「訂正、遅きに失したのでは」
従軍慰安婦問題への対応をめぐり、朝日新聞が改めて批判の矢面に立たされている。ジャーナリストの池上彰氏が連載するコラム「新聞ななめ読み」の掲載をいったん見合わせたためだ。
池上氏はコラムで朝日による慰安婦報道検証を取り上げたものの、当初予定通りに掲載してもらえなかったため、連載打ち切りを申し出たという。社内外から批判の声が広がるなか、朝日は4日付朝刊で読者に謝罪すると同時にコラム掲載に踏み切った。
コラムの見出しは「訂正、遅きに失したのでは」。池上氏は朝日の慰安婦報道検証について「せっかく勇気を奮って訂正したのでしょうに、お詫びがなければ、試みは台無しです」と一刀両断している。
コラムを読み、個人的には「池上氏は実質的にパブリックエディターの機能を担っていたんだな」と思った。これまでにも当コラムで何度か触れてきたように、パブリックエディターは米ニューヨーク・タイムズに設けられたポストで、読者を代表して紙面を審査する役割を与えられている。アメリカでは同様のポストを設けている新聞社はほかにもある。
もちろん違いはある。池上氏が外部コラムニストであるのに対し、パブリックエディターは「オンブズマン」とも呼ばれる社内ポスト。通常は社外から選ばれたベテランジャーナリストが務め、編集局からも論説委員会からも独立。主に報道倫理に光を当てる定期コラムを持ち、コラム執筆に際しては社内の担当デスクや記者にも取材する。
8月8日公開の当コラムでも書いたように、朝日の慰安婦報道はニューヨーク・タイムズの「大量破壊兵器報道」を連想させる。2003年3月開始のイラク戦争に向けて同紙は「イラクに大量破壊兵器は存在する」と示唆する記事を何度も書き、当時のブッシュ政権によるイラク戦争正当化を後押ししたのだ。
結果的にイラクでは核兵器や生物・化学兵器などの大量破壊兵器は見つからず、ニューヨーク・タイムズは同業他社から容赦なくたたかれた。強制連行証言をうのみにするなど慰安婦報道で過ちを犯し、同業他社から容赦なくたたかれている朝日の現状とそっくりである。自社報道の検証記事を載せた点でも同じだ。
掲載見送りという大きな判断ミス
もっとも、その後の展開で違いが出た。
朝日は検証記事(8月5日付と6日付)から数週間後の8月28日付朝刊で、改めて慰安婦問題報道を取り上げた。しかし「慰安婦問題 核心は変わらず」という見出しが示すように、どちらかと言えば「朝日による弁明」を印象づける結果を招いた。
ニューヨーク・タイムズは検証記事掲載(2004年5月26日付)から1週間足らずで新たな検証記事を載せた。当時パブリックエディターを務めていたダニエル・オクレント氏によるコラム「大量破壊兵器? それとも大量誤報兵器?」だ。同氏は大量破壊兵器報道に関わった同紙の現記者・元記者20人以上にインタビューしたうえで、次のように書いている。
〈 2002年9月から2003年6月にかけて本紙を読んだ読者なら、誰もがサダム・フセインによる大量破壊兵器保有を信じたことだろう。 〉
〈 一部の記者は大量破壊兵器報道に疑問を呈したのに無視された。この問題に非常に精通している記者も意見を聞き入れてもらえなかった。 〉
〈 編集局による検証ですべて終わりではない。なぜ誤報や虚報が起きてしまったのか、今後徹底的に報道するべきだ。それでこそ検証が生きてくる。 〉
〈 会社として誤りを認めるまでになぜこんなに時間がかかったのか。ビル・ケラー編集局長ら幹部は傷口が癒えない段階で新たな傷口を開けたくなかったのか。 〉
歯切れがよく、編集局長を名指しするほど手厳しい内容だ。これと比べると、朝日の検証は手ぬるいといえよう。オクレント氏は「報道で読者をだました」「社内の対立意見を無視した」「誤報・虚報の原因を今後も徹底報道すべき」と断言しているが、このような要素は朝日の検証記事からは欠落している。
一方で、池上氏による「訂正、遅きに失したのでは」という指摘は、オクレント氏が投げかけた疑問「なぜこんなに時間がかかったのか」と相通じるところがある。だからこそ、池上氏のコラムは実質的にパブリックエディター機能を担っていたのではと思ったのだ。
それなのに、朝日はいったん池上氏のコラム掲載を見送ってしまった。これは大きな判断ミスだ。これでは高級紙としての「高級度合い」では永遠にニューヨーク・タイムズに追い付かないだろう。
補足しておくと、オクレント氏のコラムは社内から何の介入も受けず、そのまま掲載されている。仮に掲載見送りになっていたら、ニューヨーク・タイムズの経営の屋台骨を揺るがすほどのスキャンダルになっていたのではないか。
報道倫理を立て直すいい機会
オクレント氏時代の伝統は今でも受け継がれている。現パグリックエディターは、米地方紙バッファロー・ニューズ編集長だったマーガレット・サリバン氏。歯に衣着せぬ論評で社内外で評価を得ており、6月末のコラムではニューヨーク・タイムズのイラク報道に苦言を呈している。
〈 多くの読者から私に苦情が寄せられている。ニューヨーク・タイムズは保守タカ派の見解を増幅して伝え、匿名の影に隠れた政権幹部のメガホンのようになっているというのだ。イラクへの介入反対派の声をもっと取り上げるべきだ。 〉
ニューヨーク・タイムズでパブリックエディターのポストが設けられたのは2003年12月。大量破壊兵器報道に続き、記事捏造・盗用スキャンダル「ジェイソン・ブレア事件」の激震に見舞われたのをきっかけに、同紙内部で報道倫理を立て直そうとの機運が高まったためだ。
慰安婦問題報道だけではなく「吉田調書」報道でも疑義を投げかけられている朝日。高級紙を自任しているならば、パブリックエディター制を導入するいい機会ではないか。
著者:牧野 洋
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