ブログ?好き勝手に書けばいいじゃない!
だって、所詮は個人の日記。その辺の一個人の思考や記録をまとめたログに過ぎず、そこに高いクオリティを求めようとしたら、疲れちゃいまっせ。
もちろん、明確な目的があるならば、話は別。
お小遣い稼ぎをしたいとか、出版を目指したいとか、繋がりを作りたいとか。そんな場合は、それを見越した記事作りやブランディングをするべきでしょうし、心持ちも変わってくるはず。
でも、たとえ自分の思考を好き勝手に書き散らす「チラシの裏」であっても、それを公開している以上は、やはり読者さんの存在は意識せざるを得ないもの。いや、ある程度は意識しなければいけないと思う。
他者(特に個人)を強く否定したり、誰かを傷つけることが想像される内容の記事は公開するべきではないし、誹謗中傷なんて、もってのほか。
そして何より、せっかく読者になってもらえているのだから、読むことで、何か得るものがあるような記事を提供したい。
未知の情報としての「役に立つ」話だったり、そういう考えもあるのか!という「気づき」だったり、おもしろい・笑える・共感といった「読後感」だったり。
それらを引っくるめて、「選択肢」を提供できたらいいな、と僕は考えています。
僕が「はてな」 でブログを始めた理由
僕がブログを頻繁に更新するようになったのは昨年末のことですが、ブログ自体を立ち上げたのは、その更に1年前、2012年末のこと。
当時は会社勤めをしながら、朝晩はネットに繋いで適当にサイトを巡回したり、動画サイトでネタ動画を見て笑い転げていたりしているような生活。そんな中、気になる個人ブログも複数あり、週末にまとめて読んでおりました。
いくつか名前を挙げさせていただくと、コンビニ店長*1さんの「24時間残念営業」、「脱社畜ブログ」「インターネットもぐもぐ」さん、「ライフ・イズ・カルアミルク」さんなど。
この頃は、ネットをぶらぶらしてブログを読んでいる読者の一人でしかなく、ブログサービスがどうの、ということは全く気にも留めていませんでした。
ところが、「僕もブログをやってみたい!」と考えたとき、これらのブログを見なおしてみたら、どれも「はてな」だったという。
評判も良さげだったので、迷わず登録。
選ばれたのは、「はてな」でした。
「隙」のある文章が「別視点」を提示する
何かを勉強したい、学びを得たい、と考えるのなら、最も身近で手軽な手段として、「本」の存在が挙げられると思う。
語弊を恐れず言えば、出版社から見た顧客層や、著者・編集者の思惑の違いなどがあれど、商業誌として出版されている本の大半は、お金儲けを目的としたもの。
当然、体裁も内容も高品質であることを前提として作られているので、読者側も安心して読むことができる。加えて、読んだ人に反感を持たせるよりは、「共感」を狙った構成・文章となるのは、自然なことでしょう。僕自身、基本はなるほどなるほど言いながら読んでますしおすし。
一方、個人ブログとなると、話は変わってきます。時に読者に「気づき」や「学び」をもたらしうるものでありながら、その多くはどこか「不完全」なもの。
誤字脱字がどうの、という点もそう。でもそれ以上に、ブログには「隙」が多い。説得力があり、論理的な文章を書くブロガーさんもいるけれど、どちらかと言えば主観的・感情的な主張が大勢を占めているのが、個人ブログだと思います。そりゃまあ、「日記」ですしね。
ブログを書いている人をバカにしているわけでもなんでもなく、そのような「隙」がある文章は、読者が自分の中で斟酌しやすいものなのではないでしょうか。
言い換えると、迂闊に全肯定することなく、疑いを持って読むことができる。「これは専門家でも何でもない、個人の考えです」といった前提が共有されているので、納得する部分には納得しつつも、「あれ?でもそこは違うんじゃね?」といった思考も生まれやすいのではないかしら。
“本”も“ブログ”も、自分ではない他者の主張・思考・感情を書き記したものであり、自分とは異なる「別視点」をもたらしてくれるという点では、同じもの。
「いや、本だって疑って読むのは当然じゃん」というのも、仰る通りではあるのですが。ただ、個人ブログだと「隙」がより生まれやすく、単に「なるほど!為になった!」で終わるのではなく、その次の段階に思考が及びやすいんじゃないかな、と。
また、そのような「隙」は「共感」にも変わりやすいようにも思える。編集され、整えられた作家ではなく、「個人」であるゆえに身近さを感じるし、余計な力を入れないで読むことができるような。
さらに、自らもブログを始めれば、同じ地平に立って意見を交換することだってできるし、交流することだってできる。これは単純に、“本”と“ネット”のメディアの違いかもしれないけれど。
「選択肢」を増やすお手伝い
その上で、ブログを書く側の人間としては、どんなことを意識したらいいんだろうなー、と考えまして。
究極を言えば、「この本を読んで、人生変わりました!」といった、人を「変化」させるようなことができれば、もう言うことはないでしょう。いや、それもう出版できまっせ。映画化決定っすよ。全米が泣いた。
そこまでは行かずとも、何らかの「行動」を喚起できれば、こちらとしては嬉しい限り。最も身近なものだと、レシピ記事を実際に作ってみたとか、書評記事から本を買って読んだとか、旅行記を読んで足を運んだとか。さらに感想をもらえれば、感動もひとしおでござる。
とは言え、そのように人を動かすのも難しいもの。それに、実際に参考にしてもらったとき、「思ったのと違った!」となっても申し訳ない。あまり考えすぎても疲れますし。
そこで、参考になるかは分からないけれど、ある行動の判断に悩んだときの一例として、「選択肢」を提供できたらいいな、と僕は考えています。
例えば、先ほど挙げましたが、現在も継続して読んでいる「脱社畜ブログ」さんは、働き方に関する「選択肢」を分かりやすく提示されているような印象を持っています。
僕自身、会社員として働きながら記事を読ませていただいて、「そういう考えもあるのか!」と勇気づけられながらも、「でもそれは難しいんじゃないか……」と考えさせられるようなこともありました。
そんなこともあり、弊ブログの「"仕事・働く"」カテゴリーの記事は、脱社畜ブログさんの影響を受けたものとなっているかもしれません。
語り口は全く異なり、僕の場合は自分語りに終始しているけれど。「こういう選択をした結果、こうなった」という経験を書くことで、悩んでいる人の参考になればいいな、と。結果、時たまメールをいただくこともあるので、何かしらの「お手伝い」はできている……のかな?
「こうすべき!」「これが当たり前!」なんて偉そうなことは言えないけれど、「こういうのもあるよー」とか、「こんなことがあったよー」とか、自身の経験や思考を記録することで、どこかの誰かの「選択肢」を増やす手助けとなるのなら。
基本的には好き勝手に書き散らしているだけのブログですが、時にはそのような意識で記事を書いて、それを読んだ誰か、一人にでも益のある内容となっているのなら。……そうなっているのなら、泡沫ブロガー、冥利に尽きるものであります。
個人の日記である以上、あまり深く考える必要はないのかもしれない。
だけど、ブログを書くことに意味を求めたり、読者さんを意識した記事作りをしたりするのであれば。
ひとつ、このような考え方は、いかがでしょうか?
最近、ブログでも真面目な記事を書くときはこれを意識しているつもり。/“読む前と読んだ後で読者の中になにも変化が起こらなければもう読む必要ない” / “「読後に変化がなければ本を読む必要はない」:平野啓一郎『透明な迷宮』vol.1 …” http://t.co/G943HdxuKy
— けいろー (@Y_Yoshimune) 2014, 9月 8
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