9月5日のフジテレビとくダネで、遺体保管施設「そうそう」と住民トラブルの特集がされていました。本日はTBS噂の東京マガジンでも流れていました。実は2011年大田区の事例でTBSは既に話題にしていたそうです。
遺体ホテルは検索すると今ネット上でも複数出てきています。家族葬としてのひとつの形式で、同じ神奈川には「LASTEL」などひろくビジネス展開している企業もあるようです。
簡略葬儀という新たな葬儀ビジネスのひとつの形のようですが、「そうそう」は葬儀社等からの依頼という形での単なる民間死体安置所ビジネスのようです。葬儀をやらない、葬儀の簡略化など、死者をともらうという儀式も変化しているのでしょう。
都市部、東京近郊の都市では死亡者の増加に対して火葬場の能力が対応できてない状況のようです。フジの番組で紹介された千葉地方では、親族の火葬を6日間待ったといいます。これからさらに住民が反対するであろう火葬場を増設しない限り、この少子高齢化の時代、高齢者医療は増加しますし、このような火葬まで待たなきゃいけない事象は増え続けるでしょう。
地元住民の言葉です。
「車がホテルに来たらまた死体が運ばれたと思ってしまい、精神的に不安だ」
「においが心配だ」
住民の感情は人間としてわかります。
それに対して、この会社の説明は住民達をおこらせるようにしているとしか思えませんでした。室外機の設置のうそ。死体は物!そして最後には法的に違反していませんの言葉。話し合いの決裂です。事実「LASTEL」等は死体の搬送を住民がみえにくいような手段を取っているとか様々な工夫をしているようです。「そうそう」も多分工夫しゆずれる部分があったと思うのですが、説明の未熟さがみられました。(テレビの番組作りかもしれませんが)
「嫌な思いをしている地域の人間がいる。それに対してしっかり説明と対応を考えて欲しい。」という地元中学2年生の言葉。「そうそう」は大人として重く受け止めて欲しいです。ただそれは住民側の「そうそう」の言葉に「開き直るんじゃないよ」といった減らず口しか叩けなかった住民側の大人に対してもですが。
ただ住民の
「死体は気持ち悪いんだよ」
「隣に遺体があると思うだけで嫌。必要な施設とはいえ、場所をもう少し考えてほしい」
の言葉には私は死と向き合えない現代の日本人を再認識しました。
会社の対応者の言葉。
「いつかみなさんの身近な人が亡くなるかもしれない。私は死体が気持ち悪いなんて思えません」
私は福岡の田舎の出身ですので、祖父や祖母が亡くなった時、子供の頃家で死体と一緒に過ごしたことがあります。(都会はないのかな?)そして今私は医療者という特殊性もあり、死体が気持ちが悪いものとは思っていません。
事実父が亡くなった時には、葬儀場の控え室ではありましたが、父の遺体と一晩一人で過ごさせていただきました。隣の部屋には別の方がお休みされていましたが、気持ちが悪いなんて考えも浮かびませんでした。
お亡くなりになってもすぐに火葬できず、今後この地域でも家に安置しなければいけないことがでてくるでしょう。(もちろん葬儀場で預かっていただけますが、お金が高くなる?)またマンション等では死体を部屋につれていけないようです。
また身寄りのすくない人やお金のない人は葬儀もおこなわないことも予想されます。地域の生活を守るということ、そして死への向き合い方を考えていただければ幸いです。
はっきり言うと、病院の中には死体安置所がありますし、たくさんの人がほぼ毎日亡くなっています。ただ病院は必要性をみなさん理解していただけているのでしょうから、あまり文句は出ません。
こういう民間の死体安置所も今の状況では仕方がないのかもしれません。自分に返ってくることを考え言葉を発言していただければと思います。中2に大人は負けるな!
ちなみに大田区ではあらためてこのような葬儀関係の建物を建てる際は事前の調整が必要という条例ができているそうです。3年たっても他の地域では...そしてまた住民と企業だけで...
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- 2014年09月07日 11:44
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