そして船は揺れる——揺動メディア論的世界観への招待 映画監督佐々木友輔特別寄稿

posted by Book News 編集:ナガタ / Category: 寄稿記事 / Tags: 映画, 歴史,

個人的にいま一番面白い映像論を書く人物のひとりであり、きわめて刺激的な映画を撮る監督でもある佐々木友輔氏に「揺動」をテーマにした独特の映像論をまたひとつ寄稿していただきました。

佐々木友輔氏特別寄稿のバックナンバーはこちら
http://www.n11books.com/archives/cat_1232576.html

さきほど「独特の映像論」と書きましたが、映像というものはいわゆる映画や映像芸術に留まるテーマではありません。佐々木氏の考察は、映画を足がかりにしながら、何かを見るということを論じ、それを見ている人の身体やその身体が生きている時空間をも対象にする深い射程を持つものだと言えるでしょう。こう書いてしまうと難しいことに思われるかもしれませんが、実際に文章を読んでいただければ、おそらく体感的にも納得のいくこと、その刺激的な感覚を楽しめることが、すぐにわかると思います。

なお9/14(日曜)19時から、この佐々木監督の作品を上映する企画を高円寺グリーンアップルで開催する予定です。なお、今年10月には『土瀝青 場所が揺らす映画』と題された書籍も刊行予定とのこと。詳細がわかり次第、追ってお知らせいたします。


※参考書籍




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 いつもびっくりするほど豊富なラインナップで読者を楽しませてくれる「図解雑学」シリーズ。その中でもとりわけユニークな一冊に、『振動する世界——地球も心臓もゆれている』(鈴木公平 著、2009年)というものがありますが、この本の表カバーには次のようなことが書かれています。

 自然界の時間から天体、生物の命、音や地震など、身の回りのすべては振動と不可分のものです。この振動を専門に研究する分野が「振動工学」です。心臓、生物の振動、地震、騒音などの制震技術、バイクや電動マッサージの心地よい揺れなど、本書はこの分野で日本で最先端の研究をしている著者が、一般向きに書き下ろす発見に満ちた本です。

 そう、世界は様々な種類の「揺れ」に満ちています。ここに書かれているように、心臓の鼓動という「揺れ」はわたしたちがいま確かに生きていることの証ですし、幾度もの大震災は、生活の基盤となるこの大地さえも不動ではないのだということを痛感させるものでした。また物理的な揺れにとどまらず、「心を震わせる」や「激震する社会」といった言葉が用いられることもあります。わたしたちは「揺れ」と共に生きているのと同時に、「揺れ」を通じて物事を理解したり、書き表したりもしてきたのです。

 わたしは数年前から、映画を「視覚メディア」としてではなく「揺動メディア」として捉えることで、新たな映画制作の方法論や、それについて語る言葉を発明することを目標としながら、作家活動を続けてきました。それは『振動する世界』の著者が言うように、この世界は振動と不可分なのだということ、この世界はいつだって揺れ続けているのだという確信から出発し、そこから映画について、芸術について、そして世界について考えてみようという試みです。

 今回は、この「揺動メディア」論の入門編として、映画における「船」と揺れの関係をご紹介したいと思います。

 (1)「海と船と移動撮影」では、最初期の映画と船の関係を取り上げます。「映像が動くこと」の魅力に取り憑かれた当時の人びとにとって、豊かに表情を変える海(そして水)は映画に撮るのにうってつけの被写体であり、また穏やかな水上を進む船は、なめらかで優雅な「移動撮影」を実現するための手段として重宝されました

 (2)「揺れをなぞる、つくる、みつめる」では、荒波に激しく揺り動かされる船を取り上げます。映画作家たちは船の揺れをノイズとして排除するのではなく、それを利用してユニークな映像表現を数多く生み出してきました。海の揺れをトレースして迫力ある映像をつくりあげたり、撮影所のセットを動かして人工的に荒波を再現したり、激流に揉まれる船を陸地から撮影して冒険家の勇姿を後世に残したりと、映画と揺れの多様な関わり合いを紹介します。

 (3)「揺れない船が揺れるとき」では、滅多なことでは揺れない船、つまり豪華客船を取り上げます。ジェームズ・キャメロンの代表作のひとつ『タイタニック』に登場する印象的な揺れを読み解くことから、映画の物語に、揺れがどのようなかたちで関わっているのかを考えてみたいと思います。


(1)海と船と移動撮影

 それではまず、船の主な活躍の舞台である「海」、さらにはその海を構成する「水」というものから考えてみることにしましょう。

 海は、何よりもまず、わたしたちが生きるこの世界がいつだって揺れ続けているのだということを思い出させてくれる場所です。月と連動した潮の満ち引き、寄せては返す波、さらさらと模様を変えていく砂浜、流されていく漂流物——。海は、目に見えるかたちで分かりやすくその姿や表情を変えていきます。海辺に座り、長い時間じっと水面の動きを眺めていても飽きることがありません。

 こうした特徴が、先行する写真や絵画に対して「動くこと」を売りにして登場してきた映画というメディアと相性がピッタリだったことは言うまでもないでしょう。実際、初期映画には魅力的な海の揺れをとらえたフィルムが数多く存在します。たとえばイギリス最初期の映画制作者バート・エーカーズとロバート・W・ポールが1895年に撮影した『Rough Sea at Dover』や、1900年にバムフォース社が製作した『Rough Sea』に見られる、巨大な塊が混ぜ返されていくような迫力満点の荒波。リュミエール兄弟の別荘に近いシオタの海岸で人びとが水遊びに興じる様子が記録された『海水浴』(1895年)の風景も強く印象に残ります。


[参考]『Rough Sea at Dover』


[参考]『海水浴』

 とめどなく変化を繰り返す「水」の動きは、アヴァンギャルド映画の作家たちにとっても、強く興味を惹かれるものだったようで、写真家としても知られるラルフ・スタイナーが画面いっぱいに水面や波の様子を捉えた『H2O』(1929年)や『波と海藻』(1929年)、ドキュメンタリー作家ヨリス・イヴェンスが1929年に制作した『雨』、あるいはヘンワー・ロダキーウィッツが海や雲や機械の運動に青年の内面をかさねあわせた『青年の肖像』(1931年)など、様々な作品がつくられています。この中で、たとえば『波と海藻』を観てみると、時間が経つにつれて——あるいは画面に対してどのように意識を向けるかに応じて——海という具象的なイメージとゆらめく波の動きがもたらす抽象的なイメージがするりするりと転換していくような、不思議な感触を味わうことができるでしょう。

 たんなる具象でもなく、たんなる抽象でもない。両者の間を目まぐるしく行き来する運動こそがこれらのフィルムの魅力です。こうした視覚体験はやがて、フィルムに貼り付けた蝶の羽によって「動く抽象画」を描いてみせる映画作家スタン・ブラッケージ、さらには恐るべき速度で生命を得た機械たちが変形を繰り返すマイケル・ベイのSF大作『トランスフォーマー』へと受け継がれていくことになるでしょう。


[参考]『波と海藻』

 水の上に浮かぶ船は、波や風に揺らされ、運ばれ、流されていきます。そもそも映画にとって「船」とは、何よりもまず移動撮影の手段でした。

 映画史の初期に使われていた35ミリカメラは、サイズが大きくて、重量もあり、容易に動かすことはできませんでした。もちろん手持ち撮影なんて不可能ですし、台車に乗せても、荒れた地面を走らせればガタガタと揺れてしまいます。けれども、カメラを船に乗せて固定すれば、リュミエール社が製作した『アルジェ港のパノラマ』(1903年)や、J・B・スミスの『Skyscrapers of New York City, from the North River』(1903年)、フレデリック・S・アーミテージとA・E・ウィードが制作した『ハドソン川を下る』(1903年)のように、沿岸の建築物や人びとの姿を捉えた都市景観のパノラマを描き出すことが可能になるのです。

 ふだん人びとが生活を営んだり仕事をしたりしている「都市」は、あまりにも巨大すぎて断片的にしか見ることができません(局所的なリアリティ)。しかし、船に乗って少し離れた海や川からカメラを回すことで、都市を都市として対象化することによって、「都市という巨大な社会の全域的なリアリティ」を想像する手がかりを得ることができるのです(局所的なリアリティと全域的なリアリティについては、若林幹夫『地図、統計、写真──大都市の相貌』を参照。 )。


[参考]『Skyscrapers of New York City, from the North River』

 実は、アマチュア向けの映画制作入門書にも、船が移動撮影の手段のひとつとして捉えられていたことを示す記述があります。1932年に北尾鐐之助と鈴木陽が著した『小型映画の知識』を見てみましょう。

 トラツク・ショットの場合は、すべて撮影機を、汽車の窓際とか、船の手すりだとかいふところに着けないことだ。すべてさういふ場合は、三脚より却て手に持つた方がよい。膝関節を少し折り曲げて、屈むやうな格好をして撮ると、少し位のシヨツクも、撮影機に柔かく当る。ディーゼル・エンジンの船の甲板上では、絶対に三脚を立てて撮つてはならぬ。あの細かい震動は映画をめちゃめちゃにする。(p.92〜93)

 このように、船上でカメラを回すためのコツや注意事項が事細かに記されています。8ミリフィルムや9.5ミリフィルムなどの家庭用に発売された「小型映画」のカメラは、その名の通り小さくて軽いため、手持ち撮影をおこなうことができました。そのため小型映画の入門書でも、三脚の使い方とは別に、カメラの持ち方や構え方、足腰の使い方といった、撮影者の身体の動きについての言及が多くなるのです。

 ちなみに『小型映画の知識』は、前衛的な映画作家アベル・ガンスを例にとって「移動撮影では、はげしい機械自身の動きで、その流動感を現すことが出来る」と述べたり、カメラの動きと被写体の動きの関係を考察して、波のうねりで「眼がぐらぐらして気持ちが悪くなる」と映像の揺れがもたらす生理的感覚を記述したりするなど、先駆的な揺動メディア論として読むことができる面白い入門書です。


(2)揺れをなぞる、つくる、みつめる

 『アルジェ港のパノラマ』や『ハドソン川を下る』の船は穏やかな海や川を進んでいきましたが、長く航海を続けていれば、ときには荒波に揉まれることもあるでしょう。

 船を激しく揺さぶる波は、同時に、船上に載せられたカメラも揺らします。リュミエール社の製作した『進行中の捕鯨船から撮影された光景』(1901年)では、漁師たちが乗り込んだ小舟に設置されたカメラが、うねる波の揺れを克明に記録しているのですが、ここで面白いのは、画面上に映り込んでいる船自体はあまり揺れているように見えず、むしろその後ろに広がる空や水面のほうが大きく揺れ動いて見えるということです。わたしにはこの映像が、船に乗り込んだ漁師たちが主観的に見ている風景のようにも思えますし、同時に、「船」自体が意思を持って見ている主観的風景であるようにも思えます。船体にがっちりと固定されることでカメラは船と一体化し、波の揺れを正確にトレースして、そのリズムを共有しているのです。

[参考] ※『進行中の捕鯨船から撮影された光景』は「レ・フィルム・リュミエール DVD-BOX 」に収録されていますが、残念ながら品切れで入手は困難になっています。


 また、実際の波の揺れをなぞるのではなく、人為的にカメラを動かすことで、荒波をでっちあげてしまうこともあります。カメラ自体を揺らす演出を採用した最初期の例としては、『レアビット狂の夢』(エドウィン・S・ポーター監督、1906年)や『That Fatal Sneeze』(リューイン・フィッツハーモン監督、1907年)などがありますが、喜劇王と呼ばれるチャールズ・チャップリンもまたこの演出を取り入れ、『チャップリンの船乗り生活』(1915年)と『チャップリンの移民』(1917年)という二本のフィルムを制作しました。そこでは、カメラに錘をつけることによって画面を揺らしたり、撮影所に組んだ船内のセット自体を動かしたりして、船が揺れている様子が表現されています。カメラ(あるいはセット)の揺れ、小道具の動き、チャップリンら出演者のコミカルな動きが目まぐるしく結びついたりほどけたりする複雑な画面の運動は、観客の眼を存分に楽しませてくれるでしょう。


[参考]『チャップリンの船乗り生活』

 これと似た演出では、ジュゼッペ・トルナトーレ監督が1999年に制作した『海の上のピアニスト』も印象に残ります。主人公は、豪華客船で生まれ、一度も陸地を踏むことのないまま一生を終えることになるひとりの天才ピアニスト。彼は嵐の夜、揺れる船内のホールでピアノを弾きます。ストッパーが外されたピアノは、船の傾きによって床を滑っていきますが、彼はまったく動じることなく、椅子に座ったままピアノと一緒に床を滑り、演奏を続ける……。荒唐無稽ではありますが、これも一見の価値有り!のユニークなフィルムです。

 なお、このシーンは音を消して観てみるのがお勧めです。そうすると、画面上の運動を解きほぐして、どのような動きや揺れによってショットが構成されているのかに意識を集中することができるので、「動くこと」の快楽がどのようにして生まれるのかが、理解しやすくなるのではないかと思います。


[参考]『海の上のピアニスト』

 この辺りで、被写体として画面に映し出される船にも目を向けておきましょう。

 船が登場する映画の中でも、とりわけわたしのお気に入りが『Captain Nissen Going through Whirpool Rapids, Niagra Falls』(1901年)です。これは、当時活躍していた冒険家キャプテン・ニッセンが、フール・キラーと名付けた自作の船(のようなもの)に乗り込んで、ナイアガラの濁流下りをする様子を収めたフィルムです。カメラマンは、ナイアガラ川に沿って走る路面電車に乗り込み、激流に流されていくフール・キラーを追いながら撮影を敢行。電車の間近を流れていく柱や人びとのシルエットと、画面いっぱいに映し出されている川のうねり、そしてその波に揉まれて頼りなげに浮き沈みを繰り返すフール・キラーの姿がかさなりあって、躍動感溢れる映像が生まれています。これを小さい画面で観るのはもったいない! いつかぜひIMAXシアターで観賞してみたい作品のひとつです。


[参考]『Captain Nissen Going through Whirpool Rapids, Niagra Falls』

 また、映画に詳しいひとならば、「映画の中の船」と聞いてまっさきに思い浮かべるのは溝口健二かもしれませんね。

 フランス文学者・映画評論家の蓮實重彥は、船が静かな水面を滑るように進んでいくショットを優れて「溝口」的な風景であると指摘しています(蓮實重彥『映画論講義 』、2008年 )。たとえば1933年に制作された『滝の白糸』では、運河のような水面を進んでいく船の「ゆるやかな疾走感」と、ガタガタと揺れながら荒々しく「疾走する乗り合い馬車」が対比的に描かれています。さらに後半には、「未来派」のように機械の直線的・反復的運動を強調した汽車の疾走シーンも登場し、それぞれの乗り物の特質にあわせた描き分けと、それを登場人物の心理とかさねあわせる溝口の手腕の見事さを堪能することができます。


[参考]『滝の白糸』


(3)揺れない船が揺れるとき

 さて、ここまでは基本的に小さな船を取り上げてきましたが、映画の中でとりわけ強い存在感を放つ船である「豪華客船」についても考えてみたいと思います。

 豪華客船は、滅多なことでは揺れません。船内で繰り広げられる人間ドラマに夢中になっていると、揺れているか揺れていないかということに意識が向かないどころか、物語の舞台が船の上であることすら忘れてしまっているということも珍しくありません。

 このような豪華客船のあり方に思いを巡らせるとき、わたしは建築家の原広司が提唱した〈均質空間〉という概念を想起します(原広司『空間―機能から様相へ』、2007年)。〈均質空間〉とは、「意味性、場所性を抽象して、自然から空間を切断したところに現れる操作可能な空間」を意味します。近代以前の建築が、その土地の風土に調和するようにして建てられていたのに対して、〈均質空間〉的な建築物は、空間の内部と外部を明確に隔てることで、季節の変化や気候などの風土的条件に影響を受けない独立した内部空間をつくり出すことが理想とされます。さらにその内部空間は、まっすぐな床と壁で区切られているだけなので、パーテーションを使ってさらに部屋を二つに分けることもできますし、設置する家具や器具次第で、会議室にしたり寝室にしたりと、自由に部屋の用途を変えることもできるのです。

 さて、豪華客船では、水上という人間にとってはあまりにも危険で過酷な環境であっても、レストランで食事をしたり、カジノで楽しんだり、寝室で眠ったりと、陸の上にいるときと変わらない生活を営むことができます(マンションとして各部屋を分譲している「ザ・ワールド」という船も存在します)。これはまさに「自然から空間を切断したところに現れる操作可能な空間」であり、豪華客船とは、究極の〈均質空間〉であると言うこともできるのではないでしょうか。(ちなみに豪華客船はル・コルヴィジュエなどモダニズムの建築家に多くのインスピレーションを与えたという説もあるようで、2011年には横浜の日本郵船歴史博物館で「船→建築 ル・コルビュジエ」という企画展が催されています。)

 映画の中で、登場人物が馬車や自動車、あるいは小さな船に乗り込むシーンがあった場合、そこでは大抵、「移動」することそれ自体が強調されます。先ほどまで繰り広げられていたドラマはいったん中断し、あるシーンから次のシーンへと移行するためのつなぎとして、乗り物で移動するショットが挟み込まれるのです。

 ところが豪華客船では、内部と外部(海)とが明確に区切られているので、船内に居るかぎり、「移動」しているという感覚はほとんど得られません。また、上述したようにレストランやカジノ、プライベートな個室など、陸上の建築物と変わらない空間が用意されているため、豪華客船は、シーンとシーンのつなぎというよりも、まさにひとつのシーンとして、ドラマが繰り広げられる舞台となり得るのです。実際、全編にわたって自動車の車内だけが舞台となる映画がほとんど存在しないのに対して、全編が豪華客船の内部で繰り広げられるドラマがたくさんつくられているという事実が、このことを証明しています。

 また、豪華客船の内部が〈均質空間〉的であることは、豪華客船を舞台にした映画が、必ずしも豪華客船の上で撮影されなければならないわけではない、ということでもあります。すなわち、これもまた非常に〈均質空間〉的である撮影所のセットを使って、豪華客船の内部を再現することもできるということです。たとえば、実際に航行中の客船の外観を数ショットだけ撮影して作品の冒頭に登場させ、後のシーンはすべてセット撮影をおこなったとしても、きっと立派な「海の上のドラマ」をつくりあげることができるでしょう。


[参考]『タイタニック』

 さて、現在、豪華客船が登場する映画でもっとも有名なフィルムは、なんと言ってもジェームズ・キャメロンの『タイタニック』(1997年)ではないでしょうか。

 当時の最新技術を駆使して建造され「不沈船」とさえ言われたタイタニック号が氷山に衝突し、沈没していく様を描いたこの映画、観賞中は迫力ある映像に圧倒されて気づきにくいのですが、実は非常に「揺れ」の少ない映画です。通常の航行中はもちろんのこと、船体が傾き、客室が浸水し、海の底へと沈み行くシーンでも、人びとのパニック状態とは裏腹に画面は驚くほど安定しており、タイタニック号はただ海の上から海の中へ移動するだけなのだと言わんばかりの落ち着きがあるのです。

 そんな『タイタニック』において唯一「揺れ」が強調されるのが、タイタニック号と氷山が激突するシーンです。まずは船員が進路上の氷山を発見し、にわかに船上が騒がしくなり、エンジンを停止したところで画面がひと揺れ。それから少しの間を置いてついに船体が氷山に衝突し、次の大きな揺れがきます。接触と同時に船の手すりが震え、舵を握る船員の手が震え、コップやシャンデリアがカタカタと揺れて、人びとが異常に気づく……。キャメロンは船に起こった様々な揺れをひとつひとつ丁寧に映し出していきます。そしてそれらの揺れが収まった後、タイタニック号はゆっくりと、静かに沈み始めるのです。

 ここでの「揺れ」は、タイタニック号と氷山の「間」に生じた揺れであると同時に、映画が折り返し地点を迎えたことを知らせる揺れであり、タイタニック号が沈没する以前と以後の「間」に生じた揺れでもあります。タイタニック号が揺れたとき、観客は、この映画の世界が決定的にさっきまでとは変わってしまったのだということを悟ります。もちろんこの船はいつか沈んでしまうのだと知識として知っていても、それでもなお、もうしばらくは幸福な旅を続ける人びとの姿を見続けることができるのではないかという希望を打ち砕く——あるいは、スペクタクルを求め、何も起こらない平和な時間に飽き飽きしていた観客の眠気を覚ます——決定的な一撃が加えられてしまった。それはまさに、観客の心を揺さぶる「揺れ」であり、おそらくこの先、エンディングまで、それ以上に心が揺れることはないでしょう。どれだけドラマチックなドラマが繰り広げられても、船体が真っ二つに割れる壮絶な破壊のシーンがあっても、画面全体には常に、何かすべてがすでに終ってしまっているという喪失感が漂うのです。

 わたしははじめに、「この世界はいつだって揺れ続けている」と書きました。しかしここでの「揺れ」は、世界そのものに亀裂を走らせて、何か別のものへと変えてしまうような強烈な揺れであり、以前と以後を決定的に分けてしまいながら、同時にその両者をつなぐ蝶番の役割を果たしているものでもあります——たとえば大切な要件を伝える電話の着信を知らせるバイブレーションが、「あのときあの電話に出ていなければ」もしくは「あのときあの電話に出ていれば」という後悔と共に、くり返し記憶の底から甦ってくるように。「揺れ」について考えることは、変わってしまう前の世界と変わってしまった後の世界が混ざり合った、わずかな時間に想いを馳せることなのかもしれません。




 

佐々木友輔 プロフィール


映像作家・企画者。映画制作を中心に、展覧会運営や書籍出版などあれやこれやに手を出して活動中。
映画最新作は長塚節のを翻案した『土瀝青 asphalt』(2013年)。主な著作にfloating view "郊外"からうまれるアート(編著、トポフィル、2011年)がある。
茨城と手ぶれ映像と媚びてないゆるキャラが心の支え。
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