[PR]

 防災の日の1日、10万5千人が亡くなった関東大震災から91年たった。未曽有の大震災の記録は、今も研究者や高校生たちが映像の分析や石碑の現地調査などに取り組んでいる。これからの防災に生かそうという試みだ。

 関東大震災の記録映像について、東京理科大の辻本誠教授(火災安全工学)らが、不明だった撮影場所や日時を特定した。火災の広がり方の検証や当時の避難行動の分析が進むという。

 特定した映像は東京国立近代美術館フィルムセンターなどから提供を受けた767シーン(約3時間18分)のうち、6割以上の490シーン(約2時間10分)。当時の撮影所を営んでいた撮影技師が撮影した映像などとされ、映像をデジタル化して見やすいように処理した。

 発生から数時間後に撮影されたシーンでは、煙で見え隠れする切り妻屋根の建物の窓枠が見えた。京都大防災研究所の田中傑(まさる)特任助教らは、当時の絵はがきとの照合などから「サッポロビール東京工場」と特定。吾妻橋を渡って避難する人がいる一方で、火事を眺めている人たちもいた。

 当時の火災の広がりを記録した地図から午後2~3時ごろと推定した埼玉大の西田幸夫特任准教授は「1時間後、ここにも火の手が及び、焼失するが緊迫感がない。火災が起きたら、すぐ逃げることが重要と改めて分かる」と話す。

 分析された映像とは別にフィルムセンターは8月、当時の様子を記録した4本の記録映画が新たに発見されたと発表した。都内の千束八幡神社や京都大などが寄贈したもので、現存しない牛込駅の様子、少年団や東北帝国大救護班の活動などが映されていた。

 関東大震災に詳しい名古屋大の武村雅之教授によると、写真や映像は多く残されているが、日時や場所が不明の資料も多い。特定によって各地での人々の行動が明らかになり、避難時の切迫度が分かるという。「多くの人が、地震直後はあれほどの被害になるとは思っていなかった。それが逃げ遅れにつながり被害が拡大した」と話す。