クソログ

ごーみ

あなたに自由意思はない

もし、「自由意思」を好き勝手に選択できることだという意味でとらえているのであれば、それは明らかに間違いです。
もし、それが自由意思だというならば、「そんなものはない」と断言できます。

我々に、自分の好きなように物事を選べるという自由意思がないことはこれから説明する実験で簡単にわかります。

まず目の前に、2つのうんこ(まあ、うんこじゃなくてコインでも消しゴムでもいいですが)を置くとします。

そして、右のうんこ、左のうんこ、どちらでもいいので好きな方を選んでとってみてください。なお、2つのうんこには違いはありません。自分からの距離も同じです。どちらをとっても違いはありません。

さて、あなたはどちらを取るでしょうか。

仮に、あなたは適当になんとなく右のうんこ(もしくは左のうんこ)を取ったとします。

そうしたら、問いかけてみてほしいのです。

「なぜ、そちらを取ったのですか?」と。

何も合理的な答えは見出せないはずです。はっきり言ってしまえば「なんとなく、そんな気になったから」としか言いようがないはずです。
つまり、全く同じうんこなのに、どうして右のうんこを選ぶ気になったのか、自分でもよくわからないけれど、なぜだが、そんな考えが沸き起こってきて右を選んだ」ということです。

「よくわからないけれど、そんな考えが沸き起こった」とは「なぜ自分がそうしようと思った原因がわからない」ということなのですから、まったくもって「自由(好き勝手選べる)意思」なんかじゃありません。

結局「右を選ぶ」という考えは、「自分には分からない何か(自分の外部)から出てきた」ことになります。
それは、あなたの体に見えない糸がついていて、背後で誰かが操っている状況によく似ています。誰かが位置を引っ張ったので、右手を動かしたにもかかわらず、あなたは「よくわからないけど、自分で右手を動かしたくなった」と言い張っているのと同じです。

つまり、「自分でなぜそうしたかもわからない」のだから「自分で好き勝手に決めました」などと言えるはずもないのです。

では逆に、右のうんこを選んだことに、何か合理的な理由があったらどうでしょうか。
もしかしたら、こんなふうに言う人もいるかもしれません。

「私は右利きで、右が近いから右を選びました」


しかし、それもおかしいと言えます。もし、合理的な理由がはっきりあって、あなたがそれに完璧に従うのだとすれば、そもそもあなたには「自由な意思なんてまったくない」ことになります。
合理的な理由にしたがって動くだけなら、ロボットのように決められた通りに動くだけで、全然自由な意思なんかじゃありません。

その反論として「いや、そうではありません。私はロボットではありません。合理的な理由にしたがったのは、自分の意思で自由に決めたことです」
と言ったとしても「では、合理的にしたがわない自由もあったはずなのに、なぜ今回は、合理的な理由で選んだのですか?」と問われれば、やはり「なんとなく、今回は合理的な理由で選択しようという気持ちになったのです」としか言えないのです。



もし、我々が自分自身の選択について、「なぜそれを選んだのか」の仕組みが完全にわかったとしたら、それはもう自由意思ではなく機械的な意思になってしまいます。
よって、機械的な意思でないためには、「なぜそれを選択したのか、その仕組みが分からない」ということが必須条件なのです。

ですが、そうすると「なぜそれを選択したのか自分ではその仕組みがわからない」のですから、結局、我々が何を選択しようと、その選択は「自分には計り知れない未知の何か」から生じたことになり、やはり「自由(自分の好き勝手)」などではないということになります。

意思とは、我々の計りしれないところから「起こるもの」であり、かつ我々のはかり知れないところから「起こるもの」でなくてはならないものなのです。(そうでなければ機械的意思になってしまうため)

結局のところ、我々には自由に意思を引き起こす自由なんてないのです。