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宿願、責任、知事動かす/(中)決裂と決断/幻の県立医学部

5月27日に県庁を訪れた(上段左から)目黒理事長、東北福祉大の萩野浩基学長、佐藤市長。村井知事(右下)、東北薬科大のコラージュ

<福祉大案に反発>
 土壇場で、潮目が変わった。
 県庁にほど近いビルに5月25日、東北福祉大、財団法人厚生会仙台厚生病院(いずれも仙台市青葉区)、栗原市の関係者が急きょ集まった。
 文部科学省への大学医学部新設構想の提出期限を5日後に控え、3者はそれぞれ描く構想の案を突き合わせ、本音をさらけ出した。
 「福祉大の考え方を採り入れない構想は認められない。栗原キャンパスでは患者が集まらず、病院経営が厳しい」
 「約束が違う。福祉大案は国の参考基準を満たしていない。疲弊した地域医療を救いたい」
 福祉大と厚生病院は先に、栗原市内の市立栗原中央病院と県立循環器・呼吸器病センターを再編統合し、付属病院化する計画で合意済みだった。
 しかし、福祉大はセンターは譲り受けずに分院として活用する案を突然提示。自己資金の持ち出しを減らそうとする福祉大の言い分に、厚生病院と栗原市が反発した。
 間を置かず、知事村井嘉浩は連携が破談した事実を知る。その日の夜、緊急協議の出席者から電話で「県北の医療が崩壊する。何とかしてほしい」とすがられた。
 即答を避けつつも、村井は対応を急ぐ必要性を感じた。県内の私大を支援する方針を公言していたが、巨額の公費負担を理由に見送っていた県立医学部に心が傾く。
 厚生病院と栗原市から県立医学部設置を正式要請された27日。県庁を訪れた理事長目黒泰一郎と市長佐藤勇を見送った直後、村井は庁内の幹部会で「県立医学部をやりたい」と腹案を口にした。

<苦しむ地域医療>
 東北と被災地の医師不足解消は、村井の宿願だった。
 2005年の知事就任以来、市町村から寄せられる陳情の半数近くを医師不足関連が占めた。11年の東日本大震災では地域医療の担い手である自治体病院の多くが機能不全に陥った。復旧後も、医師や看護師が集まらない現実を突き付けられた。
 県内では福祉大と厚生病院のほかに、東北薬科大(青葉区)が医学部新設に名乗りを上げた。

<卒業生定着が鍵>
 村井は、薬科大の構想に盛り込まれた奨学金制度に着目した。卒業後の義務年限を5年間とする東北出身者対象の地域枠に対し「卒業生定着は国の構想選定の重要ポイント。5年で本当に定着するか」と疑念を抱いた。
 薬科大が東北大医学部と関係が深い点も憂慮した。薬科大は、研究に軸足を置く東北大出身者をスタッフに多く抱える。
 「安倍晋三首相に医学部新設を直談判し、筋道をつけた自負、責任もある。県立医学部をつくって臨床を重視し、自給自足で地域医療を支える総合医を育てたい」
 決裂からたった4日後の29日。村井は臨時記者会見を開いて決断を表明し、信念を貫いた。(敬称略)


2014年09月03日水曜日

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