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星の海のエインセル 作者:唐揚3号

人は踊りて星は輝く

1 人は踊りて星は輝く


第1部海賊讃歌――AD2303年

 平穏そのものの航海に、異常が発生したのは旅客船クリシュナ号が、主小惑星帯メインベルトを航行していた時だった。

 がんと鈍い衝撃が船を揺らす。しばらくすると甲高い摩擦音があがり、通路に火花を散らす。

 「なんでしょうか?」

 「レーザー溶断機か、高周波切断機だろう。敵さんは、ブリッジへ続く通路を狙うようだな」

 「そんな、クリシュナ号を」

 モニターを見ていた船長と航法長が緊張した様子でささやき合う。副長は乗客に宇宙服を着るよう館内放送で指示を出し、甲板長はブリッジ要員になけなしの武器を渡して、ブリッジに通じる扉をにらんでいる。
 その様子を、ガリアはブリッジの隅に立ち、焦る気持ちを抑えながら眺めていた。

 「船長、なぜこの船が襲われているんだ」

 「私に言われましても。このあたりの宙域はクリアーだと予報しているのは、あなたの組織でしょう?」

 船長は皮肉を交えながら、取り乱すのをなんとか堪えているガリアに答えた。原因となり得るのは、彼の存在しか考えられず、何を言っているのかとため息をついて、目の前の仕事に戻る。
 非常事態の今、やることは多くある。
 なにしろ宇宙海賊が襲ってきたのだから。

 襲われる心配はないさ、とガリアは請け負っていた。旅客船クリシュナ号は、この太陽系に数百隻はあるありふれた惑星間宇宙船だ。
 高価な美術品や医薬品、精密機械の類は積載せず、人と情報を積み込んで木星のエウロパと火星のフォボスの間を、経済的なホーマン遷移軌道でのんびりと航行している。

 宇宙海賊が危険を冒してまで物理的襲撃に及ぶような獲物ではない。船籍をおいているフォボスのニューパナマは、どこの共同体とも戦争状態にはないから、敵国の船という存在もない。
 自然現象以外にクリシュナ号の航海を妨げるものはないはずだった。

 「船長、乗客の皆様は船室に入っていただきました。それから、機関室とブリッジにバリケードと対人治安装備の配置は完了しています」

 「よし、隔壁を閉鎖しなさい。それから、救難信号の発信――あぁ、通信システムは破壊されていたな」

 「最初の砲撃で、惑星間通信用の高利得アンテナを破壊されています」

 「ふむ、慣れた手口なことだ」

 クリシュナ号の軌道後方から同じ航路を進む輸送船を装いながら海賊は接近してきた。そして、気が付けばこちらの限られた武装である対デブリレーザー砲と通信システムを吹き飛ばした。そして、ワイヤーアンカーを打ち込んでクリシュナ号に取り付き接舷にかかっていた。

 警告はなく、こちらからの呼びかけにも答えずに、ブリッジへと通じる通路に大穴を開けている。クリシュナ号のセンサーは、半径10万㎞以内に1隻も他の船の存在を感知していない。

 広大無辺の宇宙空間にただ一隻。そして、武器らしい武器は、暴徒制圧用のスタンライフルと、船長用に1丁だけ積まれている火薬式自動拳銃だけだった。
 幸い宇宙服は乗客と船員のすべてに行きわたるだけあり、機関の核融合エンジンにいたずらされなければ、なんとかなる可能性はあった。

 「船長、まさか船員の中に私の存在を外部に漏らした人間がいるのではないかね」

 ブリッジの隅で押し黙っていたガリアが、血走った眼を船長に向けた。膝は宇宙服の分厚い保護布を通しても分かるほど揺れている。

 「それは後の心配でしょう。こちらに任せてください、あなたは無関係かもしれませんし」

 自分でも信じていないことを船長は言った。そうでもしなければ、目の前の男は今となっては無意味な原因の究明のためと称して、ブリッジにいる船員を尋問しかねなかった。

 そして、破局はやってきた。

 ブリッジの扉が四角く切り抜かれ、空気が音を立てて通路の方に流れてゆく。ブリッジの中にいた船員たちが顔をしかめたかと思うと、3つ4つと投げ込まれた黒い球体が、激しい閃光と熱、煙を浴びせて来た。

 宇宙服の視界が一瞬白濁した直後、船長の身に激しい衝撃が降りかかった。そして、遠のいた意識に、激しい炸裂音とさらなる閃光、赤いしぶきが弾けた。
 それから、黒い無骨な装甲宇宙服を着た人影が幾人も突っ込んできた。

 閃光と軽い発射音。

 散乱する薬きょう。

 通信機に入電する怒声。

 もともと限られた装備しか持っていないクリシュナ号の船員たちが制圧されるまで、それほど時間はかからなかった。

 吸い出されていた空気と一緒に煙が晴れたころには、船員たちは撃たれた仲間をかばいながらブリッジの中央に集められ、武器を没収されていた。
 黒い装甲宇宙服を着た海賊は、銃口を彼らに向けると、指揮者に名乗り出るよう告げた。

 「船長は今、怪我をしていらっしゃる。代わりに私が聞きましょう」

 腹部から血を流して横たわっている船長を支えていた副長が立って答えた。海賊たちが銃口を向ける。強化プラスチックでできているらしいその銃は装薬式らしく、小惑星帯では珍しい武器だ。

 「要求は何でしょうか。乗客と船員の命は保証していただきたい」

 一人の海賊が銃口を下げさせながら前に出て、副長の頭を乱暴に引き寄せた。互いのフェイスプレートがぶつかり、振動で相手の声が聞こえてくる。

 「我々は君たちがエウロパ出航後に乗せた1人の男の身柄を欲している」

 「なんのことだか私には……」

 「とぼけない方がいい。なんなら、君たちの親会社の提出した乗客リストと、航行プランデータと一から照会していってもいいんだよ」

 海賊の言葉は、この襲撃が出航前から綿密に計画されたものであることを示していた。

乗客リストと航行プランデータは、船会社を除けば安全保障の観点から航路警備を担当する治安当局にのみ公開されることになっている。

 宇宙航路は、出発地と目的地の相対位置が常に変化していることや、船の加減速性能の違いから、同じ出発地と目的地でも同じ航路をとる可能性は非常に低い。よって惑星間を航行する2隻の船がランデブーすることは、計画されたケースでない限り非常にまれだった。
 その事実は、宇宙海賊の襲撃の8割が出航直後の加速前と、入港前の減速中に集中していることからも分かる。

 加速終了後にランデブーしてきたこの海賊たちは、船会社か治安機関にパイプを持っているか、コンピューターに侵入して正確なデータを入手し、近接する軌道を行く輸送船に偽装して追跡してきたのだろう。

 おそらく主小惑星帯メインベルトに入ってから、微小惑星に紛れてランデブーしたガリアの存在も知っているのだ。

 「あまり時間をかけたくない。だが、同じ宇宙を旅する仲間としては、君たちに手荒な真似をするのは心外だ。どうか快く協力してくれないだろうか?」

 まるで鉛筆を貸してくれないか、と頼むかのように軽い調子で海賊は副長に話している。
 遮光プレートに遮られて表情は見えないが、おそらく笑っているのだろう。

 「わたしたちには乗客を売る意志はありません。また、あなた方の言う外部からの密航者を受け入れた事実もありません」

 副長は震える声でそう答えた。副長と話していた海賊がさっと右手を上げた。
 周囲の温度がどっと低くなる。海賊たちが下ろしていた銃口をまた向けてきたのだ。船員たちはさらに身を寄せ合った。

 「悪いことは言わない。君だってスペーサーかセツラーだろう? 傲慢な地球人をかばい立てする義理はないじゃないか」

 場の空気がまた微妙に変わった。緊張と警戒の矛先の何割かが海賊たちから、密航者――ガリアの方に向けられたのだ。視線を向けたわけでもないし、誰かが動いたわけではない。
 しかし、海賊の言葉は、絶妙に船員の心を撫でた。そして、空気の変化を感じ取ったガリアは動きを見せてしまった。

 「そいつを捕えろ!」

 次の瞬間、ブリッジの入り口に開けられた破孔へ逃げ出そう跳躍したガリアの動きを、2人の海賊が逃さずに捉え、低重力環境での捕縛術の基本通りに関節を極めた。
 上からのしかかるように捕まったガリアは、大の男3人分と装甲宇宙服の質量を受けて、緩慢な動きで床に抑えつけられた。

 「彼がそうですか?」

 木目が施された炭素素材の床で暴れるガリアを横目で見ながら、海賊が副長に問う。

逃げ場は無い。
助けも来ない。
重傷者が数人いて処置が必要。
 ブリッジは占拠され、すでにクリシュナ号の機能は掌握されている。

 「……乗員の命と財産は保証していただけるのですね?」

 副長の一言に、ガリアの表情は絶望で歪んだ。海賊は満足そうにうなづき、フェイスプレートを離して部下になにか指示を出した。
 ガリアを押さえつけていた2人の宇宙服姿の海賊が、ガリアを後ろ手に拘束しながら立ち上がった。

 それを合図に海賊たちは、自分たちの開けたブリッジ入口の破孔から撤収を始めた。
 無駄な動きはなく、銃口を船員たちに向けて入り口に背中から入っていく。

 「もちろん、無用な殺傷は行いません。みなさんの安全は、この宇宙海賊ロシュリミットのキャプテン・エインセルが保証しましょう」

 最後のグループとして残っていた指揮官らしき人物はそう名乗った。そして、自分も破孔から出ていった。船長が撃たれてから、ほんの10分程度の出来事だった。


 嵐の過ぎ去ったブリッジに、ツーツーツーとブザーが聞こえた。副長がフェイスプレートに投影された拡張視界を、旅客船の通信システムに接続すると、港湾停泊中にしか使うことのない低利得通信機が呼び出されていることが、アイコンの点滅で分かった。

 ――なんだ?

 副長は、復旧作業の始まっていたブリッジで指揮を執っていたため、一度はそれを無視した。仕事は多く、レーダーにはクリシュナ号の周囲に船影は映っていない。機械の故障の可能性が高いと判断した。

 副長は通信システムに故障自己診断プログラムを走らせるよう、艦載AIに指示を出した。診断プログラムは10秒ほどで診断結果を拡張視界の中に映し出した。
 故障なし。
 低利得通信システムは、誰もいないはずの通話を受けているらしい。

 ためらっていても仕方がない。
 副長は低利得通信システムのアイコンに視線を向け、2回、左目を瞬きして通信を開いた。

 「こちらクリシュナ号」

 もしかしたら海賊の通信か、と今になって想像した。しかし、通信システムの向こう側からの返信は奇妙なものだった。

 「あ、やっとつながった。はろー、聞こえてます? とりあえず、出力そのまま、姿勢制御や軌道変更しないでください。外に対するアクションはなし。返信も短く。OK?」

 声は若いソプラノで、女のもののようだ。エインセルと名乗った海賊の怜悧さはみじんも感じられず、緊張感もない。むしろどこか楽しんでいるようですらあった。映像は出ない。もともと狭い通信帯域を節約しているためだ。

 「君はなんだ?」

 副長は聞き返した。相手はもう一度言った。

 「この通信を傍受されたくありません。返答は急いでください。警告は聞こえていますね?」

 海賊ではない事だけは分かった。副長は「了解した」と答えた。返信。

 「こちらカレン・フォン・ルーベリア。ノイエスラント公国の戦闘艦。人類領域平和維持協定に基づく公宙哨戒中です。こちらは貴船の要請にこたえる能力があります、救助は必要?」

 副長は息をのんだ。ノイエスラント公国――データかニュースでしか見たことのない人々の国だった。
 ありえないことだ。クリシュナ号の半径10万㎞以内の空間には、10m以上の物体は1つも存在していないはずだった。

 「もしもーし、聞こえてますか? 時間がないんです。返答を、それとも何か含むところが?」

 カレンと名乗った女の声は、副長を責めるように声色を変えた。
 ほんとうに時間がないのだろう。副長は逡巡して、判断するために拡張視界に船の修理状況を映した。

 機関部と生命維持システムに致命的な損傷はない。長距離通信システムも、予備のアンテナで間に合いそうだった。
 なにより、武装艦艇の乗員を中に引きいれて、ガリアが乗船していたことを知られたくはない。

 「……こちらクリシュナ号。フォン・ルーベリア、救助の必要はない。独力での復旧の見通しが立っている」

 「そう? それなら、いいけど」

 通信機の向こうの声は、クリシュナ号に対する興味を無くしたかのように、素っ気なかった。
 それから、しばらく返信はなかった。副長は、通信が切れたのかと思い、アイコンを消そうとした。そのとき、また向こうから通信が始まった。その声は冷たかった。

 「とりあえず、そちらの船から拉致された人物は、こちらで身柄を預かりますね。では、貴船の無事な航海を祈ります」

 返答の間もなく通信は終わった。副長はしばらくの間、呆然と立ち尽くした。なぜ、知っているのか。疑問が中空を飛び続けていた。



 その船は魔法のように、突然現れた。いや、魔法ではない。
 船体表面の色が波のうねりのように波打っている。その色は純白から、背景放射の暗い闇まで自由に可変できるようだ。おそらく、電波透過率も自由に変化させて、高いステルス状態を実現しているのだ。

 色のうねりが収まると、一面の純白に青のラインが映える1隻の流麗な船がそこにあった。西洋の騎士が装備した馬上槍を思わせる細身のシルエットの宇宙船は、船尾から商船とは比べものにならない強力な核融合光を吐いて、先を急いでいた。

 ノイエスラント公国宙軍航路警邏艦隊所属、フィクスシュテルン級高加速巡航艦〈プレヤーデン〉。それがその船の名前だった。

 「なぜ知っている、だそうですよ、艦長」

 クリシュナ号をレーザー微細動検出器でモニターしていたバーゼルが、モニターに目を向けたまま言った。流れるような金髪と青い目をもつバーゼルは無表情に自分の仕事に戻った。それを耳にしたブリッジのみなは苦笑するよりほかなかった。

 「あれで隠すつもりだったのか」

 険しい声で呟いたのは、プレヤーデン副長兼戦務参謀のエルマーだ。ラテン系の血筋を褐色の瞳と茶髪に、分厚い胸板を持つ長身の男は、艦長席の隣に立っている。濃紺に銀の階級章を合わせた軍服を、これ以上ないほど着こなしている。形のいい眉をしかめて、船乗りの風下にもおけませんな、と感想を述べた。
 対照的にコルネリアは、憐れみを持った感想を抱いているようだった。

 「きっと、なにかの事情があったのでしょう。わたしたちが助け出せれば、それで終わる事です」

 機関長席に座り、船を走らせるプラズマをチェックしながら、あまりいい男ではないようですね、とぼそりと論評する赤い髪の美人がコルネリアだ。年齢を問うた男を儚い笑みと共に迎撃する機関長は、人生の半分を宇宙船のエンジンと過ごしてきた。

 おおむねブリッジの士官たちは呆れていた。ただひとりを除いては。

 「で、わたしたちの獲物はどこなの?」

 そのひとりは、じっとこらえるように呟いた。少女を思わせる細やかなソプラノの声が耳に届いた士官たちが目をやる。

 「そもそも、ほんとに被害者なのかしら? もしかして、海賊とグルだったんじゃ」

 肘かけを掴んでいた右手を拳に組み替えて、だんと叩きつけた。

 「まあいいわ。コルネリアの言う通り、わたしたちが追いついて、捕まえて、面の皮を引っ剥がせばいいわけだしね」

 そう言って、少女はブリッジで最も高い椅子から立ち上がり、人差し指をブリッジ正面のメインディスプレイに突きつけた。
 大げさな動きの慣性に従って制帽が頭から外れ、腰まで伸ばした豊かなアッシュブロンドが照明の光を反射する。

 プレヤーデン艦長カレン・フォン・ルーベリアは、ただただ憤っていた。それを見た士官たちは、一様に苦笑を浮かべた。

 ノイエスラント公国が使う正歴で24歳、地球歴換算で18歳の少女と言ってもいいカレンは、この船の大人たちから見るととても眩しい存在だった。

特にその容姿は大人たちだけではなく、映像やニュースで触れた人々すらも惹き付けた。単に美しいという理由からではない。

 星のような輝きを放つ髪、若い恒星のように青く明るい瞳、引き締まった四肢、低重力空間での羽のような歩調。

そういう若さを象徴するもののなかに、自然と存在する知恵と利発さを合わせた行動。出自から若く見られることの多い〈移行者〉(セツラー)の中でも、彼女ほどその年齢と地位の差を感じさせ、なおかつ納得させるものはいなかった。

そしてカレンは、求められる自分を演じた。強く狡猾で判断力に優れた士官の姿と、戦場に立つ勝利をもたらす女神の影を。

ノイエスラント公国宙軍の制帽にトーテンコップをあしらって、防刃/防弾/耐衝撃性に優れたハイカーボン繊維で編まれた漆黒の制服に身を包み、皮手袋をつけた手に馬上鞭を持って――そして敵を無慈悲に叩きのめす。

そこに少女は存在せず、ただカレンというばかばかしいほど肩肘を張った、ある意味危うい、しかし無慈悲な意志があった。

そんな人間が、最大加速中の高加速巡航艦プレヤーデンの艦長席で、気だるげに右手の鞭で左手の平を叩きながら、淡々と命令を発した。

 「接舷戦闘準備。観測員、敵艦形状、相対位置、戦闘圏突入予想時刻知らせ」

 「光学映像出します」バーゼルが即座に反応。「敵、中心軸長60メートル、艦首に耐塵装甲を確認、敵シルエットをニンバス級と同定。標的をFeind1と呼称。船籍表示はヌーベルガリア共和国。襲撃パターンはロシュリミットに類似。距離1万3400キロ、コンマ3G加速で逃走中、相対速度差プラスコンマ8、ランデブー可能範囲。接触まで1620秒、戦闘圏突入時刻まで1300秒と予想」

 「副長、突入用意」

 「ヤヴォール、ヘア・コマンダー」エルマーがヘッドセットの端末に向かって命じる。「全戦闘員に告ぐ、白兵戦用意」

 「機関長、1100秒後に船体反転、最大減速」

 「ゲート・クラー」コルネリアがコンソールの直通回線を開いて、機関部員へ静かに伝える。「ロックフュラー(機関士)、1100秒後、船体反転、最大減速」

 「砲雷長、1145秒後に光学砲戦を開始」

 「ヤヴォール」肥満体のギルベルト・ミュラー砲雷長が、コンソールの上で指を舞わせながら端末に向けて命令する。「各砲座、照準データリンク接続確認。以後、各砲手に照準をゆだねる。1200秒後に砲座展開、統一斉射の後、各砲座、自由射撃に移行」

 「全船、装備確認、ヘッドセット着用」

 艦橋の天井から慌ただしい白兵戦要員たちの足音が響いてくる。環境の一層上におかれた兵員室で、50名あまりの白兵戦要員たちが胸や肱、膝にハイセラミックの装甲プレートを装着し、食事と排泄を済ませているのだ。

 階上の騒ぎを聞きながら、艦橋の士官たちは、左右の眼と耳を覆うヘッドセットを装着し、戦闘突入前の最後の準備を行っている。
 幾回も繰り返してきた、もう慣れきってしまった手順であったから、必要最低限の命令以外はそれぞれの処理に任されていた。静まり返った艦橋には、戦闘突入までのカウントダウンを行う艦載AIの音声だけが響いている。

 プレヤーデンの艦橋は床面以外の壁面が、無辺ディスプレイとなっていて、周囲の光学/熱源/レーダー観測情報が、複合的に表示される。

 今、この時もプレヤーデンの軌道前方を加速して逃走するFeind1の核融合光が煌々と映し出され、その周囲に接触までの時間や武装などの情報が次々と表示されていく。
 その情報をもとに、カレンや士官たちの頭の中では、三次元的な彼我の相対位置と姿勢、そして突入ポイントの計算が繰り返されていた。

 「船内与圧、ゼロへ」

 艦載AIが事前の戦闘プロトコルに従って、突入500秒前に仕事を始めた。
 すべてのエアロックが解放され、船内を満たしていた空気がすべて吐き出され、真空と入れ替わった。
空気は火を延焼させ、戦闘による被害の結果、予想外のダメージをもたらす可能性がある。そのため、戦闘前には艦内を真空にするのが慣例だ。

人体改造を通して電気的に体内の二酸化炭素を分解して、酸素と熱を得ることができる〈移行者〉(セツラー)の人々は、ピリピリとした皮膚を襲う冷たささえ我慢すれば、ある程度の時間生きることができた。

 ヘッドセットに備えられた骨伝導マイクを通じて、エルマーが次の命令を発する。

 「総員、対制動姿勢」

 それを合図にすべての乗員が手近な手すりをつかむ。そして、コルネリア機関長がしなやかに指を走らせて、コンソールのキーを操作し始めた。

 「船体、加速姿勢反転」

 ぴたりと艦尾からの噴射が止まったかと思うと、猛然とFeind1に向けて突進していたプレヤーデンの両舷から、強烈な核融合光が吐き出され、加速Gとほぼ同等の減速を開始する。
 急激な減速によって突然変化した慣性の方向が、巨大な船を船首から押しとどめはじめた。

 宇宙船にとってエンジンは推進システムであると共に、舵でもある。噴射方向によって加速と減速を使いわけ、目的地への軌道を操作する。よって、機関を操る者は、舵を操る者でもある。
 コルネリアの操るプレヤーデンは、船体各書のガススラスタから細かな閃光を蒔いて、滑らかに敵への突入コースに入った。

 プレヤーデンは他の多くの艦首と異なり、接舷白兵戦を強行する。つまり敵艦との相対速度を限りなく0にすることだ。もちろん、簡単なことではない。惑星間の航路に乗っている船は、毎秒数十キロ単位の相対速度を持ちながら、数万キロ離れた位置で会敵する。

 速度と距離をを埋めるために加速を行えば、容易に敵を追い抜いてしまうし、ランデブーを目的に長い時間をかけて減速すれば、その分敵のずっと手前から減速しなければならない。そうなれば、接敵に必要な時間が膨大なものとなり、結果、敵に逃げられてしまう。

 焦るほどに接敵が難しくなるという矛盾。

 プレヤーデンはこの矛盾を、ごく単純な方法で解決した。「大加速で追撃し、それよりも強烈な減速で止まる」のである。
 そのために、プレヤーデンの主機関のスラストノズルは、船尾から噴射するのとほぼ同等の推力を船首方向に向けられるスラストリバーサーを搭載していた。

 減速行程に入ると、急激な制動が船体を揺らした。その制動と同時にプレヤーデンの船にある6基の砲座が、船体から離脱し、強靭なハイカーボンのワイヤーに吊り下げられた。
 この砲座は減速Gを利用してワイヤーを張っている。同様の構造のセンサークラスタも展開する。

 減速行程では強烈な核融合光によって、船体付近では敵に火線を集中することはおろか、あらゆるアクティブ、パッシブセンサーの観測が不可能だった。
 そこで、船体から離れた位置に砲座とセンサーを差し渡し100メートルの幅で吊り下げ、核融合光の擾乱の外から観測と攻撃を行う「分割砲台」が考え出された。

 砲台が敵を照準するのとほぼ同時に、バーゼルの声が艦橋に響いた。

 「Feind1より入電。船名と船籍を呼称。天漢人民共和国船籍、船名浙江号。本艦の攻撃的軌道変更について説明を求めています」

 「無視で」

 カレンがにべもなく止めた。ほかの士官たちも、さもありなん、といった様子。彼らは、こうした時間稼ぎが海賊のいつもの手段であると分かっていた。

 案の定、通信から数十秒後には、敵艦からの攻撃が始まった。バーゼルが報告する。

 「船首対塵装甲に異常過熱を感知。センサークラスタが敵艦の排熱増大を報告。80メガワットクラスのエキシマレーザーによる砲撃です」

 強烈な核融合噴射によって船首方向に生じたガスの帯と、核融合炉の強烈な磁場がレーザーを散らし、船体に到達したか細い光線が装甲をわずかに焼いた。
 カレンは右手の馬上鞭を肩にあててながら、慣れた様子で言った。

「副長、航海日誌に記入。正歴123年5月4日1709、浙江号自称の艦船より被弾。
 人類領域平和維持協定に従い、航路安全維持のための武力行使に入る」

 「ヤヴォール、ヘア・コマンダー」

 西暦2303年5月4日17時09分、高加速巡航艦プレヤーデンは攻撃を開始した。
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