ナレンドラ・モディ氏(1月) Associated Press
米国の善意の政策が非条理な結果になる場合が時々あるが、これほどの例はあまりないだろう。数週間後、世界最大の民主主義国インドは、10年近く米国の土を踏むのを禁じられている政治家を次期首相に選出することになりそうだ。
この米国渡航を禁止された政治家はナレンダ・モディ氏。長年にわたってヒンズー派民族主義者で、野党インド人民党(BJP)の首相候補だ。9年前の2005年、米政府はモディ氏に渡航ビザ発給を拒否した。同氏がニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで開催されるインド系米国人の会合で演説するために訪米しようとしていた時だ。
このビザ発給拒否の決定は、モディ氏がそれに先立つ3年前、インドのグジャラート州首相就任後に少数派イスラム教徒に対する一連のヒンズー教徒の暴動を阻止しようとしなかったためだ。国務省は1998年に成立したほとんど知られていない米国法、つまり「宗教的自由の重大な違反」の責任がある外国当局者にはビザを発給しないという同法の条項を適用したのだ。モディ氏はこの条項に基づいて米国ビザを禁止された唯一の人物で、米当局もこの事実を確認している。
ジョージ・W・ブッシュ政権(当時)による05年のこの決定は今、オバマ大統領の手を縛っている。米国は偉大な戦略的重要性を持つ民主主義国インドの次期指導者と目される人物の入国を阻止し続けることも可能だ。しかし、いったんモディ氏の所属政党が選挙で勝利すれば、米国はこれまでの態度を撤回し、ビザを発給するとほとんど誰もが信じているようだ。
第2期ブッシュ政権でインド政策を担当した元国務次官ニコラス・バーンズ氏は「モディ氏は首相に当選するとみられるが、(2002年の暴動以降)12年経過しており、オバマ政権は、われわれは喜んで彼とやっていくと言えるだろう」と述べた。
しかし、たとえモディ氏が最終的にビザを獲得するとしても、彼がビザ発給を受けられなかった状況を振り返る価値はあるだろう。
話は1998年にさかのぼる。米議会は当時、「国際的な宗教の自由法」を可決した。同法は宗教的迫害と戦う新しい米国のメカニズムを打ち出した。それには常設の「国際的な宗教の自由に関する委員会」の設置も含まれていた。
米議会の多くの議員は当時、中国やスーダンなどでキリスト教徒が迫害されているとの報告を深く懸念していた。しかし批評家たちは、この法がキリスト教的な偏見、あるいはユダヤ教とキリスト教に共通の偏見を反映していると指摘した。「全米キリスト教会協議会」は、この新法は「他の宗教の迫害された信者を排除するキリスト教徒の大義を助長しかねない」とすら警告した。
ここでモディ氏が登場する。同氏は実質的にインドのヒンズー民族主義運動の中で成長した。地元の食料雑貨商の息子で、少年時代をヒンズー至上主義団体の「民族義勇団」で過ごした。多様だがヒンズー教徒が過半数を占めるインドをヒンズー国家にしようとしている団体だ。同団体が1980年に政治組織としてBJPを設立した後、情熱的なモディ氏は頭角を現し、2001年にグジャラート州の首相に就任した。
翌02年、同州でヒンズー教徒とイスラム教徒との間の激しい暴力事件が発生した。ある鉄道駅で、イスラム教徒がヒンズー教徒の巡礼者たちの乗った列車を包囲し、両教徒が衝突した。列車は放火され、乗客58人が死亡した。ヒンズー教徒の中にはイスラム教徒が放火を扇動したと主張する向きが少なくなかった。暴徒化したヒンズー教徒がイスラム教の居住地域を荒らし回り、人々を殴打して死に至らしめ、女性をレイプし、住居に放火した。数日間で死者は1000人以上に達した。
長年の調査の結果、モディ氏を直接こうした攻撃に結び付ける証拠は一切出なかった。しかし、同氏が攻撃を阻止するため適切な行動をとったかどうか疑問が残った。一部のケースでは、警察当局は傍観しているだけで何もしなかったからだ。モディ氏は、できるだけのことはした、と繰り返し弁明した。
ワシントンでは、この事件は、新たに設置された「国際的な宗教の自由に関する委員会」がキリスト教徒だけでなくあらゆる宗教を保護していることを誇示する機会ととらえられた。同委員会は連邦議会で、インドにおける反イスラム暴動に関する希有(けう)の公聴会を開いたほどだ。委員たちはモディ氏が「行動しなかったこと」に強い印象を受けた。「(目撃者の話は)胸の痛むものだった。その上、記録として残された」と、インド生まれのパキスタン系アメリカ人で国務省官僚だったShirin Tahir-Kheli博士は語った。
3年後、モディ氏はニューヨークとフロリダで講演するため米国にビザを申請した。
これに対し、「国際的な宗教の自由に関する委員会」は、モディ氏に対する米国入国禁止を勧告し、国務省もこれに同意した。モディ氏は既に旅行者ビザを取得していたが、同省は1998年の宗教の自由に対する違反を理由に、これを撤回した。
ブッシュ政権(当時)はまた、モディ氏を問題にするほど高位の人物でないと判断していた。バーンズ氏は「モディ氏は当時、全国的な人物ではなく、首相でも閣僚でもなかった」と述べた。
モディ氏はこれに侮辱を受けたと感じ、ビザを再申請するつもりはないと述べた。しかし米政府当局者によれば、同氏は最近、間接的に申請を打診しているという。
モディ氏のBJPが経済発展とクリーンな政府を公約にして選挙運動を展開し、与党の国民会議派を総選挙で破る形勢にある中で、オバマ政権は2カ月前、政策変更を示唆した。米国のナンシー・パウエル駐インド大使がモディ氏と1時間会談したのだ。05年にビザ発給が禁止されて以来、この種の会談は初めてだ。
米国務省には現在、モディ氏をめぐる法的な状況がビザ禁止以降に変化したと主張できる根拠も若干ある。昨年、インド最高裁によって承認された調査で、モディ氏の暴動への関与が否定されたのだ。
しかし、モディ氏がインドの首相になれば、その事実自体が米国の方針転換し入国を認める理由になるだろう。彼の過去の行動(そして無行動)に米国が大いに納得して安心したかどうかは関係ない。
「インドの首相にビザを出さないわけにはいかない。インドのような重要な国との関係でそんなことができるわけがない」、「しかし、非常に多様な宗教や考え方の人々が住む国の代表者に求められる寛容さをモディ氏が持っていることを期待したい」と、Tahir-Kheli博士は述べた。
(注)筆者のマン(Mann)氏はジョンズ・ホプキンス大学の高等国際研究大学院の常駐フェロー。「The Obamians」、「Rise of the Vulcans」の著者。