小学生の頃、私は身体障害を持つゆきちゃんと給食当番のペアを組んでいた。今となっては彼女の障害の詳細は思い出せないが、ゆきちゃんは半身麻痺を抱えており右手右足が不自由だった。
photo by Brandon Christopher Warren
ゆきちゃんは身体の不自由など物ともせずに健気に頑張っていた。とはいえ階段の昇り降りや体操服への着替えなど、いくら彼女なりにコツを掴んでいると言っても、授業の始まりを告げるチャイムの音に間にあわせるのは難しかった。当番を通じて仲良くなった私は、いつしか彼女の世話役の座に収まっていた。世話役だなんて言うのはおこがましいし失礼かもしれない。けれども周囲のクラスメイトからもそのように思われていた。
ある日、私はインフルエンザに感染して学校を休むハメになった。熱にうなされ動かせない身体に無力感を覚えながらも、頭の片隅にゆきちゃんの存在が浮かんでいたのを覚えている。しかし、そうは言ってもウイルスに侵された身である。他の生徒に感染させるわけにはいかず、二、三日で熱が引いた後もすぐには登校させてもらえずに自宅待機となった。ゆきちゃんのことはクラスメイトが協力して助けてくれるだろうと思いながら。
一週間後、ようやく体力も回復し通学許可が降りて登校すると、クラスメイトは開口一番にこう言った。
「あなたが休んだせいで、ゆきちゃんがかわいそうだったよ」
たしかにそのとおりだった。私が登校できなかった間に給食当番がまわってきていたのだ。私がいない間、普段と違うやり方をして彼女に負担がのしかかっていた。それは素直に申し訳ないと思う。ところがクラスメイトたちの「かわいそう」はゆきちゃんを思いやる言葉ではなかった。
ゆきちゃんは、自身のことはさておき真っ先に私の体調を気にかけてくれた。肩身の狭い思いをしただろうに……。気丈に振る舞いう彼女に私は胸が傷んだ。
そんなクラスメイトたちも読書感想文には「いじめは良くない」だの「困っている人は助けないといけない」などと立派な文章を書き連ねていた。優しさってなんだろうね。