東日本大震災の津波に遭った宮城県亘理町の農家で南国の果物アセロラが収穫期を迎えている。再建したビニールハウスに今夏、沖縄や九州以外では珍しい赤い実が本格的に戻った。「北限のアセロラ」と呼び、20年前に栽培を始めた伊藤正雄さん(63)は「やっとここまで来た」と実感しながら作業に励んでいる。
アセロラはビタミンCなどを豊富に含む熱帯の果物。作付面積50アール以上で統計を取っている農林水産省によると、この10年間で沖縄、鹿児島両県を除き、出荷実績があるのは亘理町だけで、震災後は町内の生産者が伊藤さん1軒になった。「北限」と呼ぶゆえんだ。
元はコメ農家だった伊藤さんのアセロラ作りは20年前、ブラジルに行った知人に尋ねて知ったのがきっかけ。1998年、出荷した東京・大田市場で想定の2倍以上の値が付いて自信を持ち、本格栽培を決意した。
収穫量は年約4トンに増え、酢やあめなどの加工品も売り出し、軌道に乗った頃に震災が発生。ハウスは高さ2メートル以上の津波に漬かり、木は流されたり泥をかぶったりした。
それでも3カ月後に枯れたと思った木が芽吹き、4分の1ほどの約100本は無事だと分かった。「せっかく生き返ったのに駄目にはできない」と再び奮起。収穫量は昨年の400キロから今年は1トンに増え、2年後には3トンにする目標だ。
復興庁が昨年12月に企画した大手企業との商談会では、10社が広告や販路の紹介による支援に手を挙げた。3分の1を青果で出荷し、残りは加工する。「まずは生のアセロラの味を知ってほしい」。甘酸っぱい風味が広く届けられる日を楽しみに、収穫は秋まで続く。〔共同〕
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