先日29歳を迎えて、思ったんです。
“私は病気になってよかった”
生命を落とす病気ではないから、そんな呑気なこと言ってられんだって思われるかもしれない。思ってくれてかまわない。
体も心も健康で働いてお金を稼ぎ、家族や大事な人と美味しいものを食べたり楽しいことを楽しいと思えたり、悲しいと思って涙が自然と流れたり。
何それ普通じゃん?って思われるかもしれない。普通の定義がなんだかわからないけれど、サザエさんみたいな、まるちゃんみたいな、そんなおうちで育ってみたかったな。
そんなおうちで育ってみたかったと思う憧れの気持ちは年齢を重ね、いつしかどす黒い何かに変わっていった。
親切にしてくれた周囲のことを信頼できず、愛だの恋だのくだらない、男の性処理のためなら別に、恋愛ごっこなんてしなくていいし、不倫でいいじゃんって思ってた。家族や夫婦というものから目をそむけ、この世に絶対はない、仕事が私にとって唯一の心のより所であり、仕事だけは結果を残せば評価がついてくる。
世の中、金。
劣等感の塊だったと思う。
神様がいるのかわからないけれど、もしいるなら、きっとそんな私に天罰がくだったんだと思う。
職場でパタリと倒れ、精神科に入院し、仕事ができなくなった。
大げさだよ?と周囲には言われたけど、虚しくて自分の存在意義がなくなり、生きることがしんどかった。
そんな私に可愛い姪っ子ができました。
彼女のまるっこい小さな手に腕を掴まれて「あんず、ここ痛い痛いなの?どうしたの?」とキラキラした純粋な目で聞かれたとき、瞬時に腕を払いのけて手首を隠して、必死に笑顔で大丈夫だよって言ったと思う。
きっと姪っ子は忘れてしまっていると思う。
でも、あれ以来、私は自傷をすることをやめた。
こんな純粋な子の周囲に私みたいなどす黒い人間が居てはダメだって思った。
自分が不妊だから、子供が授かれないから、仕事へ逃げていた自分が恥ずかしい。
自分のせいにしたくなくて、悪いことも沢山した。なんじんさんを無意味に傷つけたことも申し訳ないと思ってる。
以前までは、子供服をみることもしんどかった。
不妊治療はお金と時間と心が削れて、虚しくて、すれ違う子供をみると泣いていた。
でも今は、姪っ子とお揃いの服を買っちゃうほどの叔母バカだ。
姪っ子がいなければ、たぶん私は自分の病気を悲観してばかりで、人の幸せを喜べないような心が寂しい人間だったと思う。
あと数年したら、「は?あんずクソババアだし」とか言われるんだと思う。
今みたく一緒にお風呂に入ってくれたり、毎週のように会ってくれないと思う。
もうすでに「ランドセルは、このパープルのやつ可愛いじゃん?」とさりげなく、パンフレットを渡されて、せがまれてる。
いいの。私、姪っ子のヒモでも。
姪っ子のおかげで、笑ったり怒ったり悲しんだり、泣いたりできるようになった。
仕事やプライベートで無理が重なったり体調が悪くて横になっていると、ぽぽちゃんとアンパンマン人形をそばに置いてくれて、ハンカチを私にかけてくれる。(たぶん布団なんだろな?)
仕事も正社員ではないけれど、働かせてもらっている。
自分の病気を伝えて、それでも、一緒に働こうと言ってくれた上司や周囲に感謝している。
以前は逃げ道として仕事にとりくんでいた。
今は違う。
ご利用様にも自分の病気を話すようにしてる。
これがいいのか悪いのかわからないけれど、私は立派な支援者ではない。
こんな奴が福祉職員をやってちゃだめですかね。
福祉従事者に変わりはありません。
でも私はそのまえに人間です。