「勝てる」巻き返し誓う/(上)誤算/幻の県立医学部
<6月中旬に面会>
大阪大医学部出身の名だたる顔触れが庁議室にそろう。8月23日、知事村井嘉浩は「宮城大医学部教育課程・教員等採用検討委員会」(10人)の初会合を県庁で開いた。
マスコミに公開した冒頭のあいさつで、村井は東北大医学部関係ら地元の委員に対し、大阪大の4人を紹介。特に門田守人に関しては「医学部長就任を前提に話を進めている」と明らかにした。
村井は6月中旬、知人の紹介で、がん研有明病院長の門田と東京都内で面会している。「全国81番目ではなく、1番目の医学部をつくりたい」との打診に、門田は共鳴し、医学部長を内諾した。
門田を初披露した検討委は、文部科学省設置の構想審査会の第5回会合を5日後に控えていた。医学部長人事は村井にとって「県立医学部」実現に向けた文科省への最後のアピールだった。
<情勢にがくぜん>
構想は最終的に受け入れられず、審査会は県でも郡山市の研究所でもなく、東北薬科大(仙台市青葉区)の構想を選定するが、村井は終始、劣勢挽回に必死だった。
審査会は6月16日に会合を開始し、当初は7月30日の第4回で新設先を絞り込む方向だった。
村井は水面下で情勢を確認し、がくぜんとする。県の構想は準備不足とみなされていた。「(先行した)薬科大に決まるかもしれない。そう考えると怖い」と周囲に漏らした。
対抗策として村井は門田らとの事前協議を踏まえ、弱点とみた教員確保策やカリキュラム編成の準備作業を急いだ。7月4日の審査会第2回会合では、ヒアリングに応じ「付属病院は教育と診療に必要最小限の設備とし、かつてない『地域完結型』の医学部を目指す」と構想の一部見直しに言及した。
<延期でアクセル>
審査会が同30日の選定の先送りを表明すると、アクセルを強く踏み込んだ。県幹部は「構想の熟度を高められる」と歓迎。村井は「勝てる」と巻き返しを誓った。県はその後1カ月間、宮城大医学部構想が選定されるのを前提に、検討委や大規模事業評価などを実施し、文科省に報告した。
だが、文科省からの応答は一切なく、審査会からの質問も途絶えた。
そして迎えた8月28日、審査会は第5回会合で東北薬科大の構想を選定。「東北への医学部新設に関する国の基本方針は、特別な大学をつくることを目的とはしていない」と断じた。
審査会は構想段階での実現可能性を評価の軸に据えていた。出遅れた宮城大医学部構想を「具体性に欠ける」と退けた。
村井は「従来と同じような医学部をつくるだけなら入学定員増でまかなえる。審査会は固定観念にこだわった」と嘆く。(敬称略)
東北への大学医学部新設で、県が掲げた宮城大医学部構想は選外となった。県は新設を目指す県内の私大を側面支援する立場から一転、土壇場で県立医学部の設置に名乗りを上げた。村井嘉浩知事の決断前夜から、選外が正式に決まるまでの舞台裏を追った。(県政取材班)
2014年09月02日火曜日