Jesus Christ
私の尊敬する人のリストの中に、イエス・キリストが入っています。
私の母が学生時代クリスチャンだったことが原因で、私はキリスト教に別に違和感なく、あぁー神様っているんだなぁ〜って思っていました。
高校に入って、語学が好きだった私は日本の高校を1年で辞め、そのままアメリカの高校へ編入しました。英語の知識なんて全然ない私を受け入れてくれるところなんてあるはずもなく、なかなか学校が決まらない中で
唯一カトリック高校が受け入れてくれました。周りは全員アメリカ人。言葉の壁は辛かったけどとても良い学校でした。
カトリック校のため毎日『聖書』を勉強する時間がありました。日本語で少し読んだことがあった私は、聖書ほど難しい本はないと思っていましたが、英語の聖書を手にしたとき、「あぁ〜こういうことだったのか!」と分かりやすくかかれていて、日本語の難しさを実感しました。
そこで、聖書が面白くなって色々研究していくと、とても大きなことに気付いたのです。それは、キリスト教では『イエスは人類の罪を背負って死ぬために来た』という教えは間違ってるんじゃないか、ということでした。キリスト教で分からないことを質問すると『信じなさい』とか『神のみぞ知るのです』とか、とにかく理論的に納得の行く返事はありません。
イエスだけでなく孔子や釈尊も素晴らしい人だと思いますが、その人たちを尊敬し教えを守ろうとできた団体(宗教)がその人たちがなぜそんなに素晴らしいと言われたのかを研究せずに、ただ教えを信じて守るという僕的な観点だから良くないのかな、と思いました。
この世界は『生きる世界』なので死ぬために産まれた人間なんていないと思うのです。そして、もし死後の世界があり、人間は必ず死んでその世界に行くのであれば、全ての人が死ぬために生まれているのではないかと思います。
何にせよ、イエスも人として生まれたのだから、罪を背負って死ぬのではなく、罪びとたちに罪を償わせるために生まれて、本来であればもっとやるべき使命があったのにもかかわらず、十字架で殺されてしまったのではないかと思うのです。
Posted by emi_828 at 23:28│
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世の中には幸も不幸もない。
ただ、考え方でどうにもなるのだ。
シェークスピア
GCホールディングス レポート【GCホールディングス仙人】at 2005年03月22日 09:16