多数のビデオゲームBGMや音楽ゲームでオリジナル楽曲を作曲、編曲、プロデュースを担当し、現在はカプコン初の本格音楽ゲーム・iOSアプリ『CROSS×BEATS』のプロデューサーを務める“NAOKI”こと前田尚紀氏。
CROSS×BEATS、太鼓の達人、BEMANIシリーズをはじめとした数々のゲームミュージックに限らず、メジャー流通から自主制作音楽まで幅広いフィールドで活動し多くのコンポーザーに影響を与え続けている”Tatsh”こと清水達也氏。
beatmania IIDX収録曲「RED ZONE」を共作したNAOKI氏とTatsh氏による、初のスペシャル対談が実現した。
常に「革新」を心がけるNAOKI氏と、JBG音楽院の講師として、音楽教育という新たな活動の幅を広げたTatsh氏。
現代のゲームミュージックを牽引しながらミュージシャンとしても10年以上の親交がある二人の会話は、お互いが作曲を始めたキッカケ、ゲームミュージックの明瞭期の作曲法、作曲テクニック以外にも学んで欲しい大切なことなど、プロとしての意識論にまで発展した。
NAOKI氏がゲームミュージックの世界に足を踏み入れるまで
DDRブームの中、サウンドの役割が変化
NAOKI: ちょうど、PSが出てきた時期ではあったけども、僕はアーケード配属だったんでROMベースで、故に専用ツールで音をプログラムして、演奏データをROMに詰める制約の中で音楽を作らざる得ず…(汗)何せそれまでロックやポップス、はたまたクラッシックをやってきた人間だったので、この状況がイヤでイヤでしょうがなかったね。
Tatsh: そのときに、仕事として音楽を作りはじめたと思うのですけど、なにか、現場で学んだ事とか、なにかありましたでしょうか?
NAOKI: 当時のゲームミュージックはまだまだ8音や16音の制約のある世界だったから、似て非なる曲創りにならざる得ず、とにかく当時の先輩方の仕事っぷりを見させて頂きながら、アクセク日々勉強という中で、とにかく必死に仕事としての音楽に挑んでました。出来上がった曲の評価はすこぶる低かったね…本気で落ち込んだ日々の記憶があります。プロの道は厳しいということを思い知らされました。
Tatsh: そういえば、はじめてNAOKIさんが手掛けたゲームのステージ一面目の曲が、ぜんぜんできなかった事に苦労したって話を聞いたことありましたね。
NAOKI: そうなんよ、この1曲がなかなか、OKをもらえなくて、本採用される内容になるまで、半年くらい時間をかけた記憶がありますね。
Tatsh: その曲がようやくOKになって、なにかわかった事とか、発見はあったんですか?
NAOKI: そうねぇ、やっぱり、ゲームミュージックにはゲームミュージックならではの職人芸があるって事を思い知らされたって感じやね。今でも曲を作るときはリアルタイム入力でやってるけど、当時のゲームミュージックはステップ入力だったり、0~127の数字を使ったり、1パートはモノフォニックだったりで完成系を描いてからじゃないと作れないって難しさがあった。容量の問題もあったから、ここはループさせてとか…とにかく、まぁ、ならではの技術がすごく要求されてた。
Tatsh: 今は、なかなか、そういう技術を見せる場って、ほぼないですもんね。
NAOKI: そうこうしてるうちに、入社して2年目でとあるタイトルでBGMを全て任されました。当時所属していた会社のシューティングゲームのBGMを任されるってのは、サウンド担当としては誇らしい事だったらしく、先輩方にチクチク、生意気だとか言われながらも、任命して頂いた上司の期待に応えるために、一生懸命に努めた結果、社内での僕に対するクリエイティブ評価がちょっと上がったみたいで(苦笑)。という背景があれど、ゲームを含めたBGMとしての音楽ではなく、主役としての音楽を評価される場を求めている気持ちは変わらなかった。当時はまだまだ、ゲームに於けるサウンドの地位は弱く、低くで…、チームメインメンバーにも換算されないヨソモノみたいな…。
Tatsh: 僕が入ったときには、サウンドの地位は高くなった後でしたね。
NAOKI: ゲーム業界に入ってから、シューティングやカーレース、格闘やパズル等のゲームBGMを担当する中で、ゲーム中に於けるBGMの儚さを思い知らされる出来事が何度もあったりで、そんな状況に疲れ果てるかのように、いつしか人の仕事を評価するような立場を目指すことを考えたり、曲作りメインよりも、効果音メインにやったりとかして、とにかくウズウズしてたわけさ。
Tatsh: そのまま行くと、音楽家ではなくなっていきそうですね。
NAOKI: そうしたら、アーケードシーンでDJゲームがデビュー、これが流行し出して、DJに対抗して「踊り」という事でダンスゲームの開発がはじまったんですよ。当時はダンスミュージックに詳しいサウンドの人間がかな~り少なかったもので、自分がアサインされ、いよいよ「音楽があって成り立つゲーム」に出会えて…、水を得た魚如く、仕事に無我夢中で打ち込んでましたね!
Tatsh: そうですね、音楽ゲームに於ける音楽は、BGMとしてではなく、メイン級の役割を担う重要なポジションですからね。
NAOKI: とは言ってもね、初期はサウンドのポジションはチームの中でも低く、タイアップ先の楽曲を選曲したり、ゲームに組み込んだりするというのが業務だった。でも、それでも、大衆音楽に触れられているって事はすごく嬉しかった。
Tatsh: 実際に、ゲームの中にオリジナル曲が収録されるキッカケとかは、具体的になにかあったのでしょうか?
NAOKI: これは通常のゲームメイキング的な考え方で、ザコがいてボスがいて、ゲームの最後には大ボスがいて…みたいな感じで、やはりゲームにはボスが必要とのことで(笑)「ボス曲」と呼ばれる最高難易度の楽曲を作ってくれ、とチームから要望されて作ったんよ。ここが、「ボス曲」という呼び名の起源ですから覚えておいてくださいね~。
Tatsh: はい!覚えておきます!(笑)
NAOKI: その最初のボス曲が「PARANOiA」だったんですよ。これはやっぱり、ライセンス曲ではテンポの問題とかで作りずらいというのも作るキッカケとなった一つだった。
Tatsh: その音楽ゲームの楽曲作りっていうのは、とても面白いですよね。まずは、BGMとしてのゲームミュージックがあって、その後に音楽が主役として、ゲームのBGMではなくなった。
その音楽に対して、「ゲーム的発想」が盛り込まれたという点で。 僕も今まで、何曲かボス曲という位置づけで楽曲を制作しましたが、過去のゲームミュージックとも既存の大衆音楽とも違うイメージを持っています。
NAOKI: そういうふうなチームの意向もあって、色々なオーダーを受けつつ、自分の意向も入れつつ…「PARANOiA」を作って、結局この曲だけが初代に盛り込まれたわけ!そんな僕が担当していたダンスゲームが社会現象になる程ヒットしよって…。「PARANOiA」って、アーティスト名が「180」っていうBPMだったわけだけど、ある日お偉いさんに呼ばれて、「180って誰やねん?!」となって、当時の業界では自分の名前を出すって事はタブーだったのだけど、お偉いさんの指示もあって、チームのリーダーから「NAOKI」という名前で曲を出して行ったら?って事になっていったわけさ。
Tatsh: たしか、そのときのチームリーダーの方は、僕も会った事ある方ですよね。
NAOKI: 「PARANOiA」の評判が良く、2ndからはオリジナル曲が脇役ではなく主役として、どんどん曲を作ってほしいと言われ、もうガムシャラに曲作りまくった。確かこの時期に「BRILLIANT2U」を勢いのままに作った記憶があります。
Tatsh: お、「SPEED RAVE」が誕生して、だんだんとNAOKIさんとの共作だった「RED ZONE」へと話が近づいて行っていますね。
NAOKI: 2ndのときは、それでも、予算が限られていたのでボーカルを収録するというところまでは予算がなく、フリーサンプルなどを駆使して、どうにか歌っているように作ってみてた。
Tatsh: 僕がNAOKIさんに知り合った頃に、どういう曲を作っている人だろう?って調べて聞いた曲が、たしか、その「BRILLIANT2U」か、「B4U」だったと記憶していますね。
NAOKI: 担当していたダンスゲームの2ndもヒットして、サントラCDをリリースする機会に恵まれまして、これ、ゲームミュージックのサントラとしては異例のヒットを記録したんですよ。。ハーフミリオンとか、トータルではミリオン以上売れたと思われます。販売元のレコードメーカーさんからいわゆるゴールドディスクみたいな盾をもらいまして…このような結果にも恵まれて、自分の身の周りの環境もだんだん整ってきて、機材もデラックスになって…その時期くらいにLogicAudioを導入したと思う。
Tatsh: JBG音楽院では、Logicで講義を行っているわけですが、なにか、NAOKIさんがLogicにした理由ってのはあるんですか?
NAOKI: 僕は元々、クラシックの人間だったんで、Logicは譜面に強いって聞いて、Logicにしたんだと思うで。
Tatsh: そうだ…!そういえば、NAOKIさんは、珍しくピアノロール画面ではなく、スコアウインドウで楽曲制作を進めていくんですよね。
NAOKI: そうなんですよ。僕はリアルタイム演奏、譜面メインで作っていくスタイルですわ。話は大きく変わりますが、音楽ゲームに携われたことにより、何だか社内の地位というか、ポジションが知らぬ間で向上していきまして(苦笑)相応のポジションを頂き、いつしか音楽ゲームタイトルのサウンド部分をマネジメント、プロデュースする立場となり…。有能な人を探している中で、才能の宝庫に感じたTatshと出会い、仲間に引き入れることができたわけです。
Revolution&Innovation
Tatsh: 音楽ゲームにおけるサウンドの役割っていうのはかなり大きいですよね。RPGなどの敵モンスターとしてやボスモンスターの要素をサウンドが担いますしね。それは、僕も強く、感覚として捉えているところです。
NAOKI: 確かに。通常のゲームでの役割、立ち周りとは大きく異なるよね。これが宿命といいますか(苦笑)例えば僕の場合は、企画原案を出すことからはじまり、プロデューサーとしての立ちまわり、これは企画書作成、収益プラン立てや予算取り、制作スケジュール計画、PRディレクション/イベント対応/タイアップ獲得等をすることになるかな、それと収録楽曲周りのプロデュースと自らによる楽曲制作…etc。このスタイルって、音楽業界でいうところの欧米のミュージックプロデューサーに近しい側面があると思ってます。それと、音楽ゲームのサウンドに関しては、『良い楽曲を作る』というだけではなくて、Tatshみたいにユーザー視点を忘れずに、音楽ゲームのための「音楽」を作れる人をいつでも探していますね。音楽を作れるという事は当たり前な上で、高いクリエイティブセンスを持ち合わせている事が重要ということです。
Tatsh: なかなか、センスに関しては、教える事は難しいですし、教えられるものでもないかなと思いますね。
NAOKI: そうね、楽曲を聞いたときにボーカルラインを注意深く聞くのか、アレンジを聞くのか、ノリを聞くのかもセンスによるものだしね。そういう音楽的センスも持ち合わせながら、ゲームが好きって事も音楽ゲームを作る上では1つの重要な要素だと思う。それはゲームを理解しているって事かも。
Tatsh: その「ゲームを理解する」って事は、具体的にはどんな事でしょうか?
NAOKI: ゲームはデジタルエンタティンメントの一つとして、どういうふうにすれば、プレイヤーが楽しんでくれるか?って事を意識してるって事。「オレはオレが好きな曲作りたいんだよねー!」ではないって事。そういう点は、Tatshは知り合ったときから、しっかり出来ていた部分だよね。
Tatsh: ありがとうございます!やっぱり、そういう点に関しては、10代の頃にCM音楽を作っていた時期に当時のCMディレクターさんらから、求められているのは「商品が売れる音楽、商品を売り出す、後押しするための音楽」というダメ出しをもらったのが、良い経験になっていると思います。
NAOKI: Tatshは天性のセンスであって、もともと感性が高いタイプだったんだと思いますよ。自分を表現できるチャンスに巡り合う都度、才能を更に開花させていけるタイプかと。
Tatsh: 僕としては、世代的に、ちょうど、音楽ゲームの始まりのときに中高生だった世代と同じだったからかなとか勝手に思っていたんですよ。実際に、今、コミケなどで音楽を発表している世代は、ちょうど同世代な方も多いですし。NAOKIさんの音楽を聞いていたって人も、よくいますよ。
NAOKI: そうなんや…しかしTatshは精力的に色々と活躍しているよね。ホンマ頼もしい限りですわ。Tatshのように、音楽的スキルだけではなく、お客さんを楽しませるっていう姿勢も是非、学んでもらいたいなって僕は思います。あとは、センスを磨け!って事やね。音楽をすごーく大好きになってほしいし、しつこいくらいに好きになった音楽を聞きまくるとか。
Tatsh: あー、そういう事は授業でも言っていますね。なんとなく、1曲を何度も聞くんじゃなくて、集中して、何十回、何百回と聞けば発見があるって事を伝えています。
NAOKI: 脳汁が出るまで、聞け!って事ですわ。
Tatsh: それ、、オレ、そんなに毎回、毎回、脳汁が出ていない…でも、NAOKIさんの「SPEED RAVE」を踏襲させてもらって作った「RED ZONE」ですけど、あれは、作ったときにも、リリースして評判が良かったときにも、自分でも良さは全然分からなかったんですよね。ただ、実際に自分が「RED ZONE」をプレイできるくらいに腕前が上がってきて、クリアした時に、プレイ中では脳汁が出ていましたね。そのときに、なにか掴めたものはあったかもしれません。
NAOKI: まぁ、Tatshはそういう意味では、ユーザーニーズを敏感に感じ取る事と、それを具現化できる二つのエレメントを持っているって今でも僕は思っている。だからこそ、それを羨ましく思う人間も過去にいたんちゃうかな。既存のルールや概念を打ち破る力もあったわけだしね。
Tatsh: ありがとうございます。
NAOKI: 僕の場合はね、それを「Revolution」であったり「Innovation」って言葉に含めているつもりでもあるんですよ。世の中には、誰が決めたかわからないルールであったり、既存の概念ってものがある。でも、何かが足りない、実はこうあるべきでは??と思える時がきたならば、それを打ち破っていく勇気やパワーが必要だと思う。
Tatsh: ありますね~(笑) やはり、僕も自分のためではなく、多くの人たちを楽しませるためには、変えていく努力であったり、勇気は必要だと、常々思っています。
NAOKI: それが「Revolution」であったり「Innovation」というスピリッツの中にあるわけで、これからもTatshには独自の行動を突き進んでいってもらいたいって思うね。
新しいフェイズで皆さんとお会いできるかもしれません。
NAOKI: 音楽ゲームでの楽しさっていうのはわかっているつもりで、現状には満足できない性格ですので、新しい楽しませ方については、日頃から考えています。僕はソーシャルアプリとしての要素でCROSSxBEATSを面白くしていきたいと思ったんですよ。住んでいる地域や場所によっては、なかなか、近くにゲームセンターがあるわけでもない。そういうところでゲームセンターを身近なところで感じれるという要素をCROSSxBEATSでは強く意識しました。
Tatsh: たしかに、僕はCROSSxBEATSを楽曲を提供し終えた後になりましたが、実際にiPadでアプリを起動したときにはゲームセンターにいるような気分っていうのが起動時から感じれましたね。たぶん、それは、やっぱり、アミューズメントゲームを長く作ってきたNAOKIさんのプロジェクトだからじゃないかなとも思います。
NAOKI: それで、遊び方については、楽曲を買い切りパックのほうがいいのではないかとか、賛否両論はあった事は確かだし、認識しています。
Tatsh: まぁでも、例えばMMO-RPGやオンラインゲームでの分野でも、F2Pのゲームがいいのか、月額制がいいのかとか、賛否両論ですし、どちらがいいかって話は難しいとこですよね。(補足:F2P=FREE TO PLAYの略で、ゲーム自体は無料でプレイでき、アイテムなどは課金制のゲームの事。)
NAOKI: そういう意味で、CROSSxBEATSのチャレンジは家でもアーケードゲームを遊んでいるような気分というのがコンセプトでしたね。CROSSxBEATSの今後なのですが、もしかしてもしかすると…?何らかこの先に大きなインパクトが起こり、新しいフェイズで皆さんとお会いできるかもしれません。
Tatsh: ぜひ、そのときには、ご協力させて頂きたいなって思っています!
NAOKI: もし、実現できた場合は、Tatshの楽曲提供はもちろんのこと、Tatshの生徒であったりでも、採用するように窓口は広げたいと考えています。
今、音楽を学んでいる方や、これから、音楽を学ぶ方へ
Tatsh: では、今、音楽を学んでいる方や、これから音楽を学ぶ方へメッセージなどありますか?
NAOKI: 音楽理論であったり、音楽的スキル、技術スキルっていうのは持っていて損はないと思います。でも、それだけに囚われる事はなく「自分らしさ、自分にしかできない事、自分にしかできない音楽」っていうのをやっていってほしいですし、それが一番、良い音楽ができると僕は思いますね。打ち込みの音楽では、現在ではどのジャンルの音楽でも、テンプレートっていうのは存在していますので、その活用により簡単に音楽をつくれる状況にはありますが、果たしてそれが自分らしい音楽なのか?は僕は疑問に思うところがあります。自分らしい音楽を、ゼロから作って欲しいと思う気持ちは強いです。
Tatsh: たとえば、そのオリジナリティというのを見つけるためには、NAOKIさんはなにが必要だと思いますか?
NAOKI: やっぱり、それはクリエイティブセンスを磨く事でしょうね。それは、音楽だけではなく、人生経験ってのも影響してくると思います。
Tatsh: うんうん。良い音楽はできるけど、アルバイトをした事がないって言う人とかもいたりすると、やっぱり、音楽以外の色々な事もやってみるべきですよね。僕もNAOKIさんもプロとして音楽をやっていく中で、音楽以外でも、日々、色んな経験をしていますしね。
NAOKI: 絶対に、人生経験が豊富な事は音楽を作る上では必要なので、色々な事を感じて、色々な事に泣いて、笑って。喜怒哀楽を体験する事が、僕は重要だと思います。
Tatsh: そうですね、おっしゃるとおりだと僕も思います。今日はお忙しい中、対談ありがとうございました!
NAOKI: こちらこそ、ありがとうございました。また、よろしくお願いします!
Profile
ゲームプロデューサー兼ミュージックプロデューサー。
音楽ゲームの革命・進化・革新を掲げ、多数の音楽ゲームを手掛ける一方で、音楽アーティストとしても多数の名曲を残す等、個性と才能を発揮しマルチに活躍中。
2013年冬、新世代音楽ゲームプロジェクト第一弾となる”CROSS×BEATS”(iOS音楽ゲームアプリ)を立ち上げた。
・wiki / 前田尚紀
Profile
10代の頃よりTV番組やCM音楽などの制作を開始し、以降、コナミ株式会社(現・コナミデジタルエンタテインメント)に入社。
BEMANIシリーズのゲーム制作、楽曲制作、サウンドディレクションに携わり、(『beatmania IIDX 13DistorteD』まで)、他のBEMANIシリーズにも楽曲を提供。
2008年からは個人事務所TatshMusicCreativeを立ち上げ、TVアニメ主題歌・ゲーム主題歌の楽曲提供を行う傍ら自主制作のTatshMusicCircleオリジナル音楽シリーズ、東方projectアレンジCDシリーズを発表。
2011年10月27日には待望の1stアルバム「MATERIAL ⁄ Tatsh」をコナミスタイルより発売。
2014年現在 発表した楽曲は250曲以上
・JBG音楽院 サウンドクリエイト科講師:清水達也
http://sound.jbg-ongakuin.com/instructor/shimizu/
・コナミスタイル特設ページ
http://www.konamistyle.jp/sp/tatsh_material/index.html?style=DB
・Tatshのブログ(TAT)/
Tatsh: 対談でございます。今まで一緒にインタビューを受けた事は雑誌メディアなどでありましたが、今日は僕がインタビュアーとしてNAOKIさんにいろいろ、聞いていこうと思います。
NAOKI: 了解です!
Tatsh: あまり、今まで聞いた事もなかったのですが、過去にNAOKIさんが音楽的教育を受けたときの事から教えてもらえたらと思います。
NAOKI: 幼少の頃、4歳のときに、親が自分がピアノを弾きたかったという気持ちもあって、息子である僕に習わせたのが最初のきっかけですね。
Tatsh: 両親もなにか楽器をやってらっしゃったのでしょうか??
NAOKI: いえ、両親は演奏をしていたわけではないですね。ただ、音楽は好きだったみたいですよ。特に母方のほうが、もともと、ピアノをすごい弾きたかったので、音楽に憧れみたいなものは持っていたみたいですね。それで、小学校、中学校、高校とピアノをずっと習ってました。
Tatsh: けっこう、両親の勧めでピアノを習ったっていう人は多いと思いますけど、途中で辞めなかった理由などはあるのでしょうか?
NAOKI: 辞めなかった理由は、たぶん、自分が音楽が好きだったからだと思うのですよ。弟もやっていましたけど、小学校のときに辞めていましたね。
Tatsh: ではやっぱり、習わされたという事でも好きじゃないと続けていけないわけですね。習っていたのは、エレクトーンではなくクラシックピアノなのですよね?
NAOKI: そう。僕自身は元々、クラシックなんですよ。小学校高学年のときにアメリカのハードロックグループのジャーニーをラジオで聞いたときに、「なんて音楽があるんや!!?」と感動したわけですよ。こういう音楽やってみたいなと思って、楽器は目の前にピアノがあったので、ピアノで耳コピをしたんですね。
Tatsh: うちのJBG音楽院の北田講師もNAOKIさんと同世代なので、その辺りの洋楽ハードロックのコピーはよくやったって聞いたことありますね。
NAOKI: そのジャーニーの「セパレートウェイズ」に出会ってしまい、自分の音楽感が変わっていったんですよ。
Tatsh: どういった感覚に変わっていったのでしょうか?
NAOKI: 自分は、元々、ピアノで演奏という形で音楽に入っていったわけですけど、ロックやデュランデュランなどのニューウエイブミュージックを聞いていくうちに、コードであったり色々な物が自分の身体の中に入っていったんですね。中学校くらいから自分で曲を作りたくなっていきましたね。まぁ、でも、まだ、作曲というよりもコピーしたものに対して、自分でアレンジを加えるような事をしてましたね。
Tatsh: あぁ、それは僕も似たような事をやっていたかもしれないですね。ただ、コピーするわけではなく、自分なりの解釈を加えるみたいな。
NAOKI: そうです、そういう感じだったね。それで中学卒業くらいのときにRolandJX-8Pを買ってもらったわけです。これは、Jupiter8の廉価版みたいな感じのシンセ。
Tatsh: たしか、そのJupiter8は、デュランデュランのニックローズが使ってたって聞きますね。
NAOKI: Jupiter6とかもあったのだけど、何十万コースだったので、それでも20数万円のJX-8Pを買ってもらいましたね。
Tatsh: 僕も最初のシンセは定価が18万円とかで、中古で10数万円とかでしたね。でも、今じゃ、Logicが2万円以内ですよ!
NAOKI: それで、高校になったら、シンセ持ってるわけだから、デュランデュランの「Save A Prayer」とか、ポルタメントかかってるフレーズとかシミュレーションしてたね。ま、耳コピやね。
Tatsh: やっぱり、当時はギターを持ってるとか、弾いてるって人のほうが多かったんですか?
NAOKI: シンセを持ってるって人もいたけど、自分の周りではそんなには多くはなかったんじゃないかなぁ…。
Tatsh: ちなみに、音楽でプロになろうと思ったのはいつからですか?
NAOKI: 高校です。高校1年のときには、作曲してたし、すでにそう思ってましたね。当時はバンドブームがあって、ロックに傾倒していって、僕が作詞・作曲・ボーカルをやるバンドを作ったりしてました。
Tatsh: 時期でいうと、80年代後半くらいですかね。
NAOKI: デモテープは、シンセとYAMAHAのドラムマシンを打ち込んだりがわからなかったので、手でパッドを叩いていれてましたね(笑)
Tatsh: ドツパツドツパドと…。ドラムマシン・リアルタイム演奏は熱い!是非、そのときのデモが残っていたら聞いてみたいですね。
NAOKI: それで、ギター弾いてるやつに来てもらって入れてもらったりしてたから、サウンドはロックだったんですよ。
Tatsh: 幼少期はピアノを弾いて、その後にシンセでポップスに入って、その後、ロックへ行きみたいな感じだったんですね。僕は、ちょうど10代の頃に音楽学校の仲間らとバンドをやったりしたんですけど、ギターの人とかが「ミッシェル・ガン・エレファント」とか好きで、シンセとかがない音楽だったんですね。んで、「ギターのパートをシンセに置き換えてやってみれば?」とか、そんな感じの話になったりしてましたね。そういう事があったりして、だんだんと自分が音楽でなにをしたいかとかがわかって、宅録くんになっていきました。どちらかというと周りの仲間と力を合わせる事よりも、自分が中心となって音楽を作っていく方向を目指して、女性ボーカルやギターの友達とデモを作りはじめたりしましたね。
NAOKI: そうだねぇ、シンセだとなかなか、ロックバンドの中には入っていけないもんね。
Tatsh: まぁ、元々、バンドに憧れて音楽を始めたってわけでもなかったですが、それがやっぱりキッカケとしては良くて、自分の中でどういう事をしたいのかわかって、そのときは、けっこう悩んだ事ではあったけど、今になれば、良い経験でしたね。
NAOKI: 僕もそういう感じで、自分がしたい事があったりで、なかなか、思うようには上手くいかなかったね。バンド活動は5年間くらいはやっていましたね。高校卒業して大阪で頑張っていたけれど芽が出ず、親からの命令もあって大学を受けましたね。
Tatsh: それが大阪芸大ですね。たしか、音楽学科ピアノ科で入学したと聞いた事があります。
NAOKI: そうそう、それで、大学ではクラシックばりばりのをやりつつ、裏ではバンドをやったりしてました。
Tatsh: そのときのバンド名を聞いちゃったりしてもいいですか…?
NAOKI: えっと、恥ずかしいけども、ページェンスとかスキャンドールとか付けとったね。髪の毛、赤かったり、ツンツンだったりだったね。
Tatsh: 思ったよりも恥ずかしい名前ではなく、スタイリッシュな名前のバンド名ですね。
NAOKI: Jそんで、大学も終わりに差し掛かり、クラシックで音楽の先生の道ではなく、やっぱり大衆音楽、J-POPをやりたいって想いがあったね。
Tatsh: 時代的には91、2年ってとこでしょうか。DDRブームまで、あと数年のところまで、話が進んできましたね!
NAOKI: それで、そのときにはビーイング全盛期でBADオーディションに応募したりしました。
Tatsh: ちょうど、僕が音楽を聞き始めた頃がその時期くらいだったので、知っている音楽が重なってきましたね。
NAOKI: そうしたら、BADオーディションにひっかかりまして、東京六本木に行くことに。
Tatsh: そのあたりの話は、昔に聞いたことありましたね。
NAOKI: とはいっても、すぐにデビューではなく、まずはボーヤからって事だったわけで。「それでも上京するんや!」と、大阪の実家に説明しに戻ったら、ここまで通った大学を辞めるなんてと、かーちゃんに泣きつかれまして。結局、渋々、僕は大学を卒業する道を選んだわけですわ。東京への道はそこで閉ざされたわけですが、知人の紹介があって、KONAMIに入社するという経緯になっていきました。
Tatsh: そして、エンゾニック前田になっていくわけですね。
NAOKI: そういう事でゲームミュージックの世界に足を踏み入れました。だから、元々はゲームミュージックをやりたかったというわけではないんです。
Tatsh: 僕も最初は、ゲームミュージックってどうしても、制限のある音楽の世界ってイメージがあったので、ゲームミュージック大好き!やりたい!ってわけでもなかったですね。