これに対して、ロンドンの人々は団結して工場と交渉し、世界でも先駆けとなる最低賃金の設定に関する労働者保護立法や、労働組合の設立のきっかけを作った。だから同時期に、大陸を隔てたオホーツク海上の日本漁船で、生命の危険を犯しながら蟹工船に乗り組み蟹を水揚げしていた人々の苦労が、その後どのような形で日本社会に制度としての恩恵をもたらしたのかについても、筆者は是非知ってみたいと思う。両者の意味するところは似ているので、Sweatshop-type office work system in Japanと言えば、大体の外国人がそれに近いイメージを脳裏に浮かべることができるのではないかと思う。
日本のブラック企業問題が
海外の人々に理解されない本当の理由
さてこの海外のSweatshop問題であるが、21世紀の今日においては、富める国の人々の関心の大多数は自国の働き手の苦悩ではなく、途上国の人々の過酷な労働環境に移ってしまったようだ。
スタンフォード大学で哲学を専攻し、社会問題にも詳しい知人のアメリカ人に聞いたところ「は、何?途上国の話?」と返されたのも、決して偶然ではない。
例えば、2013年のバングラディッシュで1200人以上の死者を出したアパレル工場の崩壊事故は、様々な国際世論を巻き起こした。いつか崩れるとわかっていながらも、その日工場に出勤した人々の理由は、社内の複雑な人間関係などではなく、また「やればできる」という上司の無茶振りでもなく、はたまた辞めたら世間からどう思われるかという世間体でもなく、ただどうにもならない貧しさであったという。
7万円弱が国の平均年収のこの国で、月の家賃1000円と食費2000円を払うために、彼らはいつか崩れるとわかっている工場に今日も向かう。世界の人々が、日本のブラック企業問題の根本を、理解しきることができない理由はここにある。
何故こんなに富める国の日本人が、この21世紀に劣悪な労働環境に悩まなければならいのか。ブラック企業で疲弊する日本人のほとんどは、工場労働者などではなく、正社員雇用の恵まれた環境に置かれた人ではなかったのか、と。