ニコ生での、『わこつ~』『お、おう』『ざわ・・・ざわ・・・』辺りも使う事に躊躇してしまう。
これらの言葉をタイピングするのは人生初だ。
小さな世界でしか流行っていない言葉だから、恥を感じると言う訳ではない。
ブロガーが多用する、『コンテンツ』『マーケティング』『マネタイズ』辺りの言葉も口から出ないように鎖に繋いである。
ネット界では、荒れた海のように次々に流行の言葉が流れてくる訳だが、その都度なんとも言えない感覚に陥る。
ぼかさずにハッキリ言ってしまえば、「う~ん。流行の言葉と、それを書き込む人間のバランスが悪いのかもしれない。なんかしっくり来ないな」と根性悪く思ってしまうのだ。
これは、下ネタ覚え立ての高校一年生が、卑猥な言葉を連発しているのを見る感覚に近い。
寝取られた女が、「男ってイチコロね」などと上から目線で発言しているのにも似ている。
つまり、「お前って服に着られているよな」と言われてしまう、着こなしていない感があるのだ。
『何を言うかではない。誰が言うかで全て決まる』
一昔前に流行った名言だが、この言葉の通りの事が実現してしまっている。
下手すると、数百円しか稼げていないブロガーが、「人を集めるなんて簡単だ。後はどうマネタイズして行くか。良質なコンテンツを量産すれば間違いなく人は金を落とす」などと、マーケティング業界一筋で頑張って来た空気を醸し出している。
しかし、どう足掻いても服のサイズが合っていない。
野生児がパリコレ出場を目指すようなものだ。
封印しておきたい言葉はいくらでも存在する
タイトルに上げた、『手斧』『泡沫』意外にも溢れ出しそうなぐらいにある。
ヲチ、ヨザー、ふぁぼ、Gunosy砲、アルファブロガーなどなど。
身の丈に合っているかどうかなど関係ない、誰が使用しても問題なさそうな言葉もあるが、何故か寒気がする。
バイトはじめ立てに高校生が放つ、「うぃっす~~」って挨拶のように捉えてしまうのだ。
「それな」「パティーン」「~じゃね?」
この辺の言葉が醸し出す冷気とも似ている。
こうやって思ってしまうのは、僕が神経質だからなのだろうか。
「ピピピピピさんは、常にアウェイ感出してますよね?」と言われた事がある。
人生を充実させている人間は、平気で流行の言葉を使って生きているのかもしれない。
あらゆる言葉に馴染もうとしなければ、世界を流れる風や木々の揺れ、果ては、その他の命に馴染む事など出来ないのだろう。
僕もそろそろ、ふぁぼや手斧を連打するブロガーに変化しなくてはいけないのか。
公然の場で昂然と胸を張るには、流行の言葉を当然のように、そして光線のように飛ばす必要があるのだ。
封印を解かずして、絶望的なメンヘル世界から卒業など出来ない。
ロックを外し、逆流食道炎にでもなっているかのようにゲロゲロと吐き出そう。
人生の幸福度は、その人が持つ許容範囲によって決まる
許せない事が、2の人間と2億の人間では生きやすさが全く違う。
往復ビンタをされて笑う人間もいれば、トラクターで叩きつぶす人間もいる。
気が立ったカラスにエサを上げる人間もいれば、「挑発されている」と怒りガスガンを打ち放つ人間もいる。
デート中に振る雨に、「相合い傘の機会をありがとう!」と感謝する人間もいれば、「もう終わった。雨ではベンチに座って口説けない。フラれたも同然だ……」と雨よりも多い涙を落とす人間もいる。
カレーが新品のTシャツに飛んで、「あるあるネタだぁ~」とニコニコする人間もいれば、インド人を始末しに日本を飛び立つ人間もいる。
顎にフックを放ってくるオッサンに、「無料のスパーリングだ」と一礼する人間もいれば、これは喧嘩の始まりなのだと捉えてしまう人間もいる。
身内ブクマだと小言を言う人間に、「その通りです。仲間のお陰でございます」と絆を再確認する人間もいれば、「てめーは身内もいねーだろ」と怒鳴り返す人間もいる。
どう考えても前者は幸福だ。
人それぞれ生き方・考え方が違う為に、どうしても許せない事が出てくるのは分かる。
それでも、何とかかんとか許せない事は2に押さえて欲しい。
ゴキブリに挨拶。ムカデに黙礼。ミミズに拍手。
これらの事を心掛けさえすれば、ルックスに悩む女子も、性的遊戯を体験できない男子も。誰もがバラ色の未来を手に出来る。
“流行の言葉に躊躇いを持ってしまう”がメインテーマだったのにも関わらず、どうしてこのような話題を出したのか?
流行の言葉と、アポなしで訪れるゴキブリは同じだからだ。
言葉を許せない人間は、ゴキブリも許せない。
言葉を許せる人間は、ゴキブリも許せる。
こんな事を言うと、「ネットスラングやマーケティング用語を連発する人間の中にだって、ゴキブリがトラウマレベルに嫌いな奴だって存在する」と口うるさく罵りたくなってしまう人もいるだろう。
だが、それは違う。
誠心誠意込めて、「仲間に入れてください」と頭を下げてくるゴキブリがいたら、彼らは許してしまう筈だからだ。
ゴキブリ=退治する
日本社会が我々を洗脳して、そう思い込ませている。だからこそ、許せない存在だと勘違いしているだけだ。
思考能力が低下している。脳みそを活用出来ていない。現状に満足した怠惰型の人間である。
ネットスラングにしても、はてな特有のワードにしても、流行語大賞にしても、全ては同じだ。
「うわぁ~」と引く人間。そいつには何の哲学もポリシーもありゃしない。
ただ漠然と毎日を生き、欲望のままに駆けずり回るクソガキだ。
言葉に異常反応を示すのは精神病の始まりの可能性もある。
憂鬱が行き過ぎると、神経過敏が始まり、ペンが落ちるだけで心臓が止まりそうになり、素早く動く上司が近くにいるだけで息が詰まりそうになる。
風変わりな言葉を、「うわ。やだな」と瞬時に毛嫌いしてしまうのも、行き過ぎた憂鬱が原因だ。
たとえば、10億円を手に入れたとしよう
きっとあなたは、流行語に寒気を感じる事はなくなる。
ゴキブリが出ても、ムカデが出ても、ミミズが出ても、心地良い気分が継続する。
小金持ちになれた事で、人生に対する許しの範囲が急速に広がったからだ。
ときどき芸能人が、異国の地でおぞましい虫を食べている光景を見掛ける。
何故食べられるのか? ギャラに見合っているからだ。
部屋に突然現れるゴキブリと、異国の地で出されるゴキブリはよくよく考えれば大差ない。
それでも食べてしまう。
「ギャラを貰えるなら許せるよ!」と思える。
もしも、日本で無理矢理ゴキブリを食べさせられたらどうなるだろうか。
顔なじみのいじめっ子8人に押さえつけられ、部屋に現れたゴキブリを口と鼻に押し込まれる。
もう二度と立ち直れないトラウマを抱える事だろう。
芸能人もいじめられっ子も食べているのは、同じゴキブリなのに。
かたやハッピーかたや精神病。
「ギャラを貰ってゴキブリを食べさせられて一生立ち直れません」と引退する芸能人など皆無だ。
ここから分かる事は、自分の中に、どれだけ広い範囲の許しがあるかで幸福が決まる。
そう考えれば、「今日はメンヘルだなぁ~」とメランコリックな感情に苛まれるのは、僕の許せる範囲が狭いからなのだ。
だから、ゴキブリが出たら家を燃やしたくなるし、ムカデが出れば火炎放射器を注文したくなるし、ミミズが出れば火炎瓶を投げたくなるのだろう。
許せる範囲が狭い。許せる範囲が狭いからゴキブリを嫌う。嫌いなものを避けるのが当たり前になり、言葉にも文句を言うようになる。急速に始まる神経過敏がメンヘルを生み出す。
「たかだが言葉だろ?」とすかした態度でいると、重大な精神病を患う可能性も高まってしまう。
博愛主義である僕は、全ての人間が機嫌良く幸せになってくれと願い続けている。
ゴキブリを飼って育てる事からスタートして欲しい
専門のサイトを開けば、SサイズMサイズなど選ぶ事だって出来るから、思いの外ハマるかもしれない。
ブランドのあるゴキブリでなければ、高くても1000円程度だ。
これほど価値のある自己投資は他にはない。
ゴキブリを愛せるようになれば、手斧が飛んできても問題ないし、泡沫ブロガーを優しい目で見て上げられる。
これがゴキブリで幸せになるパティーンである。
ゴキブリセラピーの価値を熟知出来れば、それ自体をコンテンツとして提供出来るだろう。
あなたのマネタイズはゴキブリから始まる。
マーケティングいらずで、ゴキブリのように金を生み出せる未来も近いはずだ!
さぁ、ゴキブリ求めて立ち上がろう*\(^o^)/*