」というのがどういう意味なのかわかりかねます。もし私が医療ミスをしたら、吉村医院と同じように批判されて当然だと考えますが。
では、吉村医院の件は先生自身の「他山の石」とした方が、論調としては良いのではないでしょうか?
> 同様に吉村医院の「病院側のミスで新生児が死亡したのに「他の病院のように帝王切開をするのは罪悪だ。児頭骨盤不均衡でも経膣分娩を試みるのが正しい」などと言っている遺族」というケースも、だいぶつさんはおかしいと思うのですよね?
適切な説明がなされていたか否かが、その分かれ目と思います。
> だいぶつさんがそのセリフを言う前から、ダメな代替医療を行う医師を「人を診ようと努力する医師」などと擁護する人たちがいたわけですが。
ダメな代替医療を行う医師と言うのが、既にNATROM先生の偏見かもしれないと言う視点はないのでしょうか?
> だいぶつさんが標準医療を推進する立場だとは思っていません。統合医療を推進する立場ですよね。「統合医療を推進するなら吉村医院のような明らかにダメな例を擁護するのはまずいのではないか。明らかにダメな例を擁護するようなだいぶつさんのような人がいるから、統合医療がいつまでも推進されないのではないか。だいぶつさんが統合医療推進の足を引っ張っているのではないか」と私は言ったのですよ。
NATROM先生の言いたいことは分かりますが、それは「標準医療」と「統合医療」が同質と考えているからそういう考え方になるのであって、私の中では統合医療は標準医療よりより高次の存在です。だから、私の言説が統合医療推進の妨げになるとは私は思いません。
エホバ事件で輸血を行っていれば、確かに子供は生き残ったでしょうが、心に傷を負っていたでしょう。
吉村医院の件で早期に帝王切開をしていれば、確かに母子ともに生き残ったでしょうが、父母の心には大きな不全感が残り、子供の発育にも悪影響を与えたでしょう。
これをケア出来てはじめて「最後まで面倒を診る」と言うことができます。
統合医療とはつまり、人を診る・人生を診るものであり、現在の標準医療の枠組みではそもそも実現不可能です。マニュアル通りの医療しかできない医師は、マニュアルから外れた患者を無慈悲に見捨てます。
吉村医院の件を「母子の生死」と言う観点のみでとらえている時点で、既に「人を診て」いないわけです。
> だいぶつさんは標準医療に批判的ですが(本当はだいぶつさんが「標準医療」だと誤解しているものに批判的に過ぎないのですが)、でも少なくとも、標準医療については明らかにダメなものは排除される仕組みになっています。統合医療はそのような仕組みはありません。だから、吉村医院やホメオパシージャパンのように明らかにダメなものが混じってくるのです。
私は標準医療をダメだと思ってもいませんし批判的でもありません。実際、今病院に通ってもいます。
私は標準医療信奉に対して批判的なだけです。
NATROM先生の言説も、とても重要な事を指摘しておられると思っています。でなければそもそもNATROM先生の日記を読んだりはしません。
ただ、NATROM先生のようにちゃんと情報を集めて考察したうえでダメと思うと判断するものをダメと思うと後悔するのは全然構わないのですが、それに「タダ乗り」してステレオタイプでとにかくダメだと言うのは、どうかと思うのです。
ダメな人にかみつくのは簡単なのですが、NATROM先生のように理路整然としたものにかみつくのには相応の勇気が要ります。しかし「それをする人は少ない」事が私にとっては動機になります。
> 統合医療を推進したいのなら、明らかなダメな例を「標準医療でも死産があるだろ」と擁護するのは悪手です。怠慢による血液型不適合輸血による医療ミスを、「きちんとクロスマッチしても死ぬことは普通にあるだろ。たった一例をとやかく言うな」と擁護しているようなものです。
血液型不一致の件と吉村医院の件は同質なのかについて、医療素人には判断のつきようがありませんが、私は人間の体は生き物なわけですから、産道が細いことにも、逆子にしても、変更の仕様があるはずだと思うんですよね。
たとえば、整体とかいう取り組みは、なされてしかるべきなのではないでしょうか?
最近の周産期医学がどうなっているのかは分かりませんが、その辺の研究はされているんでしょうか?
安産だった人の特長であるとか、昔の助産師だったら逆子でも普通に取り出せたりしたと言いますが、近代医療はそれをちゃんと取り入れ得ているのでしょうか?
まあ、2週に1日の30分診察では赤ちゃんの超音波写真を撮るのがせいぜいだとは思いますが・・・。
「議論は終わっているという」というのは、「医療ミスによって新生児が死亡したのに、吉村医院の医療ミスを認識せず、命を助けてくれた高次医療機関の看護師を批判するのはおかしい」ということに同意されたという意味でしょうか?
>私が取り沙汰したいのは、NATROMさんが自分自身に対して同じ批判をされた場合、どう反応するのかという点です。
「同じ批判」というのがどういう意味なのかわかりかねます。もし私が医療ミスをしたら、吉村医院と同じように批判されて当然だと考えますが。
>もちろんおかしいと思います。そういう教育を受けているから。
同様に吉村医院の「病院側のミスで新生児が死亡したのに「他の病院のように帝王切開をするのは罪悪だ。児頭骨盤不均衡でも経膣分娩を試みるのが正しい」などと言っている遺族」というケースも、だいぶつさんはおかしいと思うのですよね?
>私がそのセリフを言う前からNATROMさんは自然分娩を批判しているように見える記事を書いていたわけですが。
だいぶつさんがそのセリフを言う前から、ダメな代替医療を行う医師を「人を診ようと努力する医師」などと擁護する人たちがいたわけですが。
>> 標準医療を推進する立場の人で、明らかにダメな例を擁護する人を私は知りません。というか、明らかにダメな例を擁護するのは定義上標準医療を推進する立場にはなりません。
>わたしは標準医療を推進する立場ではありません。
だいぶつさんが標準医療を推進する立場だとは思っていません。統合医療を推進する立場ですよね。「統合医療を推進するなら吉村医院のような明らかにダメな例を擁護するのはまずいのではないか。明らかにダメな例を擁護するようなだいぶつさんのような人がいるから、統合医療がいつまでも推進されないのではないか。だいぶつさんが統合医療推進の足を引っ張っているのではないか」と私は言ったのですよ。
だいぶつさんは標準医療に批判的ですが(本当はだいぶつさんが「標準医療」だと誤解しているものに批判的に過ぎないのですが)、でも少なくとも、標準医療については明らかにダメなものは排除される仕組みになっています。統合医療はそのような仕組みはありません。だから、吉村医院やホメオパシージャパンのように明らかにダメなものが混じってくるのです。
統合医療を推進したいのなら、明らかなダメな例を「標準医療でも死産があるだろ」と擁護するのは悪手です。怠慢による血液型不適合輸血による医療ミスを、「きちんとクロスマッチしても死ぬことは普通にあるだろ。たった一例をとやかく言うな」と擁護しているようなものです。
その事例についての議論は終わっているという認識です。私が取り沙汰したいのは、NATROMさんが自分自身に対して同じ批判をされた場合、どう反応するのかという点です。
> 病院側の輸血ミスで家族が死亡したのに「他の病院のようにクロスマッチをするのは罪悪だ。血液型を確認せずに輸血をするのが正しい」などと言っている遺族がいたら、だいぶつさんはどうお考えですか?
もちろんおかしいと思います。そういう教育を受けているから。
> 「自然分娩という選択肢があってもいい」と私は繰り返して言っていますが、自然分娩に批判的な人の気持ちも私は理解できます。なぜなら、吉村医院のような明らかにダメな事例に対する批判に対して「病しか診ない医師が人を診ようと努力する医師を一事をもって非難する資格がない」などと言っちゃう人がいるからです。
私がそのセリフを言う前からNATROMさんは自然分娩を批判しているように見える記事を書いていたわけですが。
> 標準医療を推進する立場の人で、明らかにダメな例を擁護する人を私は知りません。というか、明らかにダメな例を擁護するのは定義上標準医療を推進する立場にはなりません。
わたしは標準医療を推進する立場ではありません。
> 「統合医療への道のりはかなり長い」として、それはいったい誰の責任なのかをご自覚されたほうがよろしいかと思います。「自然派とかマクロビとかなんてダメなんだよ」という人は、だいぶつさんの記事も援用できるでしょう。
人類全員の責任と考えています。
「確かに医療ミスはあったが、それまでは先生に良くしていただいたので、責める気にならない」ということであれば、これは理解できます。しかし、私が紹介した事例はそうではありません。そもそも(遺族も医師本人も)医療ミスであることを認識しておらず、それどころか命を助けてくれた高次医療機関の看護師を「目が死んでいる。心が死んでいる」とまで批判しています。だいぶつさんはおかしいとは思わないのですか?
病院側の輸血ミスで家族が死亡したのに「他の病院のようにクロスマッチをするのは罪悪だ。血液型を確認せずに輸血をするのが正しい」などと言っている遺族がいたら、だいぶつさんはどうお考えですか?
>元の記事の文脈が自然分娩信仰的なものへのアンチテーゼ的に書かれていたため、私を含め、それが自然志向忌避的なものと受け取られた可能性についてはどうでしょうか。
>一部には「だから自然派とかマクロビとかなんてダメなんだよ」という持論のために先生の記事を援用する人もいるようです。
「自然分娩という選択肢があってもいい」と私は繰り返して言っていますが、自然分娩に批判的な人の気持ちも私は理解できます。なぜなら、吉村医院のような明らかにダメな事例に対する批判に対して「病しか診ない医師が人を診ようと努力する医師を一事をもって非難する資格がない」などと言っちゃう人がいるからです。標準医療を推進する立場の人で、明らかにダメな例を擁護する人を私は知りません。というか、明らかにダメな例を擁護するのは定義上標準医療を推進する立場にはなりません。
「統合医療への道のりはかなり長い」として、それはいったい誰の責任なのかをご自覚されたほうがよろしいかと思います。「自然派とかマクロビとかなんてダメなんだよ」という人は、だいぶつさんの記事も援用できるでしょう。
> 私は、「普通にクロスマッチしろよ。医療ミスだろ」と思います。吉村医院に対して、「普通に帝王切開しろよ。医療ミスだろ」と思うのと同じように。
と言うコメントに関しては普通に共感できます。
そう、おっしゃる通り吉村医院で起こったことは医療ミスだったのではないでしょうか。「気味の悪い」ものではないのではないでしょうか。
元の記事の文脈が自然分娩信仰的なものへのアンチテーゼ的に書かれていたため、私を含め、それが自然志向忌避的なものと受け取られた可能性についてはどうでしょうか。
一部には「だから自然派とかマクロビとかなんてダメなんだよ」という持論のために先生の記事を援用する人もいるようです。
ちなみに、私は、自分自身の無謬性を信じません。自分は常に間違っていると思っています。
吉村医院のケースは、標準的な医療水準では普通に行われているリスクを減らすために手段があるにも関わらず、その手段を講じることを怠ったことにあります。実は、8分の1であろうと1200人の1であろうと、本質的な問題ではないのです。
別の例を挙げましょうか。出血多量の患者に対して、きちんと血液型を確認して輸血を行うべきなのにそれを怠って、血液型不適合輸血を行い、患者は死亡しました。マスコミに漏れたら医療ミスだとスクープされる事例です。その病院に対する「出血多量患者は標準医療を受けても死ぬことは普通にある。いったいなぜそういう事例は報道しないのか」という擁護と、だいぶつさんの吉村医院に対する擁護は論理的に同じですが、いかがでしょうか。
私は、「普通にクロスマッチしろよ。医療ミスだろ」と思います。吉村医院に対して、「普通に帝王切開しろよ。医療ミスだろ」と思うのと同じように。