社会

時代の正体(10)排他の空気 ときを彫る(上) 靖国批判作品撤去求められた中垣克久さん

 海老名市の彫刻家中垣克久さん(70)は今年2月、安倍晋三首相らの靖国神社参拝を批判する文言を記した造形作品「時代(とき)の肖像」の撤去を展示会場の東京都美術館(東京都台東区)から迫られた。「表現の自由や思想信条の自由が顧みられることなく、異なる考えが排除される社会は私たちが望んだものだったろうか」。戦争末期に生まれ、特高警察の父を持った老作家は今、なすべきことを自問し続けている。

 

 唐突に男性学芸員は迫ったという。「作品を撤去して下さい」。2月16日、展覧会が始まって2日目のことだった。

 問題とされたのはドーム型の作品「時代の肖像」を覆う貼り紙の文言だった。

 〈戦争で他国も自国も傷つけた間違いを犯した国〉

 〈憲法九条を守り、靖国神社参拝の愚を認め、現政権の右傾化を阻止して〉

 中垣さんは安倍政権による特定秘密保護法や安全保障政策の見直しに「『戦争をする国』への変質を見ていた」。古墳に模した作品に「日本の平和の終焉(しゅうえん)」を刻みたかった。

 「どの文言が悪いのか」。問い返す中垣さんに学芸員は「全部悪い」。押し問答は1時間ほど続き、展覧会の中止まで示唆された。中垣さんが代表を務める現代日本彫刻作家連盟のグループ展だった。

 「個展なら撤去要請をはねつけられた。展覧会が取りやめになれば他の作家の表現の場まで奪われることになる。続ける責任があった」

 話し合いの末、美術館側は「これだけははがしてください」と指定してきた。靖国参拝を批判した貼り紙だった。

 美術館側は「中垣さんの作品は都が定める運営要綱の『特定の政党・宗教を支持、反対する場合は使用させないことが出来る』という規定に該当すると判断した」。広報担当者は「来館者から作品を問題視する『問い合わせ』が寄せられていた」とも説明する。ただ、「中垣さんの作品のどの部分が規定に該当するかは公表していない」と言葉を濁す。

 貼り紙をはがし、展覧会は続行された。中垣さんは「身が焼かれる思いだった」と振り返る。

 騒動はほどなく報道で表沙汰になった。インターネットでは、美術館の対応を擁護するものや中垣さんの表現手法への批判が多く出たことを伝え聞いた。

 「自由な批判も言論だ。僕は受け入れたい」と中垣さんは言う。「しかし」と問い掛ける。

 「権力側の意向を忖度(そんたく)し、右寄りな人たちの批判を招きやすい、美術館にとって不都合なものを抹殺しようとし、実際に作品の一部を排除した。表現の自由、思想信条の自由が簡単に侵されたことが、どれだけ社会で深刻に受け止められているだろうか」

 

■軍人だけ英霊視なぜ

 中垣さんは戦争や平和のテーマにした作品を手掛けてきた。岐阜県飛騨市で過ごした幼少時代が影響していた。

 1944年生まれ。戦中の記憶はないが、両親からは銃後の荒廃を聞かされて育った。

 特高警察だった父正夫さんは、地元の鉱山で強制労働をさせられていた朝鮮人の監視に当たっていた。「朝鮮の人々への暴行やいわれなき差別が横行していた。父は疑問に思っていたからこそ史実を秘めることなく教えてくれた」

 母久子さんは空襲から逃れるため3人の子どもと乗り込んだ汽車での出来事を忘れなかった。「ひもじい顔をした子どもの目の前に座った兵隊2人が折り詰めの赤飯をはばかることなく食べ続けたという。『誰のための、何のための戦争なのか』と感じた怒りとむなしさをよく口にしていた」

 戦後、正夫さんはC級戦犯として収容所に送られ、一家の暮らしは困窮した。空襲や戦死で家族を亡くした人も多くいた。時代の肖像の意図について中垣さんは語る。「他国だけでなく、自国民も苦しめたかつての戦争への反省が政治家の間で薄れている危機感も込めた」

 戦死した軍人、軍属をまつる靖国神社参拝への疑問はその延長線上にあった。「空襲で命を落とした名もなき市民。広島や長崎の原爆で身を焼かれた人々。戦争の受難者は国民全体であるはずだ。なのになぜ軍人、軍属のみを英霊として特別視するのか」。時代の肖像は「告発」の思いが込められていた。

■圧力に屈しない意志

 5月31日。東京都立川市のギャラリーで中垣さんは新しい時代の肖像を披露した。

 やはり同じドーム型。外観は白一色に塗られ、問題になった貼り紙は内側に貼られていた。

 新たにつづられたメッセージがあった。

 〈軍備をして他国の侵攻を防ぐという考え方があるが、そうした力比べではどちらかの抑圧や恨みを買うことしか出来ない〉

 議論が続いていた集団的自衛権の行使容認を正面から批判した。靖国問題にも沈黙することなく、より強い文言をしたためた。

 〈たとえ美談で語れる過去があったとしても あの戦争はまさしく侵略戦争だった(中略)靖国神社はそんな忘れてはならない歴史を賛美しているのだ〉

 貼り紙がはがされたという事実を表現した真っ白な外観、しかしそれでも屈しないという意志を込めた内側の貼り紙。騒動を作品に昇華させた老作家は言う。

 「本当に怖いのは大きな力のせいで何にも言えなくなるか、言っても意味が限りなくなくなること。戦前戦中みたいに、だ」

 ◆作品「時代の肖像-絶滅危惧種 idiot JAPONICA円墳-」 2000年ごろから「日本の生と死」「平和の危機」をテーマに試作を始めた連作。12年に第1弾を国立新美術館(東京都港区)で発表し、今回撤去要請を受けたのは公開2作目にあたる。いずれも古墳を模したドーム状の作品。第2作は特定秘密保護法や集団的自衛権の行使容認に疑問を投げ掛ける意図もあり、ドーム頂点を日の丸が覆い、その内部には星条旗が敷かれている。高さ約1.5メートルのドーム外観を秘密保護法や憲法改正に関する新聞記事や手書きの貼り紙が覆う。

【神奈川新聞】