福島第一原発の事故で出た福島県内の汚染土などを保管する国の中間貯蔵施設の受け入れを同県と大熊、双葉の2町が決めた。政府は今後、用地取得に向け、地権者との交渉に入る。

 福島県内では汚染土などの仮置き場が満杯に近づき、除染作業の遅れにもつながっている。中間貯蔵施設は、事故の後始末に不可欠なインフラだ。どこかが受け入れないと、福島の生活再建や復興にも響く恐れがあった。施設建設に向けて動き出したことをまず、評価したい。

 しかし、これまでの経過を振り返ると、今後に向けて危惧も抱く。負担を特定地域にまかせきって事故処理、さらには原発を持つことの意味を国民全体で共有できるだろうか、と。

 政府の最初の受け入れ要請から3年。政府は最終的に、住民の生活再建や県の復興対策に3千億円超の交付金を提示した。用地の買い取り価格も東京電力の賠償とは切り離して市場価格をもとに算定し、事故前との差額は県が相応分を支援する。

 受け入れを求める以上、地権者や自治体に手厚く補償するのは当然だ。しかし、お金は人を分断する。「お金をもらっているのだから」と多くが特定地域の負担に目を向けない。被災地と被災地以外、福島県内の避難地区とそれ以外、さらには同じ町内でも金額の多寡で人々の間に複雑な感情をもたらした。原発をつくるときも、事故後、東京電力の賠償金をめぐっても、繰り返されたことだ。お金は万能の問題解決策ではない。

 さらに政府は要請から半年後には事実上、2町に的を絞って交渉を進めた。2町は線量が高く帰還困難区域が大半を占める。汚染物を広げない意味で、線量が高いところで保管することに合理性があったとしても、問題を特定地域との交渉ごとに封じ込めることにならなかったか。

 本来、原発の潜在的なリスクや後始末に伴う負担は国民全体が考えるべき問題だ。中間貯蔵施設を巡る住民説明会で「できれば東京に持っていってもらいたい」「電力消費地とで分かち合うべきだ」との声があがった。負担を受益と見合う公平なものにしようと考えれば、当然の発言である。

 今後私たちは、老朽化した原発や使用済み核燃料の後始末でも、誰が負担を引き受けるのか、今回と同じ問題に向き合わざるをえない。

 分断を伴う解決ではない、別の道筋を模索すること。中間貯蔵施設ができたとしても、挑戦すべき課題は残っている。