いや、どちらも否だ。実はこれは、冒頭に挙げたすき屋の労働環境を調査した報告書の文言を引用したものである。「働く」という言葉を「練習」に、そして「幹部」という言葉を「命令する立場」に置き換えただけのことである。そして報告書は、こういった「ビジネスモデルが、その限界に達し、壁にぶつかったものということができる」と続く。
良き人生を自ら選択するヨーロッパ人
苦しくても耐え忍ぶ日本人
産業革命を自ら牽引し、それに派生して生まれた新しい労働問題に随時対処してきたヨーロッパの人々の働くことに関する意識は、日本人のそれとは真逆を行くかもしれない。
各国の大使を歴任した父について様々な国を巡り、5ヵ国語を流暢に操る頭脳明晰なオランダ人の同僚メアリは言う。
「オランダでは、2時間残業したら次の日は2時間遅く出社する権利を誰もが会社に主張するわ」
美しい彼女は、主夫として家を守るフランス人の夫と2人の娘の母親として、現在も一家の大黒柱を務めている。4ヵ月間の産休を経た後は、職員の権利として与えられる午後3時帰宅を1年間実行した。彼女に日本のブラック企業に喘ぐ人々の状況を説明したところ、彼女は心底気の毒そうな顔を私に向けたのだった。
国家の経済が破綻しつつあるのに1ヵ月の夏期休暇は確保する南欧諸国のリーダー達はさておき、ヨーロッパの人々の頭の中には、良き人生を自分で選択する行動指針が組み込まれているように思う。事業で成功するにしても、家庭を大切にするにしても、良き人生の定義は自分で決める。周りの空気や世間体に惑わされることなく彼らは主体的に選びとり、それに対する責任を自分で負っている。
合理性よりも共同体内の人間関係を重視し、苦しくてもひたすら耐え忍ぶ精神の美徳を説き、場の空気や体面により重きを置く日本社会の傾向を指摘したのは、第二次大戦時の旧日本軍の敗因を分析した名著『失敗の本質』(野中他5名、1984)であった。70年前の日本の組織の特性を言い当てたこの指摘は、現代のブラック企業が直面する課題の本質も、ある意味言い当てているとは言えないだろうか。
常識で考えれば誰もが持続不可能と思うような勤務形態を、「やればできる。俺たちもやってきたんだ」と精神論で看破しようとするのは、とても合理的に勝つことを念頭において思考する人間の言葉ではない。黒い企業の存在で明らかになった21世紀日本社会の闇は、いまだ根が深いのかもしれない、と思うこの頃である。
※ここに記された見解は著者個人のものであり、国連世界食糧計画及び如何なる国連関連組織の見解を反映するものではありません。
"The views expressed herein are those of the author and do not reflect the views of the World Food Programme nor any UN related entities"