レンタル299円。
多分糞映画だろうという先入観があり、前情報もわりと酷いものだったのだが、それほど酷い内容でもなかった。
ただ、期待以上の出来栄えかというとモニョる。
以下、ネタバレバリバリで。
■あらすじ
人類が他の銀河系までに広がり長い年月を経た。
しかし人類は老い、発祥の地地球への帰還を望むようになる。
5千億を超えた人口を、地球が受け止める事は不可能で、地球居住権をめぐる争い「カムホーム戦争」は激化した。
それを調停するために「ガイアサンクション」という組織をつくり、『地球は聖地として立ち入らない』というルールを定めた。
ガイアサンクションの軍人として、ハーロックはデスシャドウ号を操り、地球を守り、地球への帰郷を阻止する英雄となっていた。
それから100年。
海賊船アルカディア号のキャプテンとしてハーロックはガイアサンクションに反旗を翻していた。
それは、ガイアサンクションの欺瞞への憤りから発した自らの罪、その罪滅ぼしのための行動であった。
■CG
視聴前に想像していたより良く出来ている。
顔のモデリングは、松本零士キャラを3DCG化したらこうなるんじゃないの、ってところをとても上手く突いていて違和感が少ない。漫画的な造型とリアルっぽいテクスチャーを上手く融合している。
物語中唯一の異星人ミーメとかも、松本キャラとアバターとかのチョイキモ宇宙人を上手く混ぜてあって悪くない。
また、フェイシャルアニメも結構丁寧でいい感じであり、充分感情表現を達成している。
顔以外だとちょっと下がる。
細かいことを言えば、たとえばCGを観るたび気にしてしまう衣服の表現だが、この辺は残念ながらジャケット系の服装の肩やヒジ等に違和感がある。(クロスシムしてない)
そんなところにレンダリングパワー食わせてもしゃーないのだが、ある程度以上リアルな動画の場合、見てる方は無意識に違和感を発見しに行ってしまう。そして自分は結構気になってしまった。
逆にハードスーツ(宇宙甲冑?)などならば気にならない。
メカデザインも宇宙船、デスシャドウ号や、アルカディア号は、デザインが当時のものからちょっと離れているのだが、物語での役割を考えればまぁアリかなというアレンジだし、密度が高く画面映えということではけして悪くない。
エフェクトも気にならない。宇宙でもうもうと煙上げるエンジンて何?とかは思うがまぁそういう世界だし。
全体的に、日本産CG映画としてはかなり上のほうにくるんじゃないかなという印象。
例えばハリウッドのCG映画でも同予算帯ならば勝ってるところチラホラあるんじゃないかと。
それだけに細かいところが気になる。というか惜しい。もったいない。CGはほんと蛇の道だ。
また、これはCGの所為でなく演出の所為だが、ところどころ「なぜここにこんなに尺を使う?」みたいな部分があり、CG映画特有の間延びを感じた。これは後でもう一度触れる。
■お話
お話としてはそこそこまとまっている。
が、ファンムービーとしては結構ガッカリだ。
まず、キャプテンハーロックの性格や目的が原作とは異なる(マンガともTVアニメともアニメ映画とも)。
映画なので、原作をまるっと再現する必要は無いと思うが。性格をまったく別人にしてしまうならそれは原作の意味も無い気がする。
自分はキャプテンハーロックでもっともかっこよいのは「銀河鉄道999に出てくるキャプテンハーロック」だと思っている。
これは、ある種の超然とした理想の男であり、少年のが重要な闘いに赴く時にちょっと助言したりサポートしたりする人、という立ち位置である。
本人は迷わない、苦悩しない、圧倒的に強く、圧倒的にただしい。「オヤジ。ミルクをくれ」これである。
が、本作品のハーロックは、自分のしてしまった事に対する後悔で100年ウジウジしている。
有紀螢も、松本キャラ的な性格ではなく、はすっぱなすれっ枯らしのヤンキー的だし、ヤッタランも別キャラとなっている。このあたり、映像の密度の問題(実写風になったらアニメ的なキャラは違和が出る)ので、ある程度仕方ないと思う。
しかし、ハーロックをハーロックでなくしてしまったら、それはもうハーロックじゃなくなくない?
また、脚本を、ガンダムUCの福井晴敏がやっているようだが、オチ付近でまた宇宙全域に向けて真実を放送しててゲンナリした。ああいうのは、学園モノとかで放送室使ってやる程度の規模のギミックで、宇宙規模でやるこっちゃないと思うんだ。
全体的に複数の銀河や人類が5千億とかステージがデカイ割りに登場人物やその目的がこじんまりしており、兄弟の問題は兄弟で解決してこいよ、みたいな感想がどうしても出てしまう。
地球だって半径6千kmあるような天体に感じる演出はない。
これも、2時間程度の尺でまとめることを考えれば仕方がない気もしないではないが、やはり客の立場では色々もったいなく感じてしまう。
■CG映像ゆえの気になる箇所
CG映像はイレギュラーがないため、退屈な絵になりやすいと思っている。
それを避けるため、実写と合成したり、手作業でクセをつけたりというのはよく行われる。
たとえば、物体がA地点からB地点に移動する場合、実写なら糞みたいに情報量があるし、手描きアニメなら各コマ手描きのため次の瞬間何があるかわからない。
CGだと、点Aと点Bの間を等速直線運動してしまう。カットの始まりを見た瞬間、だいたいどういう絵になるかがわかってしまう。
もちろんコレは極端な例だが。
それ以外にも、揺れる橋の上で、蛍とヤマがその振動に耐えたり落ちたりするところなどは、たとえばコレ実写だとそれなりのすごい映像になるので、ああいう尺でもマが持つと思うのだが、CGだと何もかもが作り物なので緊迫感がどうしても薄くなってしまう。これどうするべきなんでしょうね。
自分には、尺をちじめて緊迫感薄いなと感じるまえに話を先に進めてしまうとか、多重的にコトを起こして意識を1コに集中させなくするとか、そういう手法しか引き出しがない。
CGは全部計算ずくで作られた映像なので、イレギュラーも計算づくでねじこまないと、どんなに絵の密度が高くても退屈になりやすい。
そういう意味では、イレギュラーのねじ込みが足りなく感じた。
もともとアニメって様式美の表現だから、ほっとくとルーチンワークみたいな絵ばっかりになっちゃうし。
また、世界の広さがいまいち感じられないと、シナリオのほうでも突っ込んだが、絵のほうでもカメラに写る世界が少ないと思う。
CG映画だとちょっとモブシーンとか生活のシーンを作るのが大変だし、意図的に避けたのかもしれない。
しかし、そういう所が短いカットで無理にでも入っていると世界の広さを感じる。
スターウォーズで酒場にいっぱい宇宙人が居るカットとか、とても短いカットだけど、ああこういう世界ね。ってのを雄弁に語る。
ちょっと写した人物の背景に、別の情報が多層的にあると、知らないうちに物語の厚みを感じる。
そういう小技が少ない気がする。(コスト高いから、なかなか大変なのだろう)
■どうでもいいところ
国内で5億円ぐらい稼いでで、制作費にざっくり30億(マジこれ?)とのことなので、海外の評判によって随分ドキドキするデンジャラスゾーンだが、フランスやイタリアでは日本より観客動員が良かったとかwikipediaに書いてあった。
わりと日本的な、表現が多いので、海外向けにどうなのか、最終的にいくらになったのかはとても気になる。
捉えられたハーロックが鎖でつながれてるのとかわりとギャグだよね。様式美。
ただ、全体を見て、「うわっしょっぱい」みたいなチープな所はなかった。
CG映画もうまくやれば日本で作って世界を狙えるんじゃないかと感じさせてくれた。
そして、やはりシナリオだ。
日本の映画、というか創作物はどうしても私小説的に個人の能力にベッタリ頼りきりになってしまう。
そういうのも勿論有った方がいいが、ハリウッドのシナリオシステムのようにチームワークとテクニックよ観客の反応によるテストを経て、最大限ウケのいい物を作るというのも必要なのではないかと感じる。
というか、世界に向けて作るにはどうしても「弱点」になっていると思う。
カルトだなんだと言われるキャプテンスーパーマーケットですら複数のオチから全米公開用のオチが選ばれた。
宮崎駿を見ていてもそうだが、以前語った物語をまた語るのはつまらないから、それを超えるべくこねくり回して訳がわからない地平に行ったり、狭い人にしか刺さらない物語になったりする。
連載が長期化した漫画家が、なんか訳のわからない話になっちゃうみたいな感じ。
このあたりをうまくさばくシステムがあってもいいと思う。
日本におけるシナリオって映像作品でロイヤリティ収入の出る数少ないパートだから、色々とあるのだろうけども。
どうでもいい話をまとめると。
・日本のCGはヤリクチ次第で海外にもってけそうだ。
・表現とシナリオにはまだがんばらなきゃいけない余地がありそうだ。
みたいな事を、この映画は感じさせてくれましたよ。
といった感じ。
人類が他の銀河系までに広がり長い年月を経た。
しかし人類は老い、発祥の地地球への帰還を望むようになる。
5千億を超えた人口を、地球が受け止める事は不可能で、地球居住権をめぐる争い「カムホーム戦争」は激化した。
それを調停するために「ガイアサンクション」という組織をつくり、『地球は聖地として立ち入らない』というルールを定めた。
ガイアサンクションの軍人として、ハーロックはデスシャドウ号を操り、地球を守り、地球への帰郷を阻止する英雄となっていた。
それから100年。
海賊船アルカディア号のキャプテンとしてハーロックはガイアサンクションに反旗を翻していた。
それは、ガイアサンクションの欺瞞への憤りから発した自らの罪、その罪滅ぼしのための行動であった。
■CG
視聴前に想像していたより良く出来ている。
顔のモデリングは、松本零士キャラを3DCG化したらこうなるんじゃないの、ってところをとても上手く突いていて違和感が少ない。漫画的な造型とリアルっぽいテクスチャーを上手く融合している。
物語中唯一の異星人ミーメとかも、松本キャラとアバターとかのチョイキモ宇宙人を上手く混ぜてあって悪くない。
また、フェイシャルアニメも結構丁寧でいい感じであり、充分感情表現を達成している。
顔以外だとちょっと下がる。
細かいことを言えば、たとえばCGを観るたび気にしてしまう衣服の表現だが、この辺は残念ながらジャケット系の服装の肩やヒジ等に違和感がある。(クロスシムしてない)
そんなところにレンダリングパワー食わせてもしゃーないのだが、ある程度以上リアルな動画の場合、見てる方は無意識に違和感を発見しに行ってしまう。そして自分は結構気になってしまった。
逆にハードスーツ(宇宙甲冑?)などならば気にならない。
メカデザインも宇宙船、デスシャドウ号や、アルカディア号は、デザインが当時のものからちょっと離れているのだが、物語での役割を考えればまぁアリかなというアレンジだし、密度が高く画面映えということではけして悪くない。
エフェクトも気にならない。宇宙でもうもうと煙上げるエンジンて何?とかは思うがまぁそういう世界だし。
全体的に、日本産CG映画としてはかなり上のほうにくるんじゃないかなという印象。
例えばハリウッドのCG映画でも同予算帯ならば勝ってるところチラホラあるんじゃないかと。
それだけに細かいところが気になる。というか惜しい。もったいない。CGはほんと蛇の道だ。
また、これはCGの所為でなく演出の所為だが、ところどころ「なぜここにこんなに尺を使う?」みたいな部分があり、CG映画特有の間延びを感じた。これは後でもう一度触れる。
■お話
お話としてはそこそこまとまっている。
が、ファンムービーとしては結構ガッカリだ。
まず、キャプテンハーロックの性格や目的が原作とは異なる(マンガともTVアニメともアニメ映画とも)。
映画なので、原作をまるっと再現する必要は無いと思うが。性格をまったく別人にしてしまうならそれは原作の意味も無い気がする。
自分はキャプテンハーロックでもっともかっこよいのは「銀河鉄道999に出てくるキャプテンハーロック」だと思っている。
これは、ある種の超然とした理想の男であり、少年のが重要な闘いに赴く時にちょっと助言したりサポートしたりする人、という立ち位置である。
本人は迷わない、苦悩しない、圧倒的に強く、圧倒的にただしい。「オヤジ。ミルクをくれ」これである。
が、本作品のハーロックは、自分のしてしまった事に対する後悔で100年ウジウジしている。
有紀螢も、松本キャラ的な性格ではなく、はすっぱなすれっ枯らしのヤンキー的だし、ヤッタランも別キャラとなっている。このあたり、映像の密度の問題(実写風になったらアニメ的なキャラは違和が出る)ので、ある程度仕方ないと思う。
しかし、ハーロックをハーロックでなくしてしまったら、それはもうハーロックじゃなくなくない?
また、脚本を、ガンダムUCの福井晴敏がやっているようだが、オチ付近でまた宇宙全域に向けて真実を放送しててゲンナリした。ああいうのは、学園モノとかで放送室使ってやる程度の規模のギミックで、宇宙規模でやるこっちゃないと思うんだ。
全体的に複数の銀河や人類が5千億とかステージがデカイ割りに登場人物やその目的がこじんまりしており、兄弟の問題は兄弟で解決してこいよ、みたいな感想がどうしても出てしまう。
地球だって半径6千kmあるような天体に感じる演出はない。
これも、2時間程度の尺でまとめることを考えれば仕方がない気もしないではないが、やはり客の立場では色々もったいなく感じてしまう。
■CG映像ゆえの気になる箇所
CG映像はイレギュラーがないため、退屈な絵になりやすいと思っている。
それを避けるため、実写と合成したり、手作業でクセをつけたりというのはよく行われる。
たとえば、物体がA地点からB地点に移動する場合、実写なら糞みたいに情報量があるし、手描きアニメなら各コマ手描きのため次の瞬間何があるかわからない。
CGだと、点Aと点Bの間を等速直線運動してしまう。カットの始まりを見た瞬間、だいたいどういう絵になるかがわかってしまう。
もちろんコレは極端な例だが。
それ以外にも、揺れる橋の上で、蛍とヤマがその振動に耐えたり落ちたりするところなどは、たとえばコレ実写だとそれなりのすごい映像になるので、ああいう尺でもマが持つと思うのだが、CGだと何もかもが作り物なので緊迫感がどうしても薄くなってしまう。これどうするべきなんでしょうね。
自分には、尺をちじめて緊迫感薄いなと感じるまえに話を先に進めてしまうとか、多重的にコトを起こして意識を1コに集中させなくするとか、そういう手法しか引き出しがない。
CGは全部計算ずくで作られた映像なので、イレギュラーも計算づくでねじこまないと、どんなに絵の密度が高くても退屈になりやすい。
そういう意味では、イレギュラーのねじ込みが足りなく感じた。
もともとアニメって様式美の表現だから、ほっとくとルーチンワークみたいな絵ばっかりになっちゃうし。
また、世界の広さがいまいち感じられないと、シナリオのほうでも突っ込んだが、絵のほうでもカメラに写る世界が少ないと思う。
CG映画だとちょっとモブシーンとか生活のシーンを作るのが大変だし、意図的に避けたのかもしれない。
しかし、そういう所が短いカットで無理にでも入っていると世界の広さを感じる。
スターウォーズで酒場にいっぱい宇宙人が居るカットとか、とても短いカットだけど、ああこういう世界ね。ってのを雄弁に語る。
ちょっと写した人物の背景に、別の情報が多層的にあると、知らないうちに物語の厚みを感じる。
そういう小技が少ない気がする。(コスト高いから、なかなか大変なのだろう)
■どうでもいいところ
国内で5億円ぐらい稼いでで、制作費にざっくり30億(マジこれ?)とのことなので、海外の評判によって随分ドキドキするデンジャラスゾーンだが、フランスやイタリアでは日本より観客動員が良かったとかwikipediaに書いてあった。
わりと日本的な、表現が多いので、海外向けにどうなのか、最終的にいくらになったのかはとても気になる。
捉えられたハーロックが鎖でつながれてるのとかわりとギャグだよね。様式美。
ただ、全体を見て、「うわっしょっぱい」みたいなチープな所はなかった。
CG映画もうまくやれば日本で作って世界を狙えるんじゃないかと感じさせてくれた。
そして、やはりシナリオだ。
日本の映画、というか創作物はどうしても私小説的に個人の能力にベッタリ頼りきりになってしまう。
そういうのも勿論有った方がいいが、ハリウッドのシナリオシステムのようにチームワークとテクニックよ観客の反応によるテストを経て、最大限ウケのいい物を作るというのも必要なのではないかと感じる。
というか、世界に向けて作るにはどうしても「弱点」になっていると思う。
カルトだなんだと言われるキャプテンスーパーマーケットですら複数のオチから全米公開用のオチが選ばれた。
宮崎駿を見ていてもそうだが、以前語った物語をまた語るのはつまらないから、それを超えるべくこねくり回して訳がわからない地平に行ったり、狭い人にしか刺さらない物語になったりする。
連載が長期化した漫画家が、なんか訳のわからない話になっちゃうみたいな感じ。
このあたりをうまくさばくシステムがあってもいいと思う。
日本におけるシナリオって映像作品でロイヤリティ収入の出る数少ないパートだから、色々とあるのだろうけども。
どうでもいい話をまとめると。
・日本のCGはヤリクチ次第で海外にもってけそうだ。
・表現とシナリオにはまだがんばらなきゃいけない余地がありそうだ。
みたいな事を、この映画は感じさせてくれましたよ。
といった感じ。
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