済美・安楽、悲痛 恩師との突然の別れに涙

2014年9月3日6時0分  スポーツ報知
  • 上甲監督の亡きがらと対面し、目を潤ませながら引き揚げる済美・安楽(右端)

 センバツで2度の初出場初優勝を果たした愛媛・済美高監督の上甲正典氏が2日午前9時15分、胆管がんのため、愛媛県東温市内の病院で死去した。享年67歳。1982年8月に就任した愛媛・宇和島東高で88年春に初出場優勝。02年に済美高の野球部創設と共に監督に就任し、創部3年目の04年春に同校を初出場優勝に導いた。昨年のセンバツでは今秋ドラフトの目玉候補・安楽智大投手(3年)を擁して準優勝。今夏は7月の愛媛大会3回戦(対東温)で敗退し、8月中旬に体調を崩して入院していた。

 安楽は授業が終了後、告別式が行われる松山市内の斎場で、約10分間、上甲監督の亡きがらと対面した。学校側が精神状態を考慮し、取材対応はなし。恩師との突然の別れに目を潤ませ、無言で立ち去った。訃報は昼休みに学校関係者から伝えられ、「非常にショックを受けていた」という。4日の告別式で、感謝の思いを込めた弔辞を述べる予定だ。

 野球部の中矢太部長(40)によると、上甲監督が「きちんと生徒にも(自分の病気のことを)伝えてほしい」と希望。1日の始業式後、「監督は入院して病魔と闘っておられる」と、安楽を含む野球部員たちに報告したばかりだった。

 中矢部長によると、上甲監督は7月下旬に「来年も監督をやります。やりたいです」と続投に意欲を見せていたが、8月に異変が起きた。「本校の不祥事が発覚した8月に入ってから容体が急変した。もともとそれだけが原因ではないが、タイミングが重なってしまった。監督自身は一日でも早い復帰を考えておられて、毎日、生徒のことを気にかけていた」と肩を落とした。

 ひつぎをのせたワゴン車は、家族らとともに入院先の愛媛・東温市の病院を出発後、同校野球部グラウンド、坊っちゃんスタジアムを巡回。同球場では球場内に車を乗り入れ、夏の甲子園大会の大会歌「栄冠は君に輝く」が流され、サイレンも鳴らされた。その後、松山市内の自宅を回った後、同校で教職員ら学校関係者とお別れし、斎場に入った。

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