浅利幸彦の預言解読講座

預言書を解読して未来を明らかにしていきます。
2016年3月から6月までの期間に掲挙=ラプチャーが予定されています。
その後にサタンによる侵略が始まります。
救済されるため=掲挙されるための方法をお伝えします。


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さて、昨日、ノストラダムスの2-97を解説したのだが、この詩で気になったことがあったのでそれについて書いておこう。


ローマの教皇よ、近づくことにお気をつけなさいませ、
二つの川が流れる都市へは。
御身はそのそばへと自らの血を吐きに来るでしょう。
御身とその御仲間は。薔薇が咲くであろう時に。
(ノストラダムスの大事典の訳)


この2行目の「 二つの川が流れる都市」というのだが、私はこれをメソポタミア~バビロンと解釈したのだが、これ以外にもいくつかの候補がある。
特に、フランスの研究家の場合は,

「ノストラダムスはフランス中心、ヨーロッパ中心に予言した」と考えているので、この「 二つの川が流れる都市」の候補地をフランスの中に求める、というのは当然である、といえよう。


その場合、まず候補にあげられるのはリヨンである。
というのは、リヨンはソーヌ川とローヌ川の合流点に位置しているからだ。
そして、ノストラダムス自身も、リヨンを念頭に置いていた、と考えられる。
勿論、これは「メソポタミア~バビロンでは無くでリヨン」という意味ではない。
ノストラダムスの作品は多義構文になっているので、
「メソポタミア~バビロンもリヨンも」
という意味で両方を念頭に置いて作成した、と考えるのである。


では、リヨンの象徴的意味は何だろうか?
というと、まず、リヨン、 Lyon というスペルが問題になる。
リヨン、 Lyon というスペルは、ライオン、獅子を連想させる。
フランス語でライオンは、lion だが、ノストラダムスの場合、y と i は置換できるので、Lyon = Lion = lion と考えてよい。


ライオンというのは、キリストの象徴でもあるが、「夜、羊を襲う猛獣」なので、サタン、悪魔の象徴でもある。
また、リヨンはソーヌ川とローヌ川の合流点に位置しているが、ソーヌ La Saone とローヌ Le Rhone を併せるとソロモン Salomon になる。
n をふたつ nn で m と取るとソロモン Salomon が導き出される。
「そんなの正確じゃないじゃないか」
と言う人もいるかもしれないが、預言は非常に暗示と遊び心に満ちている。


ソロモンは老年に主に背いて他の神に仕えて、それがバビロン捕囚の遠因になったので反キリストの象徴になっているのだ。
更に、列王記に
10:14さて一年の間にソロモンのところに、はいってきた金の目方は六百六十六タラントであった。


という記述があるので、ここでもソロモンは666の獣=反キリストである、という暗示がされている。
だから、「二つの川が流れる都市=リヨン」と取ったとしても、リヨン~反キリスト=悪魔軍団となる。


さて、リヨン以外にも「二つの川が流れる都市」の候補がフランスにもうひとつある。
それは、 アヴィニョン (Avignon)である。
アヴィニョンは、 ローヌ川とデュランス川の合流点の近くにあるのでアヴィニョンを「二つの川が流れる都市」と考えてもいい、と考える研究家がいる。
以前、8月1日の記事で、7-22を取り上げたのだが、


メソポタミアの市民たちが
タラコネンシスの友人たちに怒る。
遊戯、喜び、宴会、すっかり眠りに落ちた人々。
ローヌ川には代理者、都市はアウソニアの人々に囚われる。


これを解説をした時に、「エリカ・チータム氏がこのメソポタミアをアヴィニョンと解釈した」ことを批判したのだが、

「チータム氏がこう解釈したのには根拠がある」、と指摘された。
「ノストラダムスの大事典」の運営者は、ノストラダムスの作品の中に、

ローヌ川とデュランス川に近い我らがメソポタミア
(散文予兆集成第1巻407番)


という記述があるので、
ノストラダムスが、「メソポタミアとは、ローヌ川とデュランス川に近い アヴィニョン を指している」
と自分で明かしていた、と指摘してきた。
[ふ~ん、なるほど、ノストラダムスはアヴィニョンもその候補の中に入れていたのか」
というのは解った。

ただし、だからといって「バビロンとリオンは外れ」という訳ではない。
これは、「メソポタミアとはアヴィニョンだけを指している」という意味ではない。


では、アヴィニョンの象徴的意味は何だろうか? と考えると、
アヴィニョンというと、すぐにアヴィニョン捕囚を連想する。

アヴィニョン捕囚は、キリスト教のカトリック・ローマ教皇の座が、ローマからアヴィニョンに移されていた時期(1309年 - 1377年)を指す。古代のバビロン捕囚になぞらえ、教皇のバビロン捕囚とも呼ばれた。
(ウィキペディアより)


ここでも、アヴィニョン~アヴィニョン捕囚~バビロン捕囚というのが連想される。
つまり、「二つの川が流れる都市」というのは、バビロン、リヨン、アヴィニョンと3っつ候補が挙げられるが、

メソポタミア~バビロニア~バビロン捕囚
リヨン~ライオン~反キリスト~悪魔軍団
リヨン~ソーヌ川とローヌ川の合流点~ソロモン~背信のためにバビロン捕囚の原因となった
ローヌ川とデュランス川に近いアヴィニョン~アヴィニョン捕囚~バビロン捕囚

となって、いずれも、悪魔軍団、バビロン捕囚~悪魔帝国へと行き着く。
この3都市共にその象徴的意味は「バビロン捕囚~悪魔帝国」だったのだ。
ノストラダムスはこれらを全部考慮していた、と思われる。


私も指摘されなかったら気がつかないで見逃すところだった。
まあ、ご苦労であった。
調べていただいて、非常に参考になったし、改めてノストラダムスの作品の深さ、素晴らしさを確認できた。


アヴィニョンというと昔習った世界史で直ぐに「アヴィニョン捕囚」という言葉が思い浮かんでくる。
チータム氏が7-22の「メソポタミアの市民たちが 」のメソポタミアをアヴィニョンとしたのには、それなりの根拠があった、というのは解った。
チータム氏はこの2-97の「二つの川が流れる都市」 もアヴィニョンを指している、と取ったのだろうか?
ただ、チータム氏はそれぞれの詩をバラバラに考えていて、「そのひとつの詩だけで解釈しようとしていく」
という傾向が強いようだ。


7-22の解説も「ここではアヴィニョンを指す」と解説しているから、「この詩に限っては」ということで、他の詩は他の詩で解釈していくのだろう。
「キーワードを結びつけて郡詩として考えていく」という発想は無いように思われる。
それに、チータム氏はアヴィニョン~アヴィニョン捕囚~バビロン捕囚という発想は無かったと思われる。
チータム氏も勿論アヴィニョン捕囚は知っていただろうが、
ノストラダムスは彼の時代以後の未来に起きる事件を予言したのだから、アヴィニョン捕囚やバビロン捕囚なんて遠い過去の出来事は関係無い」
と思っていたのではないだろうか?

「何かの小事件にこじつける」という作業に夢中で、

「聖書が予型、伏線になっている」とまで考える余裕は無かったのではないか?
と思えるが。
もともとノストラダムスの作品を解釈するにあたって、「予型、伏線」という思考、発想は無い、と思われる。
まあ、根本から発想、スタンスが違うので、私とは解釈が全く「別物」である。


どうも、得意気になってやり込めたつもりになったようだが、更に深く墓穴を掘ったように思われる。
まあ、ノストラダムスは更にその上をいっていた、ということじゃな。

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