国民の多くは、原発依存から抜け出したいと願っている。福島の事故が身に染みているからだ。その国民に経済の負担を強いてまで国は原発を持ち続けていたいらしい。なぜ、そうまでするの。
語るに落ちたと言うべきか。あからさまな“原発えこひいき”の試みが、ひっそりと進んでいるようだ。
二〇一六年に家庭向け電力事業が自由化され、既存の大手電力会社以外の参入が進むとともに、消費者が売り手を選べるようになり、これまで政府と電力会社が独占的に決めてきた、電気料金の値下がりが期待されている。
ところが政府は、原発だけを特別扱いにして、維持、さらに新増設を支援する姿勢を打ち出した。
原発の建設から廃炉、使用済み燃料の処分にかかる費用を計算し、基準になる電気の値段を、これまで通り政府と電力会社で決める。そして市場価格が基準価格を下回った場合には、全消費者の電気料金に、その差額分を上乗せするという。
原発を動かす大手電力会社に損はない。国民の負担で穴を埋めてあげようというのである。
自由化とは名ばかり、実際の電気料金は原発の都合で決まってしまうのだ。
経済産業省の有識者会議でひっそりと話し合われるこの案は、多くの示唆を与えてくれる。
例えば、これまで「安い電源」とされてきた原発が、自由競争に耐えられないほど高くつき、地域独占市場の中でなければ原発事業は成り立たないのを、国も認めているということだ。
その上、事故が起きれば、補償は天文学的な額になる。福島の事故に見るとおり、一事業者に賄いきれるものではない。原発は経済的には成り立たない。
差額の穴埋めで原発を維持するやり方は、英国にならうものだという。英国は温室効果ガスを抑えるために、発電段階では二酸化炭素(CO2)などを出さない原発を使い続ける方針だ。
温暖化も危険だが、原発事故はそれ以上に恐ろしい。私たちは、そのことを知っている。原発維持を温暖化対策の口実にすべきではない。
大手電力事業者も、これ以上原発を動かすリスクを負うことを、本当は望んではいないのではないか。国民に二重三重の負担を強い、福島の被災者の心を踏みにじってまで、なぜ政府は原発を持ち続けたいのだろうか。
この記事を印刷する