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22世紀の終わりごろ、ゲフィオン族で扶桑皇国が独立を宣言したのを皮切りに、おおくの小惑星国家が主小惑星帯 ( メインベルト ) に成立した。
この動きに対して、人類世界の統治者を自認している地球連邦政府は、もちろん反発し、自治区として傘下に収めようとした。結果、この時までに成立していた、扶桑皇国、ノイエスラント公国、天漢中人民共和国などの小惑星国家との緊張関係が高まり、人類初の宇宙戦争も時近いと噂された。
しかし、23世紀に入り、太陽活動の低下によって内惑星圏全域が小氷期に入ってしまったことで、緊張は一時的に先送りされる。宇宙太陽光発電にエネルギーの多くを頼っていた地球は経済的・政治的混乱期に入り、結果、先の見える多くの人間が宇宙へと旅立ったのだ。
小惑星帯や木星圏を目的地とした人の流れは、23世紀の最初の50年間、年間100万人単位に及び、結果、宇宙空間の人類人口は2億人を突破して、ますます栄えるようになった。
2360年代に小氷期が終わり、内惑星圏が復調の兆しを見せた頃には、太陽系世界の重心は地球集中型から分散型になり、人類は2度目の大航海時代に突入した。
2260年代、主小惑星帯を中心に630の小国家が宇宙空間に成立していた。その多くは直径5キロほどの小惑星を刳り貫いて造った都市に、1万人規模の人口を住まわせた規模であった。
宇宙空間に国ができると、その利害関係もまた宇宙へと持ち込まれた。
対立の構図は、主に地球と、メインベルトの間で行われるパワーゲームで、そこにいくつかの強国が絡んで、徐々にエスカレートしていった。
そして対立が最高潮に達し2271年、小惑星国家の間で熱核兵器を相互使用する局地的な戦闘が展開され、数十万人が跡形もなく消滅した。
人々は恐怖した。
相互確証破壊の恐怖は、宇宙空間でも継続していることを。
そして、思い出した。
太陽系中を結んでいる惑星間宇宙船のエンジンが核融合機関であることを。
この時ばかりは、人類全体が悩んだ。
21世紀後半の継続的文明拡大構想と包括的環境保護条約の締結された時代と同じ程度に。その結果、このときも理性と良心が優先された。
環境問題が観念的な問題から、実感できる問題へと移行して初めて人類が真剣に対応したのと同様に。
互いの頭上にダモクレスの剣のごとく、核融合弾頭を込めたミサイルを吊り下げながら行われた話し合いの結果、2275年、人類領域平和維持協定、通称アグリメントが締結され、即時批准、発行された。
アグリメントでは、国家間の軍備について主に定められた。その1つが、先制攻撃の否定である。いかなる種類の団体・個人も、あらゆる種類の先制攻撃を禁止した。違反者に対しては、国際機関の罰が下されることが決まった。
問題が起きたのはここで、実行者たる国際機関の組織をどうするのか、という点だ。
地球連邦は、建前上、太陽系唯一の統治者であって、各小惑星や惑星の共同体は連邦傘下の一自治組織であると主張している。そのため、国際機関も連邦組織の一部とするべきだと、言う。
一方、セレスの扶桑皇国を中心にメインベルトの共同体は、求められる組織の性格から、中立を旨とする国家に隷属しない独立機関とすることを求めた。
喧々諤々の議論の末、後にテミス不変倫理審判団の名で呼ばれる組織の原型となった。
アグリメントをその民族的気質から几帳面に守ってきたのが、ノイエスラント公国に住む人々だ。
彼らは〈移行者〉(セツラー)と自ら名乗り、真空低重力空間に適応するための肉体改造を行ってきた。
星を目指す彼らは、その視線を常に外へ外へと向ける人々だった。
そんな彼らも俗世の糧を得る必要があり、また倫理観と正義感に満ちた騎士道を国是にしていたためか、その主要産業は昔のスイスのごとき傭兵稼業であった。
アグリメントは発行されると、彼らは考える必要があった。それまでの宇宙での軍こと行動と言えば、巨大なエネルギーをぶつけ合う大味なものであったが、それがだめになってしまったのだ。どうするか。
ここは先祖の知恵を拝借するか。
接舷白兵戦等に決まった。
2290年代にプレヤーデンをはじめとするフィクスシュテルン級の高加速巡航艦が設計されたのは、そういうわけだ。殺し過ぎないための装備が選択され、強力な減速を可能にするスラストリバーサー、分割砲台なども搭載された。
アグリメントの規約に従って、ギガワットクラスの大火力砲や核の類は装備していない。また、敵からの核兵器のような大威力兵器の攻撃も想定しにくかったため、装甲も減らした。また自分たちの長所を生かし、生命維持系統も最低限に削った。その結果、非常にコンパクトな船体に、必要な機能は収められた。
そして出来上がったのは、やたら足が速くて、小型、かつ長い航続距離をもつ、“巡航”の意味するところを正しく実現した船だった。
21世紀の終わりごろから本格化した宇宙開発は、22世紀中にとある島国の末裔が小惑星帯最大の天体セレスに巨大な都市を築かせてしまうほど進展した。彼らだけではなく、世界の列強と呼ばれていた国の人々を中心に、宇宙へと上がり、小惑星帯以外にも月、火星、金星へと進出していった。
もっとも遠いところでは、木星圏にまで広がっている。
それから約1世紀。新しい大航海時代の始まりを告げた時代は、新たな脅威を生み出す。
宇宙海賊と彼らは呼ばれた。
メインベルトの小さな基地を根城に、数多くの海賊が民間船を襲うようになったのだ。
海賊の目的は、金品や情報の強奪で、致命的な先制攻撃を行うことはほとんどなく、弱い獲物だけをねちねちと襲って、逃げ回る。時々、偽装して民間船に近付く。先制攻撃を封じられている治安維持機関にとっては、非常に厄介だった。
そこに現れたのが、フィクスシュテルン級だった。かの船は海賊に対して、砲撃を行わなくても勝つことができた。
中に乗っているのは、宇宙の民と自認する〈移行者〉の群れで、白兵戦に後れを取ることもない。
そんなわけで、フィクスシュテルン級の姉妹は、今日も宇宙の平和を守るために闘っている。そして、その中でも最も若い妹が青く若い星々の名を冠したプレヤーデンであり、その船長がカレン・フォン・ルーベリアだった。
浙江号との戦闘が終わり、負傷者の収容と船体の離脱作業などを一通り終えて、カレンは艦長室へと戻っていた。制圧下においた浙江号内部の捜索や海賊の取り調べなどのこと後処理はエルマーに任せている。
浙江号に絡まったワイヤーを巻き取って船体を分離するのに1時間、それから取り調べのために浙江号へエルマーが移ってから1時間。その2時間をシャワーと仮眠で過ごした後、私服の緩いシャツと軍服のズボンを履き、マホガニー調の木目で飾られた執務机で強制執行報告書を昔懐かしいタイプライターで打っていた。
アグリメントの規定に従って、先制攻撃をうけた後に執行を行ったことや、非致死攻撃に留意したことなど、クリシュナ号の追跡などの経緯を添えて詳細に打ち込む。
公宙哨戒中の襲撃こと件との遭遇、海賊の追跡、強制執行と拿捕。今回の作戦はカレンが何回も繰り返してきたいつも通りの任務だった。
艦長室のドアがノックされた。
「艦長、エルマーです」
「入れ」
ドアを開けたエルマーは、脇を少し開いて、顔の横に手のひらを添えるノイエスラント公国宙軍独特の敬礼を行ってから、執務机へ歩み寄った。
報告書を打っていた手を止めて、カレンは指揮官用の顔を厳格な副長に向けた。
「取り調べと船内の捜索は終わった?」
「一通り終わりました。詳細は書面でご確認されてください。要点だけを述べさせていただきます」
「分かったわ。それで、私たちの獲物は船内に残ってたのかしら」
「船内を捜索した結果、救命艇が2隻、接舷の前に離脱していることが確認されました。おそらく、目標は煙幕に紛れて脱出したと思われます」
「……それは逃げられた、ということかしら」
「残念ながら」
今回の任務でいつもと違ったのは、こと前情報の異常な正確さだった。
通常、公宙航海中の強制執行は、偶発的なものだ。それは、こと前に民間船の航路が公開されていないことと、襲撃に及ぶ前の海賊船を見つけるのが非常に難しいことが理由である。
核融合エンジンからほとばしる高温の噴射は、太陽系宇宙のどこからでも観測できる。海賊はそのこと実をしっかりと認識しており、通常航行中は噴射を伴わない慣性航行を行ったステルス状態を保っている。
そのため、海賊船が襲撃を行うための減速行程に入ったときと、逃走のための加速行程のときにしか観測できず、どうしても対応は後手に回ってしまう。
しかし、今回の任務ではノイエスラント公国宙軍情報部、通称アプヴェーアからこと前に詳細な情報がもたらされていた。その中には、旅客船の航路や途中で乗り込んだ乗客の存在はおろか、海賊の襲撃軌道までが含まれていた。
しかも、旅客船と海賊船への襲撃前の接触を禁じる命令も同時に出ており、カレンは今回の任務に疑問を抱いていた。
守ることができるのに、なぜ守ってはいけないのか。
その疑問は、上官の戦隊司令カナリス・ワーレンハイト大佐に直接伝えたが、忠実な軍人であれ、とだけ言われて流されてしまった。
「ただ、海賊の身元と逃げられた情報の内容は、おおよそ判明しました。天漢人民共和国の船籍表示は偽装で、メインキールの登録上の所有者はエウロパ・ラダマンテュス市のエリュシオン社。船長以下36名の船員はすべてその社員です」
「エリュシオンといったら、ロシュリミットのカバー会社じゃない」
「はい。ロシュリミットに繋がることは、間違いありません。しかし、アプヴェーアもテミスの情報部も、直接的な関係は辿れていません。エリュシオン社に照会しても、関係は無いの一点張りなので、本件は船長の独断として処理するよりほかありません」
「結局、いつものとおりか」
長いまつげを伏せて、落胆した様子でカレンは言った。
エルマーは少し驚いていた。若いが超然としたところのあるこの艦長が、部下の前で気を落とすことは少ないからだ。
なにか見てはいけないものを見てしまった気分に襲われたエルマーは、つとめて事務的に手早く報告を終えようとした。
「今回の任務に関連して、カナリス大佐から追加の命令がとどいています」
「ブリッジで聞くわ」
エルマーは一礼して艦長室を辞した。
「総員傾注!」
カレンがブリッジへ降りてくると、すかさずエルマーが怒鳴った。飾りは無いがラフで動きやすい第4種軍装に身を包んだカレンは、艦長席に入って、敬礼する士官たちに答礼する。
「これから、ノイエスラント公国宙軍第35護衛戦隊司令カナリス・ワーレンハイト大佐からの命令を拝命する」
ブリッジ正面のスクリーンに、黒い軍服に身を包んだ丸メガネの男が映し出された。
プレヤーデンの現在位置は、パラス族小惑星にある本国から約2億kmも離れており、高速でのやり取りでも片道11分かかってしまう。当然、画面のカナリス大佐は録画による映像だった。
カナリス大佐は神経質そうに人差し指で眼鏡を上げると、陰鬱とした声で話し始めた。
「戦隊司令カナリス・ワーレンハイトから、プレヤーデン艦長カレン・フォン・ルーベリアへ。事情はすでに把握しているだろう。君が逃がした者はすでに次の行動に映っているようだ。彼らとつながりを持つ企業や船の動きが活発化しているとの知らせもある。なにか大きな作戦を行おうとしているようだ。主だったところでは、セレスの港から出航した船が3隻、加速行程の後、行方をくらませている。また、ジュノーの精密機械メーカーは、非常に大型の陽子加速装置の発注を複数受けている」
そこでカナリス大佐はいったん言葉を切った。後退した額の汗を拭い、続ける。
「さて、ここまで大規模な動きを感知しながら、我々はいまだその目的を知ることは出来ていない。君の襲撃が失敗に終わり、糸口も現在、失われてしまっている。これは太陽系人類世界の安定に重大な懸念を生じさせ、地球と宇宙の間に大きな溝を生むかもしれないことは、君の頭なら理解できるであろう。我々は彼らの目的を知り、そして阻止せねばならない。
そこで、プレヤーデンはジュノーにて補給艦と合流して補給を行った後、そこで目標と接触した企業を調査してもらう。なお、今回の任務には協力者を参加させる。ジュノーにて合流してほしい。太陽系人類世界の永遠なる拡張のため、われらがフォーゲルアヴァイデ大公の名のもとにこれを命じる。Wir können fliegen und Gebet(祈り、そして飛べ)」
「Fly und Gebet!」
合言葉の唱和が終わり、エルマーが士官たちを解放する。
「副長、現在位置とジュノーの位置関係を教えて」
「はい。軌道変更などを考慮し、到着まで巡航加速で480時間ほどです」
「艦内消耗品と推進剤はかなりぎりぎりね。休暇はお預けか」
「ジュノー名物の現地米を使用した蒸留酒は、なかなかの味ですよ」
「あら、エルマー。あなた、お酒をたしなむの?」
「人並ですよ」
プレヤーデンは、軌道をジュノーへ向けた。
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