6:長野の屈辱乗り越え 故郷で満面の笑み
5月1日、下川町の市街を約5千人が埋め、ソチ五輪の祝勝パレードが行われた。オープンカーに乗った同町出身の葛西紀明(ラージヒル銀、団体銅)、伊東大貴(団体銅)、伊藤有希(女子7位)が目の前を通ると、感動して涙を流す人もいた。人口3500人の町の大きな誇りだった。
パレードを先導した伊藤克彦(47)は、満面の笑みで声援にこたえる葛西を見て、16年前の長野五輪後の町内パレードを思い出していた。当時、団体戦に選ばれずに悔しい思いしかなかった葛西は、直前まで乗車を嫌がって伊藤を困らせた。「葛西選手は、車に乗りたくないって言っていたくらいなんですよ」
またこの時、オープンカーの後ろにのぼりを持って歩くジャンプ少年団の選手の中に伊東もいた。16年ぶりのパレードは、少年団を指導する伊藤にとって後輩の葛西、教え子の伊東、そして娘の有希と、3人の卒団生がそろったことで感慨もひとしおだった。
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名寄に住む葛西の姉の濱谷紀子(44)も、晴れ姿を見ようと故郷を訪れた。「昔から知っているおじさん、おばさんが、本当に自分の子どものように声を掛けてくれた」と、町の人の温かさに感激した。その姉が、今回の五輪で驚かされたのは、団体戦(2月17日)で涙を流した弟の姿だった。「まさかの涙という感じで、(個人)銀メダルの時に涙が出ないで、団体で人のために涙を流すなんて、それだけ思いが強かったのかなと思いました」
葛西も、W杯を一緒に転戦してきた仲間を家族のように思っていた。病気だった竹内択は薬の副作用で、伊東はひざの故障で苦しんでいる姿を遠征先で見てきた。結果は銅メダルでも、「択や大貴のことを思うと、本当に良かったなと涙が出てきました」。
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そしてもう1人、日本チームで団体戦のメンバーを外れた渡瀬雄太(雪印メグミルク)のことも、気にかけていた。葛西は団体メンバーが決まった日、渡瀬の心情を察して、選手村に持ち帰ったばかりの個人のメダルを持って、言葉を掛けた。
「僕が長野で味わった気持ちだったと思うので、元気を出させる意味も込めて『雄太、これが銀メダルだぞ。諦めずにやればちゃんと取れるから』とメダルを見せました」
葛西は長野で「腐った気持ちになった」という自分を省みる。「負けた悔しさがずっとありました。でも、今考えると考え方が小さい人間だったなという風にも感じます」。長野五輪の屈辱は、すでに乗り越えていた。
(敬称略)
(スポーツライター・岡崎敏)…
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