長島町の新たな訪問看護ステーション
2014年5月16日(金) 放送
シリーズ終活です。
きょうは患者の自宅などを看護師が訪問して医療的なケアをする「訪問看護」のサービスについてです。
訪問看護は、住み慣れた自宅や地域で最期まで安心して暮らすには欠かせない在宅サービスのひとつですが、県内では、十分に普及していない地域も少なくありません。
長島町もそうした地域の1つでしたが、新たに看護師を派遣する訪問看護ステーションがオープンしました。立ち上げたのは、地域の介護や医療の状況に危機感を持った2人の幼なじみでした。
鹿児島県の最北端にある長島町。人口は1万1000人あまり。
高齢化率32.7%と県全体の平均を上回るペースで高齢化が進んでいます。
島に新たにオープンした訪問看護ステーションです。
開設した介護事業者の社長・大平怜也さん。
そして訪問看護ステーションの所長・赤瀬和寿さん。
2人とも、地元長島出身の35歳です。
2人は近所で育った幼なじみです。幼稚園から同級生。
その後も、高校までずっと同じ学校に通いました。
その後大平さんは出水市の高齢者施設で介護福祉士やケアマネージャーとして働き、「介護の道」を進みました。
一方、赤瀬さんは病院につとめる看護師となり、「医療の道」を歩みました。
先に地元に戻ったのは大平さんでした。去年、生まれ育った長島町で高齢者の介護にあたるデイサービスの事業所を始めました。
しかしデイサービスはあくまで日帰りの介護事業所です。利用する高齢者の生活すべての世話をできるわけではありません。高齢者の中には、自宅での健康管理がうまくできずに持病を悪化させて病院に入院し、自宅に帰って来れなくなった人もいます。
住み慣れた場所で暮らし続けるためには「医療」による支えが必要だと感じていました。
「やっぱり限界ってあるので、普段から看護師とかが関わって症状の軽いうちに病状の軽いうちに早期に病院とかに行ってちゃんと在宅の生活を続けられるというのを漠然とできたらいいなあと思ってるときに、幼なじみの赤瀬くんが在宅看護のほうに進みたいっていうのを知ってたので、声をかけてみたってところですね」
赤瀬さんはそのころ、阿久根市の救急病院の集中治療室で看護師として働いていました。
出身地の長島町から救急車で運ばれてくる高齢者や家族と日々接しながら、自宅で暮らす高齢者の支援こそ重要だと考えるようになったといいます。
「救急車で搬送されてくると、よくなってもこの状態で家に帰れるのかなと、やっぱり不安に思われてそうした話をされるケースもICU(集中治療室)の中でよくあったんですね。家族の方が悩む現状を身近で体験してたので、在宅で支える仕事の重要性をそこで感じることが多かったと思います」。
そして3月に設立された訪問看護ステーション。
幼なじみの2人が介護と医療、それぞれの道で培ってきた技術をいかして生まれ育った町への貢献を目指しています。
長島町では、「訪問看護」が始まりましたが、どんなサービスなのか、よく知られていないため、利用者の数はまだ6人にとどまり、しばらくは赤字が続く見通しです。
ただ、住み慣れた場所で最期を迎えたいと願う人たちにとって、そのことの意味をよく理解できるケースも出始めました。
訪問看護の支えがあれば、病気があっても自宅で過ごせることを知ってもらいたい。
赤瀬さんは看護師3人で、地域をよく知る民生委員をまわることにしました。
緊急時には夜間や早朝でも24時間態勢でかけつけることなど生活を支える仕組みを説明していきます。
(赤瀬さん)
「僕たち当番の携帯電話持ってて、夜中でも必ず誰かが電話に出てなんかちょっと心配だから来てくださいと言われたらすぐに行けるような態勢をとってるので、より安心して自宅でも過ごせるのかなと思ってるところです」
しかし、自宅より病院が安心だと考えている人も少なくありません。
(民生委員)
「もうそういうところは諦めてるところがありますもんね。
特に田舎はですね。最期はもう病院でってなってしまいますから」
「仕事してたりとかいろんな都合があって、(自宅に)連れて帰ってきたいけどできないというのは自分もよくわかるんですけど、僕らが入ることで長く自宅で過ごせたとか、そういった経験があればですねもっと自分たちから積極的にアピールしていって、自宅に連れて帰ってきてくださいって言いやすくなるのかなあと感じますね」。
こうした中、最期まで自宅で過ごしたい人の暮らしを支えてほしいという依頼が先月半ば、初めて入りました。
濱田アキノさん、82歳。
腎臓の病気などの症状が進み、口からものを食べられなくなっていました。
胃ろうなどの延命治療をするのではなく、住み慣れた自宅で過ごしたいという本人の希望に応じて病院を退院し、自宅に戻って来ていました。
(濱田さんの三女・宮下千佳子さん)
「「家がいいです」って往診の先生にはっきり答えてました。
先生もびっくりされましたね。看取りを待つんじゃなくて、楽しく生きる。
残された時間を。そんな気持ちで今過ごしてます」
この日は、ふだんは横浜で美容師をしている孫が、濱田さんにシャンプーをしてあげました。
赤瀬さんも家族をサポートします。
この2日後。濱田さんは家族に見守られながら静かに息を引き取りました。
「本当に和やかに賑やかな雰囲気の中で過ごされてる感じをみると、本当に家を希望されてる方は家に帰ることが本当に素晴らしいことなんだなということを実感させてもらいました。
長島町でも看取りとか最期まで自宅でっていうのが広まっていけばなと思います」
赤瀬さんと一緒に訪問看護ステーションを設立した大平さん。
生まれ育った長島町が、最期まで地域で暮らせる町に少しずつなっていってほしいと考えています。
(大平さん)
「何年何十年とかかって変わっていくものだと思うので 長い目で見て今よりも少しずつ安心して暮らしていける町になっていけばいいなあと思います。
地域住民のためにて言えば聞こえはいいんですけど、将来的には自分のためでもあるので、そこは本気でやらないといけないなと思います」
(大石アナウンサー)
スタジオには取材した池田記者です。
訪問看護ステーション、県内には何か所くらいあるんですか。
(池田記者)
規模の大きな市や町には120か所あまりのステーションがありますが、県内43市町村のうち規模の小さな町や離島の自治体など、16の町と村にはまだありません。訪問看護ステーションをはじめ在宅の医療介護サービスが不十分な地域では、サービスが無いために自宅で暮らすという「選択肢が無く」、いやおうなく病院や施設に入らざるをえなくなるのが実情です。
こうした中、長島町では大平さんと赤瀬さんという地元出身の医療・介護職の人たちが現状を変えようと立ち上がったわけです。
行政が在宅サービスの充実へ向けた環境の整備にあたるのは当然ですが、そこに暮らす人たち自身も、自分自身が年をとって病気や障害を抱えても地域で安心して最期まで暮らし続けるためにはどんな医療・介護・福祉のサービスが必要なのかを考えておくことが、非常に大切なことではないかと感じました。