January 19, 2011

亡くなる人の挑戦☆

テーマ:ブログ

先日、17日は亡くなったおばあちゃんの誕生日でした。



そのおばあちゃんの生き方が私にとって、素晴らしく感動的であり、



忘れられないものでしたのでご紹介したいと思います。





おばあちゃんは田舎で過ごし、子どもが生まれてからもずっと畑仕事を


してきました。小さい頃から大粒の汗を流して働く母の後姿を見て育った、と


父は話していました。


苦労して苦労して、出稼ぎで家を離れているおじいちゃんの分まで、たったひとりで


5人の子育てをしました。



そのおばあちゃん、子どもが大きくなり、孫も増えてきてから、趣味ができました。


それは写真を撮ること。


大きな一眼レフを構えて奇麗な写真を沢山撮っていました。



お葬式でおばあちゃんが撮った写真を見ましたが、どれも自然の写真で、


世の中にこんなに奇麗な場所があったんだぁ、


こんなにすごいものがあったんだなぁ、


と感激させられるほど立派なものでした。



そんなおばあちゃん


段々、先が長くないことを気付いたのか、子どもたちにこういって回っていたそうです。


「炊飯器はいるかね?」


「掃除機はいるかね?」


もう自分には必要なくなるだろう、そう思ったのだと思います。




そのおばあちゃんが入院して亡くなるまで、


子供と約束していた日があったそうです。


息も荒くなり、体もつらく、生きているのがやっとという状況になってすら


おばあちゃんは頑張っていました。


まるで走っているかのように息を荒くして


はぁ はぁ  はぁ  はぁ


そういって生き続けたのです。


約束の日まで・・・・


その翌日になった途端、息を引き取りました。





おばあちゃんの生き様、死に様を見て、本当に素晴らしい方だと思いました。



なぜ人間は死ぬのでしょうか。


そして死んでいく人たちは一体何を残せばいいのでしょうか。


そして何を持っていけばいいのでしょうか。



おばあちゃんはおばあちゃんの体、ずっと一緒にいたはずの肉体さえも


この世に置いていきました。


じゃぁ一体何が行ったの?



です。




人は死ぬ時何も持っていけません。


全て与えて与え尽くさなければならないのです。



おばあちゃんは残った財産を少しでも多く子供たちの教育のために


遣ってほしいと言い、お葬式は簡単でいいから、と言い続けていました。


その言葉通り、お葬式は簡易的ではありましたが、素晴らしいものとなりました。


それは生きたおばあちゃんの生き方が素晴らしかったからだと思います。




なぜ現役を去った人たちは皆、子どもたち、つまり次世代の教育のために、と


思うのでしょうか。



それは人間の本性なのです。




なぜ死ななくてはならないのか。



それはWHOMの法則が大きく関係しています。




おばあちゃんの生き方から学んだことを書かせてもらいました。


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