昨日、こんなエントリを書いた。これは小学生時代の実話だが、ゆきちゃんの名前はもちろん仮名だ。この話では、クラスメイトがどのような意味を持って「ゆきちゃんがかわいそうだった」と口にしたのかはあえて書かなかった。
あなたのせいで、ゆきちゃんがかわいそうだったよ - 夜の庭から
説明のない言葉が現れた時、読み手は先入観のフィルターを通して語る。実際に、正論を説く人や自分に引き寄せて考える人、過去の出来事を語る人や教育の問題と捉える人、穿った見方をする人etc……さまざまな視点からコメントをいただいた。これだからブックマークコメントを読むのは楽しいし有難い。
ひとつひとつのコメントはそれぞれが読み手の感想だから、どれが正解であるとは言えない。けれども当事者としては事実に則した正解を知っている。『クラスメイトたちの「かわいそう」はゆきちゃんを思いやる言葉ではなかった』の一文を逃さなかった人は鋭い。読み手の声を引き出すために「かわいそう」に続く言葉をあえて省略していたから。
誰かを悪者にすることで、その人達は何もせず善意の人という立場を手に入れようとしたのだろうね。大人でも多い。「お前がやれ、やらないなら一切口出しすんな」だよね。役立たずでもいいから邪魔だけはすんなと
「研修医なな子」の主人公が医者を志すきっかけが、「かわいそうかわいそうと言うだけの同級生に代わってケガしたハトやネコを動物病院に持っていく役回りになったこと」というのを思い出した(あんまり関係ない)
クラスメイトの彼女らが口にした言葉は「おかげで私たちが世話をやらされるハメになった」と仄めかすものだった。つまりは、ゆきちゃんを「かわいそう」と庇うように見せかけて、自分たちに負担が生じた不満をぶつけてきたのだ。弱者の代弁者を装えば自己正当化も容易い。
なかには書き手への先入観から「同情を集めたかったのだろう」「かわいそうだったねと言われたいんだろう」「いい人アピールをしたくて書いたのだろう」と穿った見方をした人もいるかもしれない。限られた情報から真実を読み取るのは難しいし、事実を調べるには手間がかかる。だからこそ心象に頼らざるを得ないのは、仕方がないと思う。しかし印象操作が容易いことも忘れてはいけない。人は脆い生き物だから。
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