孤高を翔ける 葛西紀明【2014 初夏】
5:新しい試み取り入れ ポジティブに進化
日の丸の小旗がゆっくりと振り下ろされた。全日本ヘッドコーチ横川朝治の出したスタートの合図は、異例の遅さだったが「いつ出てもOK」という気持ちが込められていた。一拍おいてスタートした葛西に、横川は成功ジャンプを確信した。「目が合ったような気がして、落ち着いて出たなというのはわかった。あっ、コレは失敗しないなと感じた」
今年2月15日のソチ五輪ラージヒル2本目。133.5メートルを飛んだ葛西に、伊東大貴(雪印メグミルク)、清水礼留飛(同)、竹内択(北野建設)が飛び付いてきた。チームの誰もがわがことのように葛西の銀メダルを喜んだ。
*
葛西のメダルへの戦いは、1998年長野五輪以降、度重なるルール変更などで低迷を余儀なくされた日本チームの戦いでもあった。
「なんでこんなに勝てないんだろうという時期を、(葛西と)ずっと一緒に過ごしていました」と言う横川は、長野でヘッドコーチを務めた小野学(故人)にずっと言われていたことがある。「選手を決める時に年で決めるな、実力で選べ。年寄りだろうが、若かろうが、うまいヤツを選べ」と。2人は北野建設(長野)で師弟関係にあった。
横川は、バランストレーニングを導入したり、綿密にデータを収集してスキー板を短くさせたり、理想の飛行曲線を追究するなど、理論派だった小野譲りの研究心で日本を徐々に復活させた。新しい試みに全日本で率先して取り組んで見せたのは葛西、岡部孝信(現雪印メグミルクコーチ)のベテラン2人だった。「だから彼らは生き残ってきたと思う」
低迷期には、その原因にベテランの弊害が挙げる風潮があった。しかし葛西は、全日本では常に前向きな姿勢で若手に好影響を与え、文句のない実績で逆風を封じ込んだ。
*
葛西のスキー板はソチ五輪時250センチ。2年間で7センチも短くした。長ければ飛ぶという長年の常識は捨てていた。「スキーを短くして、体重を落とせたことで、よりトップに近づけるというイメージを持ってやってきた」と葛西。技術的にも、モモンガジャンプと名付けた独特の空中姿勢を確立し、横川が「歴代の五輪で一番ハイレベル」と言う戦いで、金メダルに1.3点差と肉薄した。
「ギリギリの中でもいろいろな新しいものを探して、ポジティブに進化出来るようにというのは、いつも思っています」
葛西は今日6月6日、42歳になった。メダルを取っても、進化を止めるつもりはない。(敬称略)
(スポーツライター・岡崎敏)…
ここから広告です
北海道アサヒ・コムへようこそ。
身のまわりの出来事やニュース、情報などをメールでお寄せ下さい(添付ファイルはご遠慮下さい)
メールはこちらから
朝日新聞北海道報道センター
別ウインドウで開きます