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規模縮小の末夢しぼむ/(下)調整の産物/幻の県立医学部

村井知事(中央)が手本にした自治医科大(左)と栗原キャンパスに活用予定だった栗原中央病院(右)のコラージュ

<「60人10年」構想>
 文部科学省への医学部新設構想提出期限を翌日に控えた5月29日、知事村井嘉浩は庁内の政策財政会議を開いた。
 この場で、入学定員を60人とする最終シミュレーションが示された。60人は全国の既存80医学部で最小規模だ。
 村井はうなずいた。60人全員に卒業後、東北の病院などに10年勤めれば返還を免除する修学資金を貸し付ける−。宮城大医学部構想の柱が定まった瞬間だった。
 県幹部は「コンパクトな医学部にする代わり、少数精鋭を色分けせずに育て、東北に定着させる。知事のこだわりの象徴だった」と明かす。

<試算に異論続出>
 かねて、村井は「医師不足解消には東北版の自治医科大が必要だ」と主張してきた。
 自治医科大(栃木県下野市)は出身都道府県に勤める義務年限が9年間で、卒業生の7割が地元に定着する。宮城大の義務年限は手本の自治医科大を1年上回った。
 県立医学部の最大の障壁となったのが、巨額の財政出動だった。県は当初、600床規模の付属病院を整備する場合の初期投資を約500億円と積算。運転資金は約50億円と見積もった。
 県が栗原市などから県立医学部新設を正式要請された5月27日、副知事や財政当局、保健福祉部の限られた県職員が定員100人で試算に着手した。
 メンバーは「県立医学部を目指す知事の意志は固い」と察し、夜を徹し作業に当たった。100人定員は、最初に栗原キャンパス構想を描いた財団法人厚生会仙台厚生病院(仙台市青葉区)の想定に基づいた。
 結果は翌28日夕に村井をはじめ幹部らに諮られたが、異論が相次いだ。
 「100人全員に10年間の義務年限を課すのは財政的に厳しい」「国の参考基準に従うと、付属病院の必要病床は800床に膨らんでしまう」
 そこで、2008年度まで60人(現在90人)だった横浜市立大医学部など先例を検証した。60人で再試算すると、初期投資と運転資金が計約260億円圧縮でき、600床で済んだ。

<「自治体の限界」>
 県は構想申請後、さらに規模を縮小させる「賭け」(村井)に出た。付属病院の病床は、最終的に500床前後を念頭に検討を進めた。
 「負担軽減」と「独創性」の相反するテーマの両立を目指した県。教育や研究で連携する医療機関の確保も水面下で調整を図ったが、国側に伝えなかった。
 その理由を村井は「地方自治体が『選定されたら』の前提で進めている内容を表に出すのは難しい。消極的と言われればそれまでだが、自治体の限界だ」と振り返る。
 県の挑戦は大きな教訓を残し、志半ばで幕を閉じた。(敬称略)


2014年09月04日木曜日

関連ページ: 宮城 社会 医学部新設

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