孤高を翔ける 葛西紀明【2014 初夏】
1:意地、五輪後も戦い続けた
栄光のソチ冬季五輪(ロシア)から半月足らずの3月2日、スキージャンプの葛西紀明(41)=土屋ホーム=は、フィンランド・ラハティのワールドカップ(W杯)第28戦で、人知れず命懸けのジャンプに挑んでいた。
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「これを飛んでもう1本の十字(靱帯〈じんたい〉)が切れたらどうしよう、切れかかっているところが、ブチっと切れたらどうしよう。手術したらジャンプが飛べなくなるのかな、今のジャンプに戻すまでにどれくらいかかるのかな……」
最悪のシナリオばかりが脳裏をよぎった。五輪直後、2月26日のW杯25戦で3位に入りながら古傷の右ひざを負傷。ヘルシンキ(フィンランド)の病院で、靭帯断裂の可能性を指摘されていた。しかし診断は微妙で「切れかかっているみたいな感じだったんです。腫れてもいないし、そんなにひどくはない」。そう自己判断し、W杯はラハティ3連戦の2試合を欠場しただけで復帰を決めた。
五輪では世界最多7度目の出場を果たし、初めて個人メダル(ラージヒル銀)を獲得した。アンカーを務めた団体でも日本の銅メダルに大きく貢献した。ここで大事を取って休む決断もできたし、早々と日本に凱旋して歓喜にひたることもできたはずだ。だが、葛西は休まなかった。W杯に帯同していた全日本ヘッドコーチの横川朝治(48)は振り返る。
「いつ(日本に)帰るとか、いつ(W杯出場を)辞めるっていう話は全くなくて、『行けそうなんで最後のピリオドまで行きます』って、すぐそんな話をしたんです」
勝ちたい気持ちが、不安を振り払った。
「勝てる調子だったので、もう1回(W杯で)『勝ちたい!』という気持ちでしたし、後は総合(優勝)も狙うチャンスって、なかなか来ないと思っていました。来シーズンはもっと良くなるかもしれないし、悪くなるかもしれない。この時しかないと思った」
戦列復帰したラハティでは、痛みからまともに着地のテレマーク姿勢をとることができなかった。結果は9位。しかし、手負いの状況でベスト10に入って見せた執念は凄(すさ)まじい。
「自分でも本当にすごいなと思いました。『飛んじゃうんだな』『飛べる勇気があるんだな』って。(W杯)後半戦はいろんな思いをしながら出た試合でしたね」
一発勝負ではなく、世界最強を決めるW杯こそ、葛西の生きてきた場所だった。だからリスクを冒しても決して諦めない。ここで25シーズンもトップで戦い続けてきたことに、葛西の意地とプライド、真価がある。
葛西はシーズン最終戦まで出場を続け、結局シーズン2勝目も、個人総合優勝も成らなかった。しかし、初戦を除き22試合連続10位以内という自己記録を作り、いまだに進化が続いていることを証明した。41歳五輪メダル以上に価値のある戦いだった。
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葛西は今、沖縄の宮古島でチーム合宿終盤を迎えている。帰国後、右ひざ軟骨損傷と診断されたケガも順調に回復。真っ黒に日焼けをして、新たなシーズンに備えている。すでに、前人未到の孤高の歩みが始まっている。(敬称略)
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五輪後の葛西を追いながら、世界で飛び続ける伝説、人を引き付ける魅力の原点を探究していく。
(スポーツライター・岡崎敏)
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