いそざき陽輔のホームページ 本文へジャンプ


新風会だより
新風会入会申込み
メルマガ登録

漢方改正草案解説

「日本国憲法改正草案Q&A」(増補版)
日本国憲法改正草案Q&A(増補版) 



私のページにリンクしています。

facebook



YouTube

ニコニコ動画


自民党HP


 いそざき陽輔(ようすけ)

参議院議員

総理補佐官

◎党員募集中
 いそざき陽輔事務所では、自由民主党員を募集しています。左の「連絡先」から大分事務所又は東京事務所まで御連絡ください。党費は、年間4,000円(家族会員は、2,000円)です。内閣総理大臣である自由民主党総裁の選挙権が得られます。
 私の提案により、総裁選挙の党員票は、各県連で換算せずに、党本部で直接集計されるようになりました。また、国会議員票と党員票は、1対1とすることになりました。是非応募してください。

◎「新風会だより第16号」を掲載しました。今回は、「安全保障特集」としました。「集団的自衛権等」の広報資料にも使えますので、自由に印刷の上、是非御活用ください。

◇〈私の主張〉「慰安婦」問題の焦点(9月5日)New!
◇〈私の主張〉集団的自衛権を語る(8月6日)
New!
◇〈私の主張〉限定容認論とは何か(7月17日)
◇〈活動記録〉各地で講演(9月1日)
毎週更新(ページが変わります。)
◇〈国会質問〉掲載はありません。
◇〈新着情報〉内閣改造で総理補佐官に留任 (9月3日)New!

☆「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」の一問一答(官邸ページ)(7月5日)


http://www17.ocn.ne.jp/~isozaki/keitai/index-i.html◎私の動画は、左のボタン(YouTube,ニコニコ動画)から見ることができます。
携帯サイトも御覧になれます。
 
http://www17.ocn.ne.jp/~isozaki/keitai/index-i.html 右がQRコード。

私の主張
 バックナンバーは、左の「私の主張(既掲)」から御覧ください。

「慰安婦」問題の焦点New!(9月5日)

 歴史的なことを正確に評価するのは、大変難しいことです。特に「慰安婦」問題は、日韓の間で、また国内で政治問題化しており、なかなか正確に伝えるのにも、困難を要します。そうではありますが、やはり、誤解なく多くの国民の皆さんの正確な理解を得る必要があると考え、筆を執りました。この問題には、朝日新聞誤報事件も関係していますが、これは、河野談話の問題とは時間と観点を異にしており、別途議論したいと思います。

 平成5年、当時の河野洋平内閣官房長官は、「慰安婦」に対する日本軍の関与と強制を認めた談話を発表しました。今年になって、当時の事務方の責任者であった石原信雄元内閣官房副長官は、国会において、河野談話には、韓国人元「慰安婦」の証言等について事実の裏付け調査が行われていなかったことを明確に認めました。この発言に伴って、政府は、検証調査を行い、そのことを確認するとともに、談話の発表に当たっては、韓国政府とすり合わせをしていたことを明らかにしました。

 河野談話のうち事実を認定した部分について、少し長くなりますが、引用しておきましょう。

 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。

 安倍政権は、石原発言を受け、河野談話の作成経緯について検証調査をしましたが、河野談話そのものは継承する方針を示しています。特に日韓の間で問題となっているのは、韓国側が、「慰安婦」は日本軍によって「強制連行」されたと主張している点にあります。また、最近、アメリカなどで「慰安婦」の銅像などを造る動きがあり、その中で「性奴隷」などという言葉を使って、政治的に日本を批判しています。政府は、一貫して、「狭義の意味においての強制性について言えば、それを裏付ける証言はなかった。」と主張しています。

 では、何が、事実であったと考えられるのか、見てみましょう。「慰安婦」については、「従軍慰安婦」と呼ばれることもありますが、「慰安婦」が軍に従属していたわけではなく、この言葉は間違いです。「慰安婦」は、大陸などの戦地において売春施設である各地の「慰安所」に勤務し、兵士に対し報酬を得て性的奉仕をしていました。「慰安婦」は、日本人のほか、朝鮮人、中国人、台湾人、フィリピン人、インドネシア人、オランダ人などがいました。

 もちろん、現在と価値観が異なる時代であるにしてもほめられることではありませんが、性病まん延の予防や強姦事件の防止などのため、日本軍の「要請」により、「慰安所」が設置されたのは、事実です。売春は、日本でも、昭和31年に売春防止法が成立するまでは、公的に認められていました。戦前には、日本各地に遊郭があり、「慰安所」は、戦地版の簡易な遊郭であったことも事実でしょう。ただし、「慰安所」では酒を飲むことは禁止されており、国内の遊郭とは異なった点もありました。なお、日本以外の国でも、同様なことはあったと言われています。

 軍の「要請」は、楼主と呼ばれる遊郭の経営者に対して行われました。「慰安所」の設置は、飽くまで「要請」であり、強制されたものではなく、実際に「要請」に応ずる者がないこともありました。「要請」に応じた経営者は、自ら遊郭の女性を引き連れて大陸などに渡り、「慰安所」を開設したのです。その際、「慰安所」の開設には女性が不足することから、日本国内外で新たな女性が募集されました。募集は、経営者が自ら行ったのではなく、多くは経営者から女衒(ぜげん)と呼ばれる周旋業者に依頼して行われました。このことが重要であり、決して日本軍が女性の募集を行ったわけではありません。朝鮮では、周旋業者のほとんどは、朝鮮人でした。

 その際、周旋業者が「甘言を弄し、あるいは畏怖させる等の形で本人たちの意向に反して集めるケースが数多かった」のも、事実でしょう。「看護の補助をする仕事だ。」「軍の命令だ。」とだまし、「お金をたっぷりもらえる。」とうまいことを言って募集したことが、報告されています。また、当時は、国内外は極めて困窮しており、親を助けるため、又は親にもだまされて身売りをすることがありました。本人や親には、借金の返済等のため、前金が支払われました。また、渡航のための証明書を発行する必要があったことなどから、募集に当たって、朝鮮人の官憲等が同行することもあったと報告されています。そのことが、女性に畏怖を与えたこともあったのでしょう。

 政府は、従来「狭義の強制性を裏付ける証拠はなかった。」と主張していますが、では絶対になかったことを証明するのは、また難しいことです。異例ではありますが、実際、昭和19年にスマラン事件があり、ジャワ島のスマラン抑留所に収容されていたオランダ人女性が、陸軍軍人に強制連行され、「慰安所」で働かされていました。このことは陸軍本部の知るところとなり、「慰安所」は直ちに閉鎖され、戦後、その責任者であった元陸軍少佐は戦犯として処刑されています。

 「慰安所」は、風紀の維持又は性病の予防のため、一定程度軍の管理下にあったのも事実です。しかし、"セックス スレーブ"(「性奴隷」)と言われるように、身体の拘束が行われていたわけではありません。「慰安婦」は、風紀の維持の観点から外出には一定の規制がありましたが、買い物に出掛けたり、ピクニックに行ったり、映画等観劇をすることもできました。何よりも、「慰安婦」は、「業」として行っていたのであり、報酬を得て借金を返済したときには、廃業して帰国することもできました。もちろん、身売りによる拘束は、現在の価値観では許されることではありませんが、当時は日本国内でも広く行われていたことです。ただし、そういう話とは知らずに、周旋業者にだまされて連れて来られた女性もいたことは、忘れてはなりません。

 以上述べたことが、事実に近いところではなかったかと考えています。多くの朝鮮人女性を日本軍が強制連行をしたことは決してなかったと考えますし、「慰安婦」も「性奴隷」と言われるような状態では決してなかったと考えます。一方で、「慰安所」が軍の「要請」によって設置されたことは事実ですし、その「慰安所」で「慰安婦」と呼ばれる痛ましい境遇の女性たちが働いていたのも紛れもない事実です。ここで、国民の皆さんの判断が必要になります。

 自由民主党は、高市前政調会長が河野談話に替わる新たな官房長官談話を出すように求めました。これに対して、菅官房長官は、新たな談話を出す考えはないと応じています。河野談話が、十分な事実の検証を経て行われたものではなく、かつ、韓国政府とのすり合わせの下で行われたものであったことは、明らかにされました。そのことや上記の事実を前提としたとき、河野談話をなお修正しなければならないものであるかどうか、高度の政治判断を要するものであると考えます。

 以上は、私見であり、政府の見解とは関係のないものであることを申し添えます。


集団的自衛権を語るNew!(8月6日)

 (個人後援会の機関誌「新風会だより」の巻頭言から引用しました。)

 安倍内閣は、7月1日に「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」閣議決定しました。安全保障に関する法制には難しい問題が多く含まれているので、皆さんの理解に資するため、今回の「新風会だより」は安全保障を特集しました。

 安全保障法制の整備については、平時におけるグレーゾーンの問題、国連決議に基づく集団安全保障やPKOなどの問題、テロからの邦人救出の問題など多くの緊急課題があります。決して集団的自衛権の問題だけではないのですが、やはり集団的自衛権が議論の焦点になっています。憲法第9条との問題が大きく絡んでくるからです。

 「集団的自衛権の行使を認めると戦争に巻き込まれる。」などの根拠のない批判も行われています。我が国は、自衛隊の創設以来個別的自衛権を有していますが、60年間一度も行使したことのない平和国家です。今回も、「限定容認論」を採用し、我が国の存立を全うし、国民を守る場合に限って、必要最小限度の自衛の措置としての集団的自衛権の行使を容認したに過ぎません。それも、第三国から我が国に対する武力行使(侵略)等が行われる明白な危険がなければ、行使されるものではありません。

 「一内閣が勝手に閣議決定によって集団的自衛権の行使を認めて良いのか。」というためにする批判も、行われています。閣議決定は、飽くまで政府与党の意思統一をするために行われたものです。実際に自衛隊が集団的自衛権を行使できるようにするためには、自衛隊法の改正など、今後、関連法案を作成し、国会において時間を掛けた議論が行われることが必要です。閣議決定は、議論の終わりではなく、議論の始まりです。

 集団的自衛権は、個別的自衛権とともに、国連憲章により認められた全ての加盟国が保持する固有の権利です。スイスなどの永世中立国を除き、日本以外の全ての国において行使が可能です。集団的自衛権の行使容認により、日本が世界の国と同等になるだけのことです。また、集団的自衛権は、その名のとおり「権利」であって、決して「義務」ではなく、行使するかどうかは、万一の場合、その時の政府と国会が慎重に判断することになります。

 「なぜ憲法改正をしないでいいのか。」という疑問があります。このことは、最も重要なポイントです。それをきちんと説明したのが、閣議決定なのです。我が国では、憲法第9条の下、個別的自衛権でさえ、政府の憲法解釈により、必要最小限度の範囲内でしか行使できないこととされています。現在、国際関係が複雑化し、軍事技術が進展する中で、直接我が国が武力攻撃を受けた場合でなくとも、その明白な危険がある場合においては、我が国の存立を全うするための自衛の措置としての集団的自衛権の行使であれば、憲法の許容する「必要最小限度の範囲内」に含まれると考えたところです。憲法の許容する憲法解釈の変更であれば、憲法改正は、当然必要ありません。

 集団的自衛権の行使容認により、自衛隊が大きく変わるわけではありません。切れ目のない安全保障法制を整備することにより、我が国があらゆる事態に備えることを内外に明らかにし、「抑止力」を高めることが最大の目的です。また、アメリカ以外の友好国とも安全保障対話を行い、平時の共同訓練もより積極的にできるようになります。決して軍備を拡張し、軍事的な緊張を高めようとするものではありません。

 我が国の平和主義は、貫かねばなりません。そのためには、あらゆる事態に隙間なく対応できる体制を整えておくことが必要です。じっとしているだけでは、本当の平和は保てません。多くの国と協調しながら、世界の平和と我が国の平和を守っていくことが必要です。それが、積極的平和主義です。今後、国会を中心に、安全保障議論が白熱してきます。是非安倍内閣の安全保障政策に御理解をいただきたいと思います。

 以上は、私見であり、政府の見解とは関係のないものであることを申し添えます。

【関係する私の主張】
 限定容認論とは何か(7月17日)
 安全保障法制整備に関する閣議決定(7月1日)
 国家安全保障の全体像と課題(5月27日)
 砂川判決の意義(5月2日)
 憲法解釈の変更と憲法改正の違い(3月11日)
 集団的自衛権とは何か(3月4日)
 集団的自衛権の行使に憲法改正は必要か(9月18日)
 集団的自衛権について(その1)(8月14日)
 集団的自衛権について(その2)(8月19日)
 集団的自衛権について(その3・終)(8月23日)


限定容認論とは何か(7月17日)

 安保法制懇で議論され、閣議決定で示されたことは、決して集団的自衛権のことだけではなく、平時における武装集団への対応、いわゆるグレーゾーンへの問題や、国連決議に基づく集団安全保障への対応、PKOなどの国連平和維持活動、邦人救出などの国際貢献等安全保障の全般に及んでいます。しかし、議論の焦点は集団的自衛権の行使容認にあるようですので、この問題に焦点を当ててみたいと思います。

 国連憲章第51条は、全ての加盟国が個別的自衛権及び集団的自衛権を保持することを固有の権利(自然権)として認めています。しかるに、我が国では、憲法第9条の下、「集団的自衛権は、保持しているが、行使できない。」という憲法解釈をずっと採ってきました。

 憲法第9条は、一見しただけでは全ての武力の行使を禁止しているようにも、思えます。制憲議会においては、吉田茂総理が実際そういう趣旨の答弁をしているのです。しかし、朝鮮戦争の勃発に伴い、米軍の出兵により我が国の守りが手薄になると、GHQの指令により警察予備隊が発足し、我が国の主権回復後、保安隊を経て、昭和29年に自衛隊が創設されました。ここに、我が国に自衛権が事実上認められたのです。そして、その後も議論は続きましたが、昭和34年の最高裁判所砂川判決において、「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のこと」であることが明らかにされました。

 その後、時間は経過しましたが、国会で集団的自衛権の行使が議論され、政府は、参議院決算委員会において、初めて集団的自衛権に関する見解を明らかにしました。その骨子とするところは、次のとおりです。

@ 憲法第9条は、国民の生存権をうたった憲法前文及び国民の幸福追求権を定めた同第13条の規定に照らし、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとることを禁じているとは到底解されない。
A しかしながら、自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、その措置は、外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に対処し、それを排除するために採られるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。
B そうだとすれば、我が国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるものであって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することを内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されない。

 現在、Bの結論については、多くの人が論理の飛躍があるのではないかと、指摘しています。当時は、まだ自衛隊が国際貢献のため海外派遣されるということがなかった時代であり、あえて国会における論争を挑む実益もなかったことから、政治的判断により集団的自衛権の行使を認めないこととしたものと推察されます。

 それから40年を経て、国際情勢は大きく変化しました。グローバルなパワーバランスの変化、技術革新の急速な進展、大量破壊兵器や弾道ミサイルの開発、拡散、国際テロの脅威により、アジア太平洋地域において問題や緊張が生み出されるとともに、脅威が世界のどの地域において発生しても、我が国の安全保障に直接的な影響を及ぼし得る状況になっています。そうした中で、同盟国である米国との相互協力を強化するとともに、域内外のパートナーとの信頼及び協力関係を深めることが重要とされています。

 これまで、政府は、「武力の行使」が許容されるのは、我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られると考えてきました。しかし、我が国を取り巻く安全保障環境が根本的に変容し、変化し続けている状況を踏まえれば、今後他国に対して発生する武力攻撃であったとしても、その目的、規模、態様等によっては、我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得ます。こうしたことから、世界中の国が行使できることとされている集団的自衛権を、我が国も行使し得るように法整備することにより、抑止力を飛躍的に向上させることができると判断したところです。

 政府は、昭和56年の閣議決定で、「憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されない」とし、集団的自衛権が許されない理由をより明確にしました。そして、全ての集団的自衛権の行使が、必要最小限度の範囲を超えると断定したのです。

 このことについて、安倍総理は、平成16年の自民党幹事長時代に、衆議院予算委員会で、「「範囲内にとどまるべき」というのは、これは数量的概念を示しているわけでありまして、絶対にだめだ、こう言っていいるわけではないのであります。論理的には、この範囲の中に入る集団的自衛権の行使というものが考えられるかどうか。」と質問しています。それに対して、秋山内閣法制局長官は、自衛権発動の「第一要件を満たしていないという趣旨で申し上げているものでございまして、お尋ねのような意味で、数量的概念として申し上げているものではございません。」と答えています。

 実は、この質疑が今回の検討において大いに参考となったのです。秋山長官がそのような答弁をしたのは、当時は集団的自衛権の行使は認められないというのが政府の憲法解釈でしたから、やむを得なかったのですが、昭和47年の政府解釈の法理を前提としても、集団的自衛権の行使を認め得るのではないかと当時の安倍幹事長は指摘したのです。すなわち、それが数量的概念であるのかどうかは別の話ですが、政府解釈の@とAの法理の部分を前提としても、「必要最小限度の範囲内」と認め得る集団的自衛権の行使があり得るのではないかという考えが、自民党関係者の中にずっとあったのです。

 Aに規定されているように、外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に対処し、それを排除するために採られる措置、言い換えれば、我が国の存立を全うし、国民を守るための自衛のための措置であれば、必要最小限度の範囲内にとどまり、集団的自衛権であっても行使し得ると考えたところです。これが、「限定容認論」のいわれです。ただし、まだ我が国に対する武力攻撃が行われていない段階での判断となるので、「急迫、不正の事態」は、「明白な危険」と読み換えました。

 集団的自衛権の行使は、世界中の国々が保有する権利ですが、当時の時代背景の下で、我が国は、直ちにそれを行使しなければならないような客観情勢になく、また能力もなかったので、その行使の権利を留保していたと考えるべきでしょう。当時も、集団的自衛権の保持自体は否定していなかったので、決して集団的自衛権に否定的な価値が与えられたものではなかったと考えます。そして、今日まで国際情勢が大きく変化してきた中で、従来の個別的自衛権の行使でさえ抑制的な我が国の自衛権の考え方を基調としつつ、その延長上に自衛のための措置としての限定的な集団的自衛権の行使を新たにその自衛権の概念に含まれることとしたと考えると、分かりやすいと考えます。

 我が国においては、憲法第9条の下、我が国が直接武力攻撃を受けた場合の個別的自衛権でさえも、「必要最小限度」という制限を受けているのです。この「必要最小限度」の制限を集団的自衛権まで延長し、我が国の存立を全うし、国民を守る場合に限って集団的自衛権を認め得ると考えたところです。したがって、集団的自衛権の行使も、飽くまで「自衛の措置」としてのみ認め得ることになります。何が違うかと言えば、我が国が直接武力攻撃を受けていない段階で、自衛権の行使ができることになることです。その場合でも、第三国による密接な関係のある他国に対する武力攻撃(侵略)が始まっていることは当然の前提であり、決して専守防衛の考え方から逸脱するものではありません。

 では、新たな武力の行使の三要件における「外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという明白な危険」があるときとは、いかなる事態をいうのでしょうか。それは、それを放置することによって、次は我が国に対する戦禍が及び、又は我が国の国民が深刻な犠牲を被る蓋然性が極めて大きい場合をいうものと考えます。ただし、極めて限定的な状態に限られることは、言うまでもありません。

 安倍総理がいつも言うように、新たに集団的自衛権の行使を法制上認めるのは、実際その行使をせざるを得ないような事態を引き起こしたいわけではなく、あらゆる事態に我が国が隙間なく備えることにより、そういう事態が起きないよう抑止力を高めることを目的としています。ここが、今回の安全保障に関する法制の整備について一番重要な視点であると考えます。

 以上は、私見であり、政府の見解とは関係のないものであることを申し添えます。


国会質問

 昨年までの質問は、「国会質問(既掲)」のページに移しました。

 内閣総理大臣補佐官を拝命し、政府の官職に就任したことから、当分の間、国会で質問することはありません。なにとぞ御理解いただきますよう、お願いします。また、総理補佐官は、政府答弁をすることもありませんので、重ねて御理解をお願いします。

 参議院のホームページでは、国会質問の中継ビデオが公開されています。ビデオDirectからも直接御覧できます。過去の質問は、「国会質問(既掲)」に掲げています。


新着情報

 過去の新着情報は、「新着情報(既掲)」のページに移しました。

 9月3日(水)、安倍晋三内閣の改造が行われ、引き続き、内閣総理大臣補佐官(国家安全保障に係る重要政策及び選挙制度担当)に留任することになりました。

 7月24日(木)、大分県公立高等学校教職員組合(公高教)は、旅行業法に違反した大分県教職員組合(県教組)による「親子で学ぶ韓国平和学習の旅」に対し、「教育正常化に向けて」と題する意見表明を提出しました。公高教は、自民党の友好団体です。

 7月4日(金)、大分合同新聞朝刊に「集団的自衛権 礒崎氏に聞く」というインタビュー記事が掲載されました。

 7月1日(火)、政府は、安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会の報告書を受けた安全保障法制整備に関する与党協議会の合意に基づき、「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」閣議決定しました。

 5月15日(木)、安倍総理は、安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会において柳井俊二会長から報告書を受け取り、後刻記者会見をしました。 大分合同新聞の私に関する記事

 5月3日(土)、産経新聞朝刊に、集団的自衛権に関するインタビュー記事が掲載されました。

 4月30日(水)、大分合同新聞朝刊に、道州制に関するインタビュー記事が掲載されました。


  トップ   活動記録   プロフィール   連絡先   入会と献金 携帯



   

いそざき陽輔のホームページ