朝日新聞の『従軍慰安婦報道』は、“旧日本軍による強制連行”という「虚偽」を語った吉田清治氏の証言を30年にわたり報じたことで、韓国、中国を中心に世界中に誤解・悪影響を与え、今や韓国の日本人大使館前はもとよりアメリカ各地に慰安婦像が設置され、日本批判が拡大。日本国家、日本国民を貶める結果となっている。
この顛末について朝日新聞は8月、過去の慰安婦報道に対する検証記事を載せ、吉田証言の取り消しなどを行った。しかし、遅きに失した訂正に謝罪はなく、多くの新聞、雑誌メディアが批判を強め、炎上している。
対する朝日新聞も先週、朝日批判記事を掲載した週刊文春、週刊新潮の広告掲載を拒否。池上彰氏がこの問題に言及した同氏の連載コラム「新聞ななめ読み」の掲載も見送った。
ところが9月4日、「池上さんと読者の皆様へ」と題するおわび文書を同日付朝刊に掲載。一転して「掲載することが適切だと判断しました」として問題のコラム「慰安婦報道検証 訂正、遅きに失したのでは」を掲載した。
朝日新聞内部でどのような議論が行われているか知る由もないが、一連の報道を検証の結果、証言内容が虚偽だったとして取り消した以上、率直に詫びるのが筋ではないか。社長の詫びも記者会見もなく、ダンマリを決め込んでいるのは如何なものだろう。
企業の不祥事などに対し、常日頃、社長は辞任しないのかと厳しく詰め寄る記者の質問風景を思い出すにつけ、今回の朝日の姿勢は潔さを欠く。まして慰安婦問題は国家・国民の名誉の問題であり、企業の不祥事の比ではない。朝日社長の“雲隠れ”や“沈黙”は許されない。
メディアは常に、言論、表現、報道の自由を声高に主張する。私は日本ほど言論の自由が保障された国は世界にないと思っている。民主主義の基本原則であるのは間違いないが、国民の知る権利のためなら何を報道してもよいというわけではない。
例えば、公人のプライバシー。首相の一日の行動を分刻みで報道する国は、広い世界でも日本だけである。国の先頭に立つ公人が冷静、的確な判断をするためにもストレスを解消する私的な時間は欠かせない。公人のプライバシーが私人に比べ一定程度、制限されるのはやむを得ないが、それでも守られるべきプライバシーは存在する。
9月4日付の『世界日報』には、『芸能誌幹部に罰金刑―仏大統領と女優との密会報道』の見出しで以下の記事が掲載されている。
「フランス・パリ郊外のナンテール軽罪裁判所は2日、オランド大統領(60)と女優ジュリー・ガイエさん(42)の密会を報じた芸能誌クローザーの幹部ら3人に対し、プライバシー侵害の罪で執行猶予付きの罰金刑を言い渡した。同誌は今月1月、『密会に使った車』とのタイトルで、愛車を運転しているガイエさんの写真を掲載。裁判所は車の中が私的な空間に当たると判断し、幹部2人にそれぞれ3000ユーロ(約41万円)、写真を撮影したカメラマンに1000ユーロ(約14万円)の罰金を科した。ガイエさんは密会報道後にクローザー相手に民事訴訟を起こし、3月に1万5000ユーロ(約207万円)の賠償記金を勝ち取っている。」
慰安婦報道とはレベルが違うが、フランスの裁判所の判断に従うと、日本の週刊誌はほぼ全滅するのではないか。言論の自由といえども、無限ではないということだろう。
話はやや外れるが、先日、知人からipadについて驚くべき話を聞いた。小学校の2~3年生がipadの無料エロサイトを楽しんでいるというのだ。私も試してみた。唖然、呆然・・。しばし考え込んでしまった。正しい性知識を知らない児童が、親の知らないところで無修正の異常セックス映像を見ているのである。ここにも明らかに『表現の自由』の行き過ぎがある。
慰安婦報道をめぐる朝日の動きを見ていると、「当時、吉田証言を虚偽と見抜けませんでした」という朝日新聞の弁明はともかく、戦争という過去の歴史を否定するために、それに見合う“事実”だけを殊更、大きく取り上げる風潮が背景にあるような気がしている。
「報道の自由」、「報道の責任」に名を借りた、ある種の魔女狩り的な“傲慢さ”を感じるのは筆者だけではあるまい。日本人の特質である「恥の文化」は、メディアを中心に劣化を深めていくのだろうか。
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- 2014年09月05日 08:01
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