近年、捕鯨問題が再燃しつつある。2006年には国際捕鯨委員会(IWC)において、鯨類の持続的利用の原則を確認する決議が採択された。一方で2007年、日本が行っている調査捕鯨に対して明確に反対しているオーストラリア労働党が連邦下院議員選挙で勝利し、軍船の出動も辞さない構えを見せている。
本論文は、捕鯨問題が解決できない理由を整理し、解決には何が必要かを提言するものである。
こう述べると、国際社会が数十年かかっても解決できない難問を、一介の大学生が解決できるはずもない、とお考えの方もいらっしゃるだろう。あるいは捕鯨問題に明るい方の中には、諸外国や環境NGOの妥協を許さない態度が問題なのであって、解決のために日本は十二分に努力している、という方もいらっしゃるかも知れない。しかし私は、それとは別の問題点が捕鯨問題の裏側に隠されており、その問題点を解決するための努力を日本人あるいは日本政府は充分に果たしていないと確信している。
私がこのように確信する理由と、捕鯨問題という言葉が何を指して問題と言っているのか、という定義の問題とは大いに関係がある。そこでまず、どのような問題が捕鯨問題と呼ばれてきたのかを整理してみたい。
捕鯨問題とは何か。捕鯨問題をどのような問題として定義付けるか。その問いに対する回答ですら、時代や見方によって様々に異なる。
最初に捕鯨問題と呼ばれたのは、クジラの資源量に関する問題である。捕鯨はいつまで続けられるのか、濫獲によって資源の枯渇がもたらされないか。クジラを資源と見做すこの見方からすれば、捕鯨問題は資源問題である。この問題認識はヨーロッパにおいて捕鯨業が成立した直後の17世紀には既にあり、その意味では400年近く続いてきた難問である。
20世紀が始まってからは、捕鯨問題は環境問題である、という見方が現れる。その根底には、生態系を元に戻せないまでに捻じ曲げることは許されない、とする環境倫理がある。濫獲による資源の枯渇は生態系の破壊をも意味するので、濫獲もまた許されないことになる。
捕鯨問題を資源問題として捉えた場合よりも、環境問題として捉えた場合の方が利害関係者が拡張されることに注意したい。資源問題として捉えている間は、直接的な利害関係者は捕鯨業者とその周辺に限定される。捕鯨問題を解決しなければならない理由は、捕鯨業者が永続的に捕鯨業を営むため、となる。その他の人々は、クジラ製品の消費ができなくなることや、取引先として捕鯨業という業種を失うことなど、捕鯨業を通じての間接的な利害しか持たない。しかし環境倫理という視点を持ち込むと、人々は別のルートで捕鯨問題と向き合うことになる。生態系から一つの動物種が失われていくことは、環境倫理に同調する人にとっては直接的な大きな損失として受け止められるだろう。このような捕鯨問題の拡張は、1960年代以降に生態系の保存を求める草の根の環境NGOが出現してきた背景と結びつけることができるのではないかと思う。
しかし、捕鯨問題と言われてこのような捉え方を思い浮かべる人は今や少数派だろう。資源問題として捉えるならば捕鯨業が存続できる範囲で、あるいは資源問題(ママ*1)として捉えるならば生態系を破壊しない範囲で、と範囲に違いこそあるものの、どちらの見方も捕鯨を一切認めないわけではない。しかし現在の捕鯨問題は、捕鯨の是非そのものをめぐって争われている。この時点で、これらの捉え方では現在の捕鯨問題を正しく捉えられないことは明らかである。
捕鯨問題に関連する文献の多くは、国際社会の場で捕鯨の是非をめぐって争われている政治的駆け引き、あるいはその駆け引きにばかり目が行くことで、上述の資源問題としての側面や環境問題としての側面が見えなくなっていることを捕鯨問題として捉えている。例えば大曲は「捕鯨問題が、長期にわたり解決し得なかった理由のひとつには、政治的資源としての鯨の役割が絶大になったことにあるのではないだろうか」[大曲, p. 249]と指摘している。
以上のような見方に対して、私は新たに一つの問題を提起したい。
日本人が捕鯨をしたがっているから、日本政府は捕鯨をしたがっているのだろうか。裏を返すと、日本政府が捕鯨をしたがる理由を、日本人は説明できるのだろうか。
私の周囲で捕鯨に関心を示す人はそれほど多くない。確かに捕鯨は日本の文化だから続けるべきだという声もある。しかし一方で、クジラを殺すのは可哀相だという声もある。中には捕鯨問題を遠い過去の問題だとして興味を示さない人もいる。きちんと集計したわけでは無いが、日本人の捕鯨熱が高いとは感じられない。国際的に日本政府が捕鯨再開を求めている姿とのズレを感じるには充分である。
しかし現実には、1.1.で述べたように、日本は近隣国から軍船を出される可能性があるという事態に陥っている。仮に私の感じるとおり日本人の捕鯨熱が高くないとするならば、日本が日本人自身の気付かないうちに国際社会で袋小路へ追い込まれているという、由々しき問題が出てきてしまうのだ。
そこで私は「日本人の捕鯨熱と、日本政府の捕鯨再開政策との間に乖離が生じている」という自分の実感をそのまま仮説として立てた。日本人がクジラや捕鯨に対して抱いたことのある印象、イメージを整理することによって、日本人の捕鯨熱がどのような経緯を経てきたのかを確認し、それを日本政府の捕鯨再開政策と比較することで、この仮説を検証していくことにした。
仮にこの仮説が正しいとすると、捕鯨問題には新たな問題点として、日本人自身が日本政府の捕鯨政策の方向性を制御できていない国内問題、という点が加わることになる。これは国家としてのシステムの不備という、資源問題や環境問題、ましてや国際問題よりも先立つ問題となる。冒頭で「その問題点を解決するための努力を日本人あるいは日本政府は充分に果たしていない」と書いたのはそのためである*2。
なお、ここで補足しておくと、本論文でいう日本人とは特に断りが無い限り地理的に定義し、日本列島に住んでいる人々全般を指す。ただし、これは日本列島に住んでいる人々がすべて均質の存在であると仮定しているわけでは決して無い。第2章で詳しく見ていくが、日本におけるクジラとヒトの関わり方はそれぞれの地域に応じて非常に多彩であったし、現在でも均一ではない。
また、誤解を招かないようにここで確認しておくが、本論文でただクジラと言った場合は鯨類全般を指し、特に断りが無い限り学術的定義に則ってイルカも含むものとする。
先程述べたとおり、本論文では「日本人がクジラや捕鯨に対して抱いたことのあるイメージを整理する」ことが最初の目標となる。その上で大きな転機となったのが、西洋諸国を中心に1970年代から巻き起こった「クジラ保護運動」であった。そのことを踏まえて、本論文は以下のような構成となっている。
まず第2章では、クジラ保護運動が始まって捕鯨問題が国際的な政治問題と化す以前まで、日本人がクジラや捕鯨に対してどのようなイメージを持っていたかを整理する。この中では、クジラを神と崇める信仰や、クジラの過去帳を付け供養するなどクジラを擬人化した風習が存在したことが示される。一方で捕鯨業が近代化を達成して以降、クジラの消費地が拡大した結果、クジラに食料以外の意味を見出さない地域や世代が出現した。またクジラに対する態度を一足飛びに飛び越え、欧米列強と肩を並べようとする日本の象徴として捕鯨産業そのものに意味が与えられたことや、日本人を日本国民とすべく、その意味を日本人の間で共有させようと日本政府が意図していたことを指摘する。その結果、クジラ保護運動が始まる頃には、日本人は当初培っていた信仰や風習を半ば失いかけ、横暴との誹りを免れないまでの捕鯨を認めてしまっていた可能性が高い。
クジラ保護運動が日本に与えた影響は多面的で決して無視できるものではなく、その意味で重要な存在であるにも関わらず、その思想的特徴については今まで非常に表面的にしか述べられてこなかった。第3章えでは、クジラ保護運動の背景と特質をまず押さえ、私なりのクジラ保護運動の定義を考える。その後、それが日本に対して外圧として受け止められたこと、また、それが捕鯨は日本の文化であるとする主張を触発したことを確認する。
第4章では、1984年に日本政府が商業捕鯨停止を受け容れた以後、現在までの20年間で日本人のクジラや捕鯨に対するイメージに大きな変化がおきたことを示す。その上で、この変化にも関わらず捕鯨政策が硬直していることを示し、そのズレが何をもたらしているかを考察する。
以上を踏まえて、第5章では結論として捕鯨問題の解決策を提示する。捕鯨問題には、日本人が知らないうちに日本政府が捕鯨再開政策を存続させているという国内問題としての側面があることを指摘する。最後に、今後の捕鯨問題の未来を自分なりに考えることで、国際社会における日本の取るべき立場にも言及したい。
なお、本論文は論点がぼけないよう、歴史や用語に関する記述を各部分で必要となる範囲に限っている。そのため本論文は、捕鯨問題についての基礎的知識を得るのには適しておらず、そのような知識を既にある程度持っている人向けの構成となっている。必要な場合は参考文献表に掲載した参考文献を参照しながら読み進めていただきたい。