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《読者よりの解説と感想》風間喜代志の姉・比呂子が高校教師となって弟の通う城星大付属高校に赴任した。それは、かつて姉の下着でオナニーをした経験のある喜代志にとっては、けっこう複雑な心境の事態だった。 同じ頃、城星高校に松阿見亜門という不思議な少年が転校して来た。野球部強化のために推薦入学して来た亜門は、超人的なプレイで野球部の面々を圧倒したばかりでなく、学業でも上々の成績を挙げ、その優秀さを周囲に印象づけた。 しかし、亜門の眼の光に不審なものを感じた比呂子は、新聞部員である喜代志に、亜門の身辺を探るように依頼した。 比呂子は一方で自らのレズビアンとしての欲望を満たすために、チアリーダー部の水野菜穂に眼をつけた。 菜穂が浣腸マニアであることを見抜いた比呂子は、彼女を自室に招き、便秘の相談と偽って、互いに浣腸をしあって、恥ずかしい姿を見せあい、レズ・パートナーとなることを承諾させた。 だが、菜穂が野球部の監督で亜門の黒幕である柿沼(通称「ゲジ沼」)のマゾ奴隷であることを比呂子は知らない。 菜穂から比呂子たちの情報をキャッチした柿沼は、巧妙で淫らな罠を姉弟に仕掛けた。 それは……。
「あ、やめて、水野さん……。そんなとこ触るの」 詩織
《作者より》SFは大好きな作者ですが、作品ではあえてSF的な要素を避けてきました。それは、出版社側が嫌う、というせいもあります。 つまり、SF的な設定を前面に押しだすと、リアリティが薄れる、感じられなくなる、という恐れがあるからでしょう。 とりわけSM小説となると、最初から「おとなのおとぎ話」(師の蘭光生氏の口癖)という色彩が濃厚ですから、それにSFが加わると、現実感の希薄さは相乗されて「あり得ないお話の二乗」になってしまいます。 それは出版する側の意図ですが、書き手としても自重するところがありました。 というのは、SF、特に超能力者をもち出すと、「なんでもあり」「なんでもできる」ということになります。これは作者にとってはとても楽なことですが、反面、物語を作ってゆく楽しさが薄れるということになります。 いろいろな制約、いろいろな障害があって、それを乗り越えて目的を達成するところに現実世界の歓びがあるのです。 あなたがいきなり「どんな女でも好きに操れる」という超能力を得たとしたら、いろいろ努力する必要がありません。失敗する恐れ、努力してその成果をかち得た時の歓び、そういうものが得られない「ハンティング」には、そのうちきっと飽きてしまうと思いますね。(笑) そういったわけで、なるべく超能力や超常現象を使うことを避けてきた作者ですが、本来のSF好きの血が騒いで、間違って書かせたのがこの作品です。 これは「超能力を授かってもちっとも嬉しくない」というお話なのです。(笑)
《書誌情報》本書はマドンナ社よりマドンナメイト文庫シリーズ(た1-14)として文庫判型で刊行された。2000年2月10日に『美人教師と弟・魔の女肉洗脳』として同じくマドンナ社から再発刊された。 くわしくは、104『美人教師と弟・魔の女肉洗脳』のページを参照のこと。 電子テキストは二見書房「おとなの本屋さん」で有料ダウンロードできる。
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