翔べ!『G-レコ』! 脱ガンダムに導いた"元気と芸能" - 富野由悠季監督が語る『ガンダム Gのレコンギスタ』【前編】
マイナビニュース 9月3日(水)12時5分配信
●AKB48やももクロレベルの楽しさまでシンクロできるような作り方を意識している
1979年にテレビ放送された『機動戦士ガンダム』から35年――生みの親である富野由悠季監督が"脱ガンダム"を掲げた最新作『ガンダム Gのレコンギスタ』。8月23日〜9月5日の2週間限定で現在イベント上映されている『特別限定版』を経て、10月からはいよいよ地上波(MBSほかアニメイズム枠)での放送がスタートする。
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新作としては『∀ガンダム』以来15年ぶりに『ガンダム』シリーズを手がける富野監督は、本作について"子供たちのための物語"と宣言している。「大人にとって気持ちのいい画を作ってどうするんだ!」と舌鋒鋭い富野監督が、"脱ガンダム"と子供たちに向けたアニメをどう作り上げたのか。今回のインタビューで語られた『Gのレコンギスタ』の"G"は"元気のG"というコピーが、"脱ガンダム"の足がかりに繋がっていったことは決して偶然ではない。デジタルが支配を広げる現代において「人がデジタルを制しなくてどうするんだよ!」という旧来の監督の持論と「富野由悠季がガンダムに支配されてどうするんだよ!」はおそらく同じことであり、それらの答えを全身全霊でぶつけた『ガンダム Gレコンギスタ』には、どのような想いが込められているのか。そこには"元気"と"芸能"――ふたつの"G"があった。
――次の世代を担う10代の子供たちへのメッセージが込められているという『Gのレコンギスタ』ですが、まず、本作で最も富野監督が描きたい具体的なテーマを教えていただけますか。
今の大人たちがやっていることが全部ダメだから、子供たちに新しい方法を獲得してもらいたいと思っています。20世紀までの知識とか考え方だけではもう手遅れで、新しい方法への切り替えを、30代以上の人に期待したってできるはずがないでしょ? そのために、問題の種を撒いておいて、それを見た子供たちに20年後、30年後を考えてもらいたいというのが『Gのレコンギスタ』です。が、それは一切台詞になっていないのが問題ですけどね(笑)。物語の構造でわかるようにしています。そういう意味では、かなり革新的な構図になっています。20代以上の人は見抜けないと思いますが、これからの子供たちにも期待するためにこういう構造にした――という言い方もできます。
――「レコンキスタ」はスペイン語で"再征服"という意味ですが、今おっしゃられた物語の構造にも関わってくるのでしょうか。
もちろんです。むしろ、このタイトルを決めた時に今言ったことがより鮮明になってきました。ましてや、巨大ロボットものでメッセージドラマなんかをやってもしょうがないわけ。物語の構造が決まれば、後は今の子供たち、TVアニメ離れをしている子供たちに見てもらえるためにはどうするのか、ということだけを考えました。そうすると、まずは楽しく作らなくちゃいけない。この場合の楽しく作るというのは、言ってしまえば、AKB48までの楽しさとか、えーっと。クロ、クロ……。
――ももクロ……ももいろクローバーZですか?
それね(笑)。ももクロレベルの楽しさまでシンクロできるような作り方を意識するということはしました。だけど、巨大ロボットもののおかげで縛りが入るので、それが描ききれなかったという自覚はありますし、悔しいと思っています。だからこそ、それを深化させた作り方は、僕以後の世代に期待したいのですが先ほど言ったとおり、30代以上には期待できません。これに少しは腹を立てて、がんばってくれる30代が出てきて欲しいのよね。でも、そのリアクションがないわけ。全部言っちゃったな(笑)。このあたりは伏せ字にしないで全部書いちゃっていいから!
――70代のおじいちゃんにやらせるんじゃねえ! という(笑)。
そういうことです(笑)。
――『Gのレコンギスタ』は物語の根幹を含めると、約6年かけて構想をかためてきたことになります。この間には東日本大震災があり、福島の原発事故がありました。
それらも物語に影響しています。つまり、最初に述べたとおり、大人たちには期待できない。原発事故が起こり、起こってしまっても後処理さえできない。後処理ができないということは、はじめからわかっていたはずです。わかっていてもまだ後処理をしようとしている。汚染物質の問題で地元の人が大反対していても、知事は「なんとか説得したい!」と平気で言う。そういうことを平気で言える50代や60代の大人たちの顔を見ると、こいつら病気かもしれないとまで思います。
そういう根本的なところを抑えられなくて、現状進行させている大人たちがいるんですよ。もちろん、当人の暮らしがある者としての言い草はわかる。だけど、我々がそういう生活自体を変えなければならない曲がり角にきているのに、未だに東京中のいたるところで街灯がついている。戦争直後に街灯なんかついてねえよ! って。さらに言えば、街灯をつけないと犯罪が起こるっていうバカな市民もいるわけ。だけど、人口比に対して、街灯がついていない江戸時代の犯罪率が現在より何十倍も多かったのか? というと、そんなに違っていると僕には思えない。
だから、もう明るい夜になれてしまった都会人の言うことを聞いている我々――いや、我々がそういうことを言っているわけ。24時間のコンビニなんてやめろ! という話も含めて、我々が自粛しなきゃいけないんだけれど、そういう観念を、僕でさえも持てなくなっている。暗い夜道を歩くことになれていないから。そういう事例がある中で、要するに大人たちはどうしようもないんだよねということをそろそろ自覚しましょうよ、という話にしていきたかった。だから、今回の『Gのレコンギスタ』の地球の人口は、現在の人口の10分の一以下です。そういう設定で、物語をはじめています。
――震災後、一端はそういう方向に話が進んでいましたよね。
震災から1年ぐらいはそういうことを話しやすくなったとは思います。だけど、今はまた逆戻りしてるでしょう? 現代人の我々が極度にだらしがない暮らしをしているんだということです。そろそろ皆が自覚しなくちゃならないんだけど、メディア関係者にしてみれば、作品をよいしょすることで飯を食っている。悪いことなんて書けないよという話になっているでしょ? だから『ゴジラ』でさえ面白いって平気で書くわけ。ふざけんな! って。あ、僕今間違ったこと言ってます。アルツハイマーにかかってますから(笑)。
●子供に向けて嘘は絶対に書けない。ご都合主義を物語の構造としてつくるための『G-レコ』
――(笑)。だからこそ『Gのレコンギスタ』を子供向けに作ったということになるのでしょうか
そうです。徹底的に子供に向けてつくるということを覚悟しました。そうすると、今言ったようなウソは絶対に書けない、というところにぶち当たる。そのご都合主義の部分を物語の構造としてつくるための『G-レコ』です。当然、アニメだから「物語に描かれている画は全部ウソなんですか?」って言われれば「うん、ウソなんだよ」と言う。だってアニメだし、漫画だからねって。そこで「だったらそれは子供を舐めているんじゃないの?」とくれば、それは違う。今言ったでしょ。アニメとか漫画だからなのよ。『ハリー・ポッター』が、杖にまたがって飛ぶのは、本気だと思ってないでしょ? だけど観て楽しめるでしょ? 物語をつくる、アニメをつくる、映画をつくる、漫画をつくるということはこれができるんです。
だけど、その直下でリアルに持ってくるのはアホのすることです(笑)。ただ『G-レコ』なら、「問題意識を並べているからこういう話、構造になっているんだな」ということをおそらく勘の良い10代、自分でものを考えるようになってきた子は、絶対に考えるはずです。100人に1人って言いたいけど、100人に2、3人ひっかかる子がいると思う。そういう子供が成長して社会の中堅を担って指導者になってくれれば、原発をどう収束させていくかという手法だって編み出せるかもしれない。
少なくとも今の40代、50代はダメ。政治家の動きをみてはっきりわかるでしょう? 我々の前で醜態をさらけ出した某議員を見て……え? これ、議員? って思った人は多いはずです。ああいう人にお金を出している、出していることを許してしまっている我々納税者だってアホの一員でしょう。そろそろそういうことをきちんと認めましょうよ、という話にしています。現にこうやって『G-レコ』の話をすると、こんな変な話までパパッとできちゃうから、うまくいったなと思っている部分はあります(笑)。
――そうした物語の構造の中で、シンボルとなるのが宇宙エレベーター「キャピタル・タワー」です。
キャピタル・タワーみたいな大規模な宇宙エレベーターを成立させるためには、そう簡単なことではないという話から画をつくっています。世界観をリアルにするためではない。ただ、『G-レコ』の宇宙エレベーターでは「クラウン」という車列、つまり一台のゴンドラのようなものを上げ下げしていることで、もっともらしく説得力があるように見せています。
でも、ちょっと待てよと。3万キロ〜10万キロの例えばケーブルを伸ばしておいて、そこを行き来する――ということを、本当に考えたことがあるのかという問題提起にしているんです。静止衛星軌道の3万7,000キロのさらに上、現実の宇宙エレベーターのプランでいうと、カウンターウェイトを置かなくちゃいけない距離が10万キロにあります。その距離を実感するために、直径30cmの地球儀を持ってきて、地球儀の直径から換算して……10万キロまでの糸をひいてみるわけ。どのくらいの距離になるかわかります? やってみてくださいね?
――正直、頭が痛くなります……。
(笑)。普通の糸で換算した長さを伸ばしただけでも、ピンと張ることはかなり難しい。それなら! それをできると言い切る宇宙エレベーターの研究者には、やってもらおうじゃないって(笑)。できたら御の字。できないなら問題点も指摘できる。何より、たった1本のケーブルをその高さまで伸ばすということは、その質量とか建設費を考えたら膨大なものだろうというのは、見たらわかるはずだよね。本能的にできないとわかる。だけど『G-レコ』では、それがあるということにしている。それには理由があります。交通機関であれば存在しうる。交通機関なら投資額を回収することもできる。
――なるほど。
では、その回収するものが行き先にあるのか? というのが第2の問題提起です。今の宇宙には持って帰ってこられるものはないでしょ。今回の物語の前には、ガンダムの「宇宙世紀」があった。だから不幸にして、宇宙で暮らしてしまった人たちがいたわけ。その人たちの生き残りが5万人、10万人では済まないかもしれない。そこから考えていけば、その人たちがほとんど死にかけている地球を繋ぐために、たった1本残っていたかもしれないケーブルを使ってもう一度、宇宙エレベーターを再生する。この交通機関からなんとかお互いを自覚していこう、ということを始めたんじゃないのかなと想像したんです。
――つまりバイパスとしての宇宙エレベーターになる。
そういうことです。バイパスとしての宇宙エレベーター論となれば、交通機関の問題が見えるようになります。交通機関でない限りそんな大規模な投資ができるわけない。そうして運行方式やメンテナンスなどを考えた時に、地上にある鉄道網であってもJR北海道みたいな問題が起こっているわけ。1ミリや2ミリの誤差程度でさえコントロールできない。宇宙エレベーターはそういうレベルじゃないでしょう。だけど交通でいう安全、つまり一般市民が安心して乗れるっていうことを考えると、技術保全ができるシステムがない限り絶対に運行なんかできないはず。こういう話を、今の宇宙エレベーター開発者が考えているわけがないんです。
●今の時代の"少年像"、ベルリとアイーダにはっきりしたリスクを背負わせた
それを考えさせるっていうことを今の10代の子に教えておけば――その子たちが例えば「JAXA」に入るのはたかが10年後よ? 言葉だけで、専門誌で言っているだけでは根付かないものを、こういうレベルからもっていけば、1人から2人刺激された子が「JAXA」へ行って「先生! それおかしいです!」と大人たちに言ってくれれば、成功なんです。そういう構造にしていきたいという話が、「キャピタル・タワー」ひとつとっても話すことができます。『G-レコ』が公表されるまで3年間、着想はできていたけれど、こんな話一切できなかったんです。今回「クラウン」という車列を出したのは、交通機関のイメージがつきやすいものから、交通の問題を考えましょうということを提示していきたかったわけです。
――交通はもちろん、ものやエネルギーを運ぶ輸送機関としても成立します。
ものを運ぶのが交通。だけどものを運ぶ時に重要なことがあります。こっちとあっちに、ものが運び運ばれる、そして運ばれることが必要だと思っている人がいる、相互になければ交通機関は成立しないんです。宇宙エレベーターの一番怖いところは、行き先に何もないのに作ろうとしていること。でも『G-レコ』なら、今回は宇宙エレベーターがあって交通があって、こういう理屈にしている。アニメだから良いでしょって、言うことができます。
――技術と世の中の断絶のようなものも落としこんであるということですね。
まったくそのとおりです。その上で解説しておくと、リギルド・センチュリーでの科学技術は、一切の進歩を止めた時代にしているということです。これは考え落ちしてもらっては困るんだけど、この世界は「ガンダムワールド」があった上での科学技術だから、今の我々よりももう少し進んだ技術があった上で、それで全てストップしてしまったということ。要するに「ガンダムワールド」的なレベルのものは平気で出していいという言い方もできるので、ガランデンという軍艦が海の上で浮き上がって、「なんで?」と言われても、ミノフスキー・クラフトだからうるせえよ! って言っちゃえる(笑)。それはハリー・ポッターの杖と一緒だから、文句あっか! って(笑)。
――「クラウン」にもミノフスキー・クラフトは使われている?
もちろん。それがなければ絶対あがらないもん。それだけではなくて、「キャピタル・タワー」そのものも、こういうことを考えたんです。今の宇宙エレベーター論で考えた時、実はケーブルを静止衛星軌道から垂らしてつくっていきますが、僕は計算が全くできない人間なんだけれども、直径1センチメートルの糸みたいなものでも3万5,000キロ伸ばしたらかなりの質量になるはず。この質量というものを維持することに加え、「クラウン」所謂リニアモーターカー的なものを動かすとなると、ケーブルに磁気を発生させるために電流が流れていなくてはならない。では、通電する電力どこから? という問題がありますが、「ガンダムワールド」以後ですので、全部解決しました(笑)。
――その電力の供給源があるんですね?
地球そのものがバッテリーになっているんです。バッテリーでもあると同時に、放電するシステムも持っています。そのエネルギーを電力としてケーブルなどに蓄えて、リニアモーターカーを成立させています。地球が発電機になっているなんて皆さん知らなかったでしょう? でもしょっちゅう見ているんです。
――……すぐに思いつきません。
雷です。雷の電力を恒常的に吸収することができるのが、「キャピタル・タワー」でもあると。文句あっか! って(笑)。問題なのは、こんなことできるわけないだろっていうことです。実際の技術の延長にないだろうということなんですけどね。
――そういった富野監督の構想や想いがある中で、主人公のベルリ・ゼナムは、今の時代の"少年像"として、どのようなことを意識して描きましたか?
極端な話はよして、小学生くらいになり、みんなが絶対に共通して思うことがあると思うの。僕は、私は、こんな家の子じゃないよね、本当はもっといいところの子だよねって、みんな思う時期がある……。
――確かに、思いあたります(笑)。
そこをつきました(笑)。つまり、もう小学生にもなれば自分に過去がある、お母さんお父さんがいる。彼、彼女らにはキャリアがあるんです。それがリスクなのかリターンなのかはわからないけれど、そういうものを感じて、自分の中で整合性をつけながら大人になっていくのが子供であり、成長することです。ベルリとアイーダの場合、両方そうなんだけど、二人にははっきりしたリスクを背負わせました。これはドラマ的にわかりやすい設定です。そのことを知らないんだけれど、子供たちはティーンエイジを生きている時に、実の両親に育てられたのか、育てられていないのかということを感じる瞬間があるはずです。知る知らないの話ではなくてね。
●「ガンダムシリーズ」の欠点と脱ガンダム、キーワードは"芸能"
――ベルリは、これまでのガンダムパイロットよりも屈託なく育っているようにも見えます。
物語の前半でベルリを明るくしたのは、きっとそういうものがありながらも、かなり裕福なシングルマザーのお母さんに育てられてきて、彼には社会的なキャリアも認められているという自信がある。だから、ものすごくあっけらかんと明るく振舞っているんだけれども、大前提があります。その大前提がある時、ポン! と開いちゃう。そのポン! と開いちゃう時に、ダメージというものを受け入れるような少年にしています。それは、半分は芸能的に楽しくみせるための背景に留めています。深刻な背景にしたくはなかったから抑えている部分はあるけれど、実を言うと今回の物語の全背景にピンポイントとに繋がる設定です。その辺は物語的に面白がって観ていただきたい、という意味でのリスクを背負わせています。
――直筆のメッセージでは「ベルリとアイーダの冒険はすごいぞ!」と謳っていましたが、これまでの「ガンダムシリーズ」からすれば"冒険"というワードは、なかなか連想しにくいです。
それが「ガンダムシリーズ」の欠点だったと思っています。ガンダムファンが、ある色彩に彩られたファン層という区切りがあってこれが嫌でした。つまり芸能的に享受されていないんです。例えば「元気」とか「熱血」というような言葉を貼り付けられないシリーズだったんじゃないのかと。それは、アニメとして見た時にあまりいいことだと思えなかった。それを意識したという言い方はできます。が、この言い方は全部嘘です(笑)。
――(笑)。
これに気がついたのは、『Gのレコンギスタ』の"G"は"元気のG"と思いついた3カ月ほど前です。それまでは気がつかなかった。つまり"G"を見ると当事者だから、"G"はガンダムなんですよ。その中で、今回の作品における、外向けのキャッチフレーズが欲しいって言われた時に「うるせえなてめえ!」と言いつつも、『Gのレコンギスタ』の"G"は"元気のG"なんだ! とこれを思いついた(笑)。タイトルにも全部被せられるし、まさに「ガンダムシリーズ」に一番欠けていたことで、もっともらしくニュータイプ論や宇宙世紀がどうのこうのって言ってることが、まさに大人の言葉遊びだったとわかったのです。原発だっていいんですよ、というのと同列かもしれない。それを本当に感じるようになって、改めて"G"は"元気のG"なんだと言った瞬間に、自分自身も完璧に洗脳された部分があって……洗脳じゃないな。もっといい言葉がある。浄化された部分があったんです。
――そこで脱ガンダムにはじめてたどり着いた。
そういうことです。つまりアニメというのは、もともとが"芸能"なんだよねって言ってきたたけど、本当に"芸能"に落としこめることに気がついた。だから、逆に自分の発想でありがたかったのは、自覚なしに先ほどお話したような、ベルリとアイーダをあのような設定を貼り付けることができたこと。これまでも芸能論には意識的だったけれど、自分自身を引っ張ることができなかったのは、ガンダムに潰されていたからです。だから『Gのレコンギスタ』は"元気のG"なんだと言えた瞬間に、それ以後のコンテも、演出も弾んできました。それまでは、なんとか子供に見てもらうために、ただ楽しく作っていこうと考えていました。しかし、この表現の仕方や考え方は、ロジックなんです。生理的なところまでいけない。その中で、"元気のG"か! だったらいい! だったらもうガンダム関係ない! ってところへ行くことができて、本当に脱ガンダムができたんです。
そうなるとキャラクターの動きが違ってきますね。大人の言葉遣い、上手に話ができるということが正しいのかという問題とも隣接してきます。自分自身がこういう体験をしているだけに、芸能が持っているのは「何? お前、人前でこうやって裸になるのが好きなの?」と聞いて「好きなの! で見てもらって喜ばれたらわたしもうそれだけで幸せなの!」、バカか! ということなんだけれども、その部分がひょっとしたら人の関係性の中で一番大事なことなのかもしれない、と理解できるようになった。
何度も嫌なこといいますよ? 原発関係者とか官僚の中に、人前で裸になって楽しいという感覚を持っている人が何人かいるわけです。顔見せが好きで。本来、政治家っていうのは大衆に向けて、もっとあけっぴろげに言葉を話せるような人でなければいけないんです。それでいて政策を行使することができなければならないんだけど、色々な事情がありまして……世の中って難しいんですよ! と半端な落とし前をつけてばかりいると、段々狂っていく。
――だから芸能が必要になってくる。
まさにアニメっていうのは、芸能で"元気"だけでやっていいんです。『G-レコ』で言えば、物語の世界観の中に、問題の種を全部撒いたつもりなので解説は一切しません。後はできる人が、考えて開発していけばいい。教えたものを教えられたようにやるのは、やはりレベルが低いと言えます。だから自己啓発も欲しいんだよと考えれば『G-レコ』の配列が間違いないと思っています。今はとにかく、どんなひどい作画であろうが、どんなに色がつかない作品であろうが、最後までオンエアしたいと思っています(笑)。
――いやいや高いです! 作画もクオリティが高いですよ!(サンライズ谷口氏)
それができそうもないって言えるくらい、ハードルが高い作品になっています。つまり元気風に見せる作り方って難しいんですよ。枚数制限がある中で『ワンピース』ぐらいバックがとれてれば、平気で止め画でやってもなんとかなるけど、こっちはそうはいかねえ! って(笑)、というのでちょっと地獄が起こっています。
後編へ続く
『ガンダム G のレコンギスタ 特別先行版』
上映期間:2014年8月23日(土)〜9月5日(金)※2週間限定
内容:TVシリーズ第1話から第3話をまとめた特別先行版のイベント上映
上映館:全国13館
TOHOシネマズ日本橋/新宿ピカデリー/TOHOシネマズ六本木ヒルズ/TOHOシネマズららぽーと/横浜TOHOシネマズ川崎/MOVIXさいたま/TOHOシネマズららぽーと船橋/TOHOシネマズ宇都宮/TOHOシネマズ名古屋ベイシティ/TOHOシネマズ梅田/TOHOシネマズなんば/TOHOシネマズ天神/札幌シネマフロンティア
(C)創通・サンライズ
(古川純基)
最終更新:9月4日(木)1時9分
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