戦後の自民党の最大の功績にして罪が地方偏重のバラマキ政策であることはもはやわかり切っていることだ。
戦後直後までは「貧困な農村」と言う問題が確かにあった。交通難もあった。だが、197~80年代に国土の均衡ある発展はほぼ実現していたのに、平成になっても時代にあった政策立案能力もなく、支持と票を集めるためにハコモノや道路や新幹線の誘致を繰り広げる田中角栄のエピゴーネンの政治家が日本中から情緒のあるふるさとの風景をブチ壊してきたことは、利権の息のかかった人でない限り誰もが分かり切ったことだ。
地方を破壊した自民党に地方創生は絶対に無理である。
それは東北地方を見ればわかる。
東北新幹線や東北自動車道はお盆と正月のラッシュ時期には帰省ラッシュで大混雑を繰り広げる。しかし、仙台を超えると急に混雑率は低下し、盛岡以遠は本当にガラガラである。繁忙期ですらこれなら、普段はいったい誰がこんなものを利用しているのだろうか。
新幹線や高速道路といった高速交通網は需要がある場所でないと必要のないものだ。ハッキリ言って、日本の新幹線なんて仙台から博多までの東北・東海道・山陽新幹線以外は何ら必要価値もないものである。高速道路は、たとえば仙台市以外は都会なんて一つもない東北地方なら、東北自動車道と裏日本の県都をむすぶ秋田道・山形道があれば他は何も必要がないといえるだろう。
こうした「過剰に高度な交通網」は、税金の無駄でしかなく、しかも地方を寂れさせた諸悪の根源でもある。
東北の古い集落に行くと、山や自然や海に囲まれたような鄙びた場所でも、そこには何でもそろっている構造があることが分かる。学校がある。郵便局がある。農協のスーパー(aコープ)もあれば、理髪店や診療所もある(あるいは「あった」)
そういう集落の真ん中を通る路地のような道が、実は江戸時代の街道だったりするのである。そこには共同体があり、中世のコンパクトシティがあったのだ。
明治時代以降、その街道は国道になり、鉄道もそういう街道に沿って作られた。
「地方創生」の掲げる小さな拠点というものは、そもそも戦前の日本にもともと存在していたのだ。
ところがこれを破壊したのが、まぎれもなく田中角栄だったのだ。
彼はこうした共同体の近所ではなく、何もない未開の地に高速道路を作り、新幹線を引いた。何もない土地の不動産価値を高め、開発特需を起こしたのである。
それは人口も増え、経済的にも成長を遂げる右肩上がりの時代には間違ったことではなかったかもしれない。でも、バカな地方選出のオラが村の大将だらけの自民党の政治家は、少子化からの人口減少と構造的な経済不況が20年続いた平成のご時勢にも、性懲りもなくこのような政策を推進し続けた。
結果的にどうなったか。地方はずたずたになったのである。
新青森駅から奥羽本線にゆられていて見た景色は「悲惨」そのものである。
鉄路に並走する旧街道と思われる道路は車が全く走っていない。田んぼやリンゴ畑や林などの自然の合間に集落があり、その集落の真ん中に駅が設計されているのだが、どの駅でも乗り降りの乗客は一人もいない。無人駅である。駅前の住宅はみなどう見ても廃屋だらけで、屋根がひん曲がっていたり、看板の垂れ下がった商店いまにも倒壊しそうだ。秋田や三重や伊豆もひどくさびれていたが、24年生きてきてもっとも悲惨な車窓だった。
そんなふうに昭和30年代のまま朽ち果てて地区まるごと廃墟になりそうな集落を放っておきながら、「創る開発」は未だに続けている。そのはるか背後の山の上には、東京の感覚では高速道路にしか思えない「バイパス国道」の橋が走っており、コンクリートの支柱が集落をズダズダに踏みつけている。そこにはびゅんびゅん車が通っているようだったが、道路沿いに住宅や店を開発する余地は到底存在しない。ちなみに反対側の山沿いには東北自動車道が走っているそうだ。これが「津軽選挙」の本場の現実である。
一般的な先進国ではこのような交通開発は絶対にありえないものだ。
ヨーロッパの高速鉄道は、有力な都市と都市を結ぶ路線や、国境をまたぐ路線でないと高速用の高架路線を建設していない。そもそも秋田新幹線や山形新幹線のように在来線を走っているパターンが多い。そして青森のような国の最果てのような場所では、原則、新幹線はないことが普通である。高速道路があるのなら、一般国道は、古い街道をそのまま走っている。
アメリカはモータリゼーションの国だといわれているが、インターステート・ハイウェイは実はそれほど充実していない。アメリカ版の青森ともいえる中西部地方なんて、ばかでかい州の中に5本未満と言うのが余裕である。需要がないのだから道路はつくらないのが当たり前なのだ。そのくせ新幹線どころかまともな旅客鉄道が存在していない。でもアメリカ社会はちゃんと機能している。
青森のような場所は新幹線なんてそもそも必要ないか、せめて作るなら東北本線沿線に作るべきだし、東北自動車道は奥州街道に沿って存在しているべきなのだ。
地理条件を考えれば、東北新幹線や東北自動車道が十和田湖まわりに作られていることはそもそも根本的に間違っている。おまけに新幹線の終点の新青森駅も、東北道の終点の青森インターも町はずれの辺鄙な場所である。
青森インターチェンジ沿いは開業から40年くらい経っているのにラブホ街すらないという。ならば、新青森駅周辺は未来永劫栄えないことは明白だろう。しかし、ただでさえ少ない交通需要はそうした新幹線・高速道路・バイパス国道に一本化されるわけで、そうすれば、もともとあった町は寂れるわけである。自然の摂理である。
新幹線を作り、東北自動車道に加えて青森自動車道を作り、市の東西南をバイパス道路まみれにさせ、新青森駅や青森中央インター付近をニュータウンにして、本来の中心街や集落が寂れない方がおかしい。かくして青森の中心街は昭和30年代の雰囲気そのままに寂れているが、そんな青森市は「コンパクトシティ」を標ぼうしているのだから、噴飯ものの皮肉である。
日本は先進国だが、それはあくまで、6大都市圏に限った話である。地方開発は三流同然なのだ。無駄のない韓国や台湾の地方開発を見習ってほしい。シャッター化した地方都市なんてアジアには存在していないぞ。
こうした狂った開発から脱却すべきなのだが、自民党の「地方創生」は、今ですら作りすぎた田舎の高速道路やバイパス道路をより各地に増やすというもので、日本を取り戻すどころか、財政破綻でぶち壊したいんじゃないかと思えてくる。
でも、過疎地の方が一票の特権があるわけで、おまけに「津軽選挙」も横行しているから、こうしたイカれた政策は横行しきりなのである。もちろん、これらの交通網を整備しているのは国民の税金であり、東京からかき集められた地方交付税が青森にはなみなみ注がれているのだ。
東京ではきょうも、昭和と同じレベルの交通網が変わらなく維持されている。狭苦しい古い幹線道路が大渋滞を起こし、人がすれ違うことのやっとな歩道を自転車やバスを待つ市民らでぎゅうぎゅうになり、国鉄時代に設計されたままの駅がラッシュの通勤客でギュウギュウ詰めになっていて改善する気配はない。昭和から進歩できなかった成田空港や東京港はアジア一のハブの座を韓国に奪われてしまい、アジアにはそれを上回るハブがあちこちにある。こんな不便な都市を見限り、世界の会社はアジア支社を東京から香港やシンガポールに移している。