著作権絡みの2つ目のエントリ。
こんなのを今日たまたま目にしたわけです。
パクることに対する罪の意識の希薄さが気になる話 - ネットの海の渚にて
これを受けてイケダハヤト氏がこんな記事で対抗。
コンテンツを「パクる」のは、なぜいけないの?教えておじいさん! : まだ東京で消耗してるの?
このイケダハヤト氏の記事のタイトルのセンスの無さにガクブルなわけですが、僕自身も人のことを言えない上に、この文章の冒頭で「◯◯の」と5回連続で使っていることにもガクブルしたわけです。MS Wordなら思い切り緑色の波線を引かれてます。はてブでよかった。
ちなみにイケハヤ氏はいろんな人の意見を受けて、本記事を更新し続けておられるようです。
で、イケハヤ氏の記事を受けて、ヨッピー氏がこんな記事を書いた。
イケダハヤト氏が全クリエイターに対して宣戦布告を開始 - ヨッピーがブチ切れまくるブログ
面白い。見事な泥仕合になっている。お互いにウンコ投げつけあってるみたいな感じです。
なお、元々の発端はバイラルメディアのコンテンツがパクリだらけで佐々木俊尚氏が編集長を勤める「旅ラボ」ってサイトが炎上したという件からです。このこともほとんど知らなかったんですけどね。どんだけ情報に疎いんだと。
で、個人的にはヨッピー氏や一番上の記事の主張に賛成で、コンテンツをどんな形であれパクられるのは心情的にもあかんし、自分の利益を考えた時もどう考えてもNGでしょ。同人誌と商業誌の関係とかもそうだと思うんだけど。
なんだろう、やっぱり気になるのは、「個人の楽しみにおいてそれをやる」分には特に問題無いと思うのよ。それだけ好きなんだな〜というくらいの感じで。二次創作なんかも同じだと思う。
ただ、それで金儲けしちゃダメだよね、という話で。パクられるのが当たり前、って考えになると、それこそ頭捻って消耗しまくって命削って何とか出してきたアイディアであったりコンテンツであったりするものを、一気に価値の無いものにされちゃうわけで。そうなったら誰がコンテンツを生み出そうとするんだよ、という話になるわけです。
理想論として「人はパンのみにて生くるにあらず」ってのがあるのは分かるんだが、一方で「人はパンなくして生きることは出来ない」のも事実で。創作の喜びってのもあるけど、それが価値を生み出す喜びってのも同時にあるわけです。それを真っ向無視するってのは、あってはいけないことだと思う。
で、第三者がそれを判断するな、という話ですが、そら第三者も判断するよね。クリエイターなら特に。だって、明日は我が身だもん。第三者が判断するな、って話になったら、裁判制度は完全に成り立たないし、裁判員とか陪審員とかそういったものも完全に成り立たなくなる。
もう少し違う例を上げると、例えば殺人犯が目の前にいるとする。その人は悪い人だから逮捕しましょう、ってのは、みんな思うだろうし、みんな言うと思うのよ。だけどそんな時に「彼のやった行為が悪いことかどうか判断できるのは、当事者だけです。ワタシは判断しません」なんてことをやりますか?と。だって、自分が殺されちゃうかもしれないやん。そんな時に「判断しません」なんて悠長なことを言えるわけないやん。
これと同じことだと思うのよね。極論だ、と言われるかもですが、でもコンテンツを盗まれて価値を毀損されるってことは、食い扶持をなくすことにつながるわけです。食い扶持をなくされるってのは、生死につながるよね。あながち遠い話でもないかと。
あと、わざわざリンク貼らないけど、イケハヤ氏は「法律だから守る、ってのは思考停止。それが間違っている可能性もある。大事なのは自分の倫理観を持って考える事」みたいなことを言っていたはず。一見するとすげぇ良い事を言っているように見える。が、大間違いを犯しているわけで。
法律って何のためにあるのか、守るためですよ。法律を守ることで秩序が保たれるわけです。まず大前提として法律を守ることが大事。法律を守る人間だけが、「この法律はおかしい」と言える。だって、法律を守った人間だけが、その法律が合理的かどうかを判断できるでしょうが。守らない人間がなぜ判断できるの?サッカーをプレイしたことのない人間が技術論を語るようなもんでしょうが。それすらも分からないで、自分の身を守ることだけで発現するってのもステキだなぁ、と思いました。
このエントリもだいぶ長くなってきて、我ながらうんざりしてきていますが、タイトルに書いた内容に一切触れていないので、そろそろそこに触れてみましょう。
イケハヤ氏は、「自分のビジネスモデルは、自分のコンテンツを全てパクられても問題ない、むしろ利益になるモデルなので、どんどんパクってもらいたい」といった内容を書かれています。
コンテンツを全てパクられても構わない、むしろ利益になるビジネスモデルって、どんなモデルなのか全く想像つかなかったのよね。一部パクられても他のところで取り返すモデルなら、フリーミアムを始めとしてなんぼでも思いつくんだが。なので、ない頭絞って考えてみたら、2つ思いついた。
1つ目は、クリエイターが全くの無名で、どんなことをしてでも名前を売りたい場合。この場合は、パクられることによって拡散して名前が知られる、あるいは自分のコンテンツが広まっていくことに大きな快感を感じるかもしれない。
でもこのケースの場合は、クリエイターが「自分のコンテンツを正当に評価してもらいたい」と思った時点でパクられるのはNGになるので、途中で終わると思うんだよね。それにイケハヤ氏は良くも悪くも結構名前は知られてるので、当てはまらない。
で、もう1つ。こっちならもっと当てはまると思う。
それは、「コンテンツに全くもって価値の無い」場合。ヨッピー氏も書いてたが、イケハヤ氏はコンテンツに「価値がない」から、あんまりパクられないし、パクられることによる被害を感じないんじゃないかな、と思った。
で、価値がないと普通は売れないんだけど、パクりフリーにしておくことで、拡散される可能性は高くなる。
↓
多少なりとも拡散される
↓
いろんな人の目に触れやすくなる
↓
「ひょっとして素晴らしいことを書いているのか?」と勘違いする人が出てくる
↓
勘違いしたまま有料メルマガに登録
↓
途中で中身がうっすくて価値がないことに気付くが、つい面倒になって解約しない
というのを狙った場合は、パクられればパクられるほどいい、ということになる。イケハヤ氏の狙いもここにあるんじゃないだろうか?
この考えなら、イケハヤ氏のコンテンツの薄っぺらさや価値の低さにも納得できるし、それをパクられることについて寛容、むしろ積極的にOKを出している理由もわかる。
全面解明だ。これがイケハヤ氏のビジネスモデルだ。
さすがイケハヤさん。法律を守らないことを公言される方だけあるで~。このまま高知から出てこないでもらいたいところだ。