・ブータンに行っている為末大さんが、
ツイッターで、こんなことを記していました。
<日本では死ぬことは良くないことだ
というのを前提に、医療も、
様々な社会システムも発展している。
生きていることは最も善いことであると信じて
人は長生きをする。>
もともと、死については語りにくいものがありますが、
死を「良くないことだ」という以外のことを言うのは、
「じゃ、良いことなのか?
良いことなら、死を歓迎するのか?」
と問い詰められそうな雰囲気があります。
良いも良くないも、死は、山や海のようにあるもので、
良いだの悪いだのの考えは、後からつくられたものです。
ごく単純に、ぼくにも死はセットされているし、
あなたにも、誰にも、死が必ずくるわけです。
生まれるということと、死ぬということはひとつです。
しかし、ぼくらは、生きている間は、
生きているものの世界しか知りませんし、
生きている世界にたっぷりの未練もあるので、
死ぬ時がくることを、いつまでも待たせようとします。
そして、やがて、そのうちには、
死は「良くないこと」とされていくのでしょう。
生きようとしても、死んでしまう。
これは、あたりまえの事実なのに、
目的が実現しない失敗のように扱われてしまう。
ぼくらは、そういう「気分」のなかに生きています。
死を怖れることも、死から逃げようとすることも、
おそらく自然なことなのだと思うのですが、
生に対して死がやってくることを、
良くないこと、悪いこととするのは、逆に、
一生というものへの冒涜のような気がするんですよね。
殺処分の順番が早く回ってきそうな老犬が、
「ミグノン」にきて、死を迎えることがよくあります。
かつて友森さんが言った、
「わたしがいないときに死んでもいいんだよ」
ということばが、ずっと忘れられません。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
死んだ者の世界から、こっちへの視線を想像してみる‥‥。
ツイッターで、こんなことを記していました。
<日本では死ぬことは良くないことだ
というのを前提に、医療も、
様々な社会システムも発展している。
生きていることは最も善いことであると信じて
人は長生きをする。>
もともと、死については語りにくいものがありますが、
死を「良くないことだ」という以外のことを言うのは、
「じゃ、良いことなのか?
良いことなら、死を歓迎するのか?」
と問い詰められそうな雰囲気があります。
良いも良くないも、死は、山や海のようにあるもので、
良いだの悪いだのの考えは、後からつくられたものです。
ごく単純に、ぼくにも死はセットされているし、
あなたにも、誰にも、死が必ずくるわけです。
生まれるということと、死ぬということはひとつです。
しかし、ぼくらは、生きている間は、
生きているものの世界しか知りませんし、
生きている世界にたっぷりの未練もあるので、
死ぬ時がくることを、いつまでも待たせようとします。
そして、やがて、そのうちには、
死は「良くないこと」とされていくのでしょう。
生きようとしても、死んでしまう。
これは、あたりまえの事実なのに、
目的が実現しない失敗のように扱われてしまう。
ぼくらは、そういう「気分」のなかに生きています。
死を怖れることも、死から逃げようとすることも、
おそらく自然なことなのだと思うのですが、
生に対して死がやってくることを、
良くないこと、悪いこととするのは、逆に、
一生というものへの冒涜のような気がするんですよね。
殺処分の順番が早く回ってきそうな老犬が、
「ミグノン」にきて、死を迎えることがよくあります。
かつて友森さんが言った、
「わたしがいないときに死んでもいいんだよ」
ということばが、ずっと忘れられません。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
死んだ者の世界から、こっちへの視線を想像してみる‥‥。
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