朝起きてシャワーを浴びる。歯を磨いて家を出る。 僕だけじゃない、みんな今日も「働く」。 街行く人ひとり一人に「なんであなたは働くんですか?」と、 心の中で密かに問いかけている。 誰も答えてはくれない。
- 生きる手段としての「働く」
- 就活のとき見ていた「働く」という景色
- 生きる目的としての「働く」
- 3年目から見た「働く」という景色
もちろんこれは、WETな備忘録として
生きる手段としての「働く」
正しい答え
生活の糧としての「働く」
実際にそんな疑問を聞いてくれそうな友人知人に聞いてみて、最も「早く」返ってくるのは「生活の糧として働いている」という答えだ。とうぜんながら僕たちは生き物である以上、何かを食べないと生きていけないし、風雨を防ぐ棲家が必要だ。そのようなものを手に入れるために、最低限のお金を稼ぐ必要がある。働くとはその手段。
働くとは手段であって、それ自体が面白いだの面白くないだのというのは二の次である。面白いだの面白くないだの関係無く、生きて行く以上は働かなければならないのだから、働くのだ。その代わり、仕事以外の時間で自分のやりたいことに時間と労力と、場合によっては金をつぎ込めばよいのである。
偉い答え
守るべき責任として「働く」
さらに、自分一人だけじゃなく、守るべき人がいたらどうだろうか。自分が金を稼がなければ、妻や子供が食べるものが無い、風雨を凌ぐ棲家が無い、となれば「働く」とはよりいっそう面白いだの面白くないだの言ってられない活動になるのではないだろうか。まあ僕独り身なんでこのへん全然分からないですけどね。
無視できない答え
居場所として「働く」
とはいえ、働くという時間は1日の実に3分の1近くを占めている。睡眠時間をのぞけば半分と言ってよいだろう。そんな多くの部分を占める時間において、誰かに必要とされたり、多かれ少なかれ誰かに感謝される関係をつくり「生きていてもいいのだ」と実感を得るのは、とても重要なことである。
逆にこの時間を、誰にも必要とされなかったり、誰にも感謝されることが無いような過ごし方をしていると、きっと生きていくのが嫌になったり、少なくともその職場には居続けることが困難になったりするのだろう。したがって、やはり最低限生きていくために「働く」という時間は重要な要素である。
就活のとき見ていた「働く」という景色
すこし昔話をば。
就職活動をしていた時は、「そんな生き方はゴメンだ」と思っていたような気がする。自分は自分の時間を切り売りして生活の糧に換金するようなことはふさわしくない人間だと思っていたし、自分の能力の可能性を信じて疑わなかった気がする。何でもできると思っていたし、どんな困難も頑張ればどうにかなると思っていた気がする。
ともすれば、上記のような働き方を馬鹿にしてさえいたと思う。
では、就活の時の僕が夢見ていた「働く」とは何だったのか。
生きる目的としての「働く」
幸せな答え
楽しみとして「働く」
アニサマで知り合った人は、転職をして、自分の趣味であるところのアニメとか声優とかのコンテンツに関係ある仕事を今しているという。給料は微妙に減ったけれど、仕事そのものにとてもやりがいを感じていると言っていた。
「働く」というそのものが楽しさであってもよいと思う。その結果、なにか価値を生み出して、その分の対価を得るというのは、もしかしたら一番自然な働き方なのかもしれない。
ちなみにその人は既婚で子供もいる。
眩しい答え
自己実現として「働く」
そして、意識高き若き日の僕をもっとも目輝かせたのは「夢や憧れを体現するために働く」というやつだったのであろう。こうあればよいという世の中の実現や、自分はこういうことができるはずだという可能性への挑戦など、「働く」ということが自己の実現そのものに直結している働き方。
ベンチャーの社長と偶然お会いしたりすると、そういう雰囲気は強く感じる。毎日は決してラクじゃないが、色々なことが詰まっているのだろうと、そうお察しする。
正直、疲れそうだな、とも思う。
3年目から見た「働く」という景色
たくさん足踏みをしていたせいもあって、「20代」という時間も気がついたらもうそんなに残されていない。どう働くべきか、という切迫感じみた焦りもある。自分はもっとパワフルに、仕事そのものにパッションを持って生きなければならないのではないか、若いし、とかとか。
けれど、3年近く働いてみて、正直言って僕は自信が無い。自分がどっちの価値観で働くのが向いている人間なのか、自信が無い。
仕事に行き、タスクを確認しコードを書き、あるコードは意味があったりまた無意味だったり、それを無心で繰り返す。仕事が終われば定時に退社し、趣味のプログラミングを存分に楽しみ、アニメを見て、休日はカフェに入り浸りやはり個人開発に没頭し。たまのイベントではサイリウムを振ったり、ダミ声で「世界1可愛いよー!!!」などとステージの上の17歳に声援を送る。
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> たのしい ✌('ω'✌ )三✌('ω')✌三( ✌'ω')✌ <
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何か目的があるわけではないが、たしかにこのような生き方も、たのしいのだ。
そんなこんなで今では、自分が果たして「生きる目的として働いた方が合ってる」人間なのか、それとも「生きる手段として働いた方が合ってる」人間なのか、ちょっと自分で自信が無い。
というのが、3年目から見える、率直な「働く」という風景だ。
みたいな屁の役にも立ちそうにないことを薄ら薄ら思いつつ寝落ちをすれば、朝が来る。
僕だけじゃない、みんな今日も「働く」。
そう、あの合言葉とともに
それではみなさんご一緒に