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俺と使い魔の学園生活っ! 作者:夜光鈴

第三章 3編 【夏合宿】

夏祭り

こちらふりすく(pixiv id=4119392)様とのコラボ短編となっております。

本編とはかなり作風が違う上、長いのでご注意ください。


異なる世界に住まう少女たちのひと夏の思い出。
お楽しみいただければ幸いです
 魔物と人が共存する世界。

 魔物を従え、共に生きるテイマーの候補生として学校に通う青年、杉原圭一とその相棒、ユイは暑い部屋の中で暇を持て余していた。ユイは人間の少女とよく似た姿をしているが、その正体は氷の力を持つ狼である。

「今日も暑いな…」

「……」

 窓からは燦々と陽の光が降り注ぎ、外では蝉の大合唱が青空を彩る。
 人間である圭一はふうとため息をついて汗ばんだ額を拭い、ちらりと部屋の隅に目を向けた。


「……ユイ、おいで」

 部屋の隅で圭一のジャケットを布団がわりに寝そべっていたユイはピクリと耳を動かし、心底嫌そうな顔でじっと圭一を見つめた。白く柔らかな毛並みが、ぴりぴりと拒絶的なオーラを放つ。

「……放っておいてください。どうせまた暑いからと言って私をこねくり回すつもりでしょう」

 ユイはぷいと顔を逸らし、圭一のジャケットに擦りつく。ジャケットは既に毛だらけだ。
 圭一は手で首元を仰ぎつつ、やれやれと肩を落とした。

「そんなこと言うなよ。ほら、おいで。少しだけで良いから」

 しぶしぶといった具合で起き上がって這い寄ってきたユイを抱き上げ、圭一は膝の上に座らせる。

 ユイは特性として冷気を身に纏っているため、体全体が常にひんやりと冷たい。冷房が無いこの世界において、冷気を持つ魔物は夏の時期にとても重宝されるのである。

 狼であるユイの尻尾は圭一の手の動きに合わせて形を変え、光を反射して光り輝くような美しい尻尾だ。その感触は指先を優しく包むように柔らかく、とても冷たい。暑い夏場にはさぞかし心地よいことだろう。手のひらから伝わってくる冷たく心地よい感触に、圭一は目を細める。

 敏感である尻尾をクッション代わりに弄ばれ、ユイはどこか神妙な顔をして圭一を見つめるばかりだ。

「あ、あんまり……触らないでください」

「いいじゃないか。減るもんじゃないし」

「そういう問題じゃなくて……それに、毛並みが……」

「なら後でブラシでもかけてやるさ」

 圭一はユイの小さな体をひょいと抱き上げ、そのまま抱きしめてベッドに身を投げ感嘆の息を漏らす。

「やっぱり冷たくて気持ちいいなぁ……このまま昼寝でもするか」

「や、やめてくださ……」

 ユイと圭一では体格差がかなりあるため、ユイの体は圭一の腕の中にすっぽりと収まってしまう。多少もがいたところで、脱出できるはずもない。さらに狼であるユイは優れた嗅覚を持っているため、圭一からにじみ出る汗の混じった男性特有の臭いを嫌でも感じ取ってしまうのだ。いい迷惑である。

 とはいえ、非力なユイの体では自力で逃げることは出来ない。ユイは今にも泣き出しそうな顔で半ば諦めたように身を委ねた。顔を逸らし、全身の力を抜いて横たわる。その姿はさながら無抵抗な人形のようである。

 圭一にとってはもはや恒例となりつつある光景だが、仮にも学園生活を共にする相棒だ。
 流石に心を痛めたらしい圭一は再びため息をつき、ユイの頭をそっと撫でた。

「分かったよ。ごめんな、もう弄らないから」

「……」

「何か食いに行くか? 今日は東の街で祭りがあるらしいぞ」

 『祭り』
 その一言にぴくりと反応したユイは真っ赤な瞳で圭一を見つめた。

「聞いた話だと、和の国でやってる神さまに感謝する祭りを模したもので、えぇと……確か、狐がどうとかって……まぁ、面白そうな祭りだろ。出店も出るらしいんだ」

「……」

「お前の好きなえび団子も売ってるかもしれない。いやたくさん売ってるだろうな」

「!」

 むくりと体を起こしたユイはベッドの上でぺたんと座ってじっと圭一を見つめる。
 その口は少し開き、上目がちな瞳はきらきらと輝いている。圭一は思わず噴き出した。

「分かった分かった、連れてってやるよ」

「……」

 ユイはこくりと頷くとベッドから飛び降り、手早く服の乱れを直してドアの前に座り込んだ。

「そんなに急がなくても祭りは逃げないさ」

 圭一はやれやれとため息を付きつつ立ち上がり、クローゼットに手をかける。

「東の街で使える通貨があったはず……えっと、確かここに……」

「早く行かなきゃ、私のえび団子が売り切れてしまうかもしれないじゃないですか」

「売り切れやしないよ。それに東の街には歩いていくしかないんだ。こんな昼間から行ったら倒れちまうよ」

 圭一はケラケラと笑いながら服を着替え、棚から取り出した財布をポケットに押し込む。
 ユイはドアの前でむっとした表情を浮かべながら床を足でパタパタと踏みつけた。

「早く行くに越したことはないのです。さっそく行きましょう。早くっ」

「お前……えび団子食いたいだけだろ」











 炎天下の元を歩いて数十分ほど経った頃だろうか。
 先に音を上げたのは圭一であった。

「あっっっつい……なぁ、ユイ……ちょっと、休憩しないか」

 結局、根負けして灼熱の炎天下の元、東の町へ向かった二人であったがやはり暑いものは暑いのだ。
 圭一はじりじりと照りつける太陽を憎らしげに睨み付ける。

「何言ってるんですか。美味しそうな匂いはもうすぐですよ」

「どこがもうすぐなんだよ……俺、もう歩けな……」

 汗だくの額を手で拭いながら息を切らす圭一が膝に手をついて俯く。
 きらきらと輝く冷たい風に包まれているユイは涼しい顔で圭一を睨み、むっとした表情を浮かべた。

 無尽蔵の体力と冷気を持つユイとは違い、圭一はごく普通の人間なのだ。

 炎天下の元歩き続ければ体力も尽きてしまう。とはいえ祭りの会場まで行くためには徒歩以外に方法は無い。冷たいからと言ってユイを抱いて歩くわけにもいかない。圭一はその場のノリと勢いでユイを連れ出したことを、早くも後悔し始めていた。

 道中何度かユイを抱いたり撫でまわしたりして涼を取ってはいたが、流石に限界である。
 何より、ユイは汗ばんだ手で触られることをひどく嫌がる。そう何度も触らせてくれるはずもない。

 ぜぇぜぇと息を切らし、滴る汗を拭うことすら気怠くなってしまった圭一は、ふらりと近くの岩に寄りかかり、燦々と大地を照らす太陽を睨んだ。岩は熱せられて火傷しそうなほどであったが、そんなことはもはや気にならなかった。

 圭一とユイが立っているのは小高い丘の上。
 丘の向こうにはそれなりに大きな街並みが見える。目的地にして祭り会場である東の町『ベルゼ』だ。

 いまだ遠くに見える町並み。その壁に囲まれた街の中には、真っ赤な提灯が見えた。そして風に乗り漂ってくる微かな煙の匂い。ユイはくるっと身を翻し、岩に寄り掛かる圭一の手をぐいぐいと引いた。

「赤い提灯が見えます。微かですが良い匂いもします。祭りはもう始まっているんですよ! もうちょっとなんだから頑張ってくださいぃ」

「少し休ませてくれよ……ちょ、おい引っ張るな勘弁してくれ」

「……もう!」

 ユイは腰に手を当ててため息をつき、細くしなやかな指をぴっと払った。

 指先から生まれた青白い光がみるみる大きな雪花となり、圭一が寄りかかる岩ごとすっぽりと覆い隠す大きな氷のドームとなった。厚い氷のドームは降り注ぐ日差しを遮り、内部に冷気を満たしてくれる。圭一は安堵のため息と共にぐったりとその場に崩れ落ちた。

 ユイは氷に包まれた岩を背もたれに座り込む圭一の傍に佇み、小さな両手に冷水を満たした。

「どうしてこんなところでへばっちゃうんですか。ヘタレですか。しっかりしてくださいっ」

 ユイはそのまま手腕に満たした冷水を圭一の顔めがけて叩き付け、冷たい手で圭一の頬をべちんと挟み込み、ついでに凍てつく吐息をふうと吹きかけた。普段なら凍えるような冷気の連続であるが、この炎天下の元で熱を帯びた体を冷やすには丁度良かった。

「……助かったよ。ありがとな、ユイ」

「この日差しじゃそう長くは持ちません。息を整えたらすぐ行きますよ」

 ユイはぷいと顔を逸らし、冷たい吐息を漏らしながら自慢の尻尾を整え始めた。

 そうこうしている間にも氷のドームは照りつける日差しによって徐々に削られてゆく。
 圭一はユイの柔らかな髪を優しく撫で、ポケットの財布から紙幣を取り出した。

「俺はもう少し休んでから行くから、先に行ってろ」

 圭一はにっと笑ってそう言うとユイに紙幣を握らせ、その肩をぽんと叩く。
 ユイは初めて手にした紙幣をまじまじと見つめ、首をかしげた。

「東の町で使える紙幣だ。持って行け」

「……私が、好きに使っていいのですか」

「おう。えび団子でも何でも好きに買って向こうで待っててくれ。待ち合わせは……そうだな。東の街中央の時計塔でいいか」

「…………わかりました」

 ユイは紙幣をぎゅっと握りしめ、こくりと頷く。
 そして圭一と紙幣を交互にちらちらと気にしつつ東の街を目指し歩き出す。

「……すぐ来てくださいね」

「わかってるよ」

 数歩歩くごとに振り返って少し心配そうな、それでいて寂しげな表情を浮かべるユイを見送り、圭一は空っぽになった財布をポケットに押し込んだ。冷たい壁に背中を預け、ふうとため息をつく。

 汗交じりの冷水が、ぽたりと滴った。





「……そういや、アサギも来るって言ってたような……ま、いいか」












 輝く風と共に、緑豊かな丘を駆ける白い影。

 白く美しい毛並みが光を反射し眩しいほどに輝きを放つ。
 照りつける日差しの元を何食わぬ顔で颯爽と駆け抜けるその姿は、どこか凛として美しい。

 岩を飛び越え、木々を足場にまた別の木々へ飛び移る。紅く光る瞳は虚空に真っ赤な尾を引いた。
 青々と草が生い茂る地面を蹴り、野犬の群れすらもその脚を止めるほどの気迫が丘を駆け抜けてゆく。

 東の街はもう、すぐそこだ。ユイは無意識のうちに緩む頬をぺちんと叩いた。

 そしてあっという間に街の外壁までたどり着いたユイは、壁の向こうから漂ってくる煙と雑踏と食べ物の入り混じった独特な匂いと、太鼓や笛をかき鳴らす祭囃子に目を細めた。やはり無意識のうちに頬が緩んでしまう。

 街の外周は二層の柵に囲まれており、外部から来たものは内門から入らなくてはならない。

 ユイの脚力ならば柵を越え、内門すらも飛び越えて街に侵入することは容易である。
 だが街を訪れた理由は侵略ではない。観光だ。騒ぎを起こせば厄介になるとユイは考えた。

 見渡す限り外側の柵から中に入る入り口は見当たらない。ユイは外側の柵を軽々と飛び越え、堀に溜まる水の上に着地して辺りを見渡す。ユイが触れると液体はすぐに凍り付いてしまう。それ故にユイは水の上に着地しても沈むことが無いのだ。

 すぐそばに、街の中へ入るための内門があった。内門の傍らには鎧を着込んだ男性が立っている。ユイは徐々に白く凍り付いてゆく堀の水の上を滑るように移動し、内門の傍らに立つ男性の元へ駆け寄った。

「魔物か……わざわざ内門に来るなんて珍しいな。大抵は軽々飛び越えていくのに」

「ここで祭りをやっていると聞きました。中に入れてください」

「客人を引き止める理由は無い。好きに通れ」

 俺も行きてえな、と小さく呟いた男性の横を駆け抜け、立派な門を開け放つ。

 賑やかな祭囃子と雑踏。そして嗅ぎ切れぬほど沢山の匂いが、ユイを包み込むように襲い掛かる。
 ユイは大通りを行き交う人の波を縫うように進み、するすると近場の建物によじ登った。

 ベルゼは主に石を建材とした落ち着いた色合いの綺麗な街だ。
 建物の高さは決められているため、建物の屋根に登れば一面に広がる屋根の絨毯が出迎えてくれる。

 そんな街並みで唯一背の高い時計塔はこの街のシンボルである。
 ユイは時計塔の方角を確認し、ぴょいと建物から飛び降りた。

 この日ばかりは大通りでの獣や機械に乗っての移動が禁じられ、街の住民は自分の脚で歩き、大通りの両側に立ち並ぶ出店を覗くのだ。ユイは本来食事を取る必要のない魔物であるが、四方から漂ってくる香ばしくいい匂いに目を細め、本来知るはずのない空腹という感情に身を委ねていた。

 雑踏を避けつつ大通りを歩くだけで、行き交う人々と煙、そして美味しそうな焼き物や甘い匂いが入り混じり津波のように押し寄せてくる。優れた嗅覚を持つユイは人間より遥かに多くの匂いを嗅ぎ分けることが出来る。それ故に、ユイは混乱で目を回しかけていた。



――カラン、コロン



 ふと、足音が聞こえた。
 ユイの耳がぴくりと揺れ動く。雑踏の中で輝く銀色の髪が風に揺れる。

 一人の少女が、ユイの傍を通り過ぎた。
 すれ違ったその一瞬。ユイの鼻を掠めたのは嗅いだ事のない匂いであった。

 大通りを行き交う人々とは違う、何か不思議な気配。

 ユイは思わずその歩みを止め、少女をじっと見つめた。少し寝癖のかかった銀色の長い髪。ふらふらとどこか不安げな足取り。頭の上にぶち柄の猫を乗せた少女は人ごみをかき分けて……いや、半ば人ごみに流されるように大通りを進んでゆく。

 やがて少女が雑踏に消えた後も、ユイは少女がいた方向をじっと見つめていた。


 しかし、少女が履いていたのは普通の靴だ。カラコロと鳴るはずもない。


 柔らかな尻尾が、ぱたりと揺れる。
 ユイは真っ赤な瞳を瞬かせ、はてと首をかしげた。












「一つ、ください……」


 銀髪の少女が、屋台の男性に声を掛ける。
 屋台では焼いた肉らしき物を串刺しにしたものが並べられている。

「らっしゃい。一本100(ゴルド)だよ」

 並ぶ客を手早く捌きながら男性はにっと笑って串を一本手に取り、少女に手渡す
 代わりに少女が差し出したのは、男性にとっては見慣れない銀色の硬貨。

「おいおいお嬢ちゃん、余所のコイン出されても困るぜ。きちんと役所で換金してもらってから来な」

 銀色の硬貨をぽいと投げ返し、男性は鉄板で肉らしきものを炒め始める

「役所は時計塔の二階にある。観光ならまずあそこに行けって門番に言われなかったのかい」

「え……?」

「この街じゃ余所のコインは使えないのさ。その一本はサービスにしといてやるよ」

「え、あ……ご、ごめんなさい……」

 雑踏に押され、少女はぺこりと頭を下げて逃げるようにその場を後にする。
 そのまま大通りの人ごみを抜け、気が付くと薄暗い路地裏に入り込んでいた少女は辺りを見渡し、はぁとため息をついた。

 少女の名は代々木 瑠里。
 なぜここに居るのか。それは彼女自身もよくわかっていない。

 友人と姉と共に夏祭りへやってきたはずが、人ごみで逸れ、そのまま人の波に流されるうちに気が付けば瑠里は一人、見知らぬ街に佇んでいた。そして今に至るというわけである。


 賑やかな大通りとは逆に、しんと静まり返った路地裏。
 耳を澄ませば、大通りを行き交う人々の声や祭囃子が聞こえる。


「ここ、どこだろ……」


 陽の光すら差し込まない路地裏は薄暗く、じめっとした重苦しい雰囲気に包まれていた。
 ゴミが散乱したりしているわけではないが、あまり長居したいとも思わない。そんな場所である。

 もちろん、瑠里はこんな場所に心当たりはない。
 行かされたことは無くもないが、自分からこのような場所に足を踏み入れるのは初めてだ。

「携帯の電波も入らない……また、『あの人』に変な世界に飛ばされちゃったのかな……」

 瑠里は石で出来た階段に座り込み、サービスとして受け取った焼き鳥らしきものを頬張る。
 味は普通に美味である。が、何の部位かよくわからない……何かの肉。瑠里はゆっくりと噛みしめ、脳裏に浮かぶもやもやとした疑問ごと喉の奥へと流し込んだ。

「(変な動物のお肉だったらどうしよう……)」

 そんなことをぼんやりと考えながら、薄暗い路地裏の闇を見つめる。
 すると、瑠里の頭の上に引っ付いていた猫がぴょいと飛び降り、にゃあと声を上げた。

「……どうしたの? つくね」

「にゃあ」

「(お腹空いてるのかな……何か、買ってきてあげないと……)」

 串を片手に首を傾げる瑠里を尻目に、つくねと呼ばれた猫はスタスタと歩き始める。
 明るい大通りの方ではない。暗い路地裏の奥へ向かっている。

 鼠でも居たのだろうか。瑠里は慌てて立ち上がり、つくねの後を追うように歩き始めた。

「だめだよ、あんまりそっちに行っちゃ……」

 瑠里が呼びかけるが、つくねはちらりと振り返るだけで歩みを止めようとしない。
 そのまま、つくねは曲がり角の先へと消えてしまった。



「にゃー」

「猫? ふん、あっち行きなさいよ」


 曲がり角の先で、つくねと少女の声がした。

 少し遅れて追いついた瑠里がそっと覗きこむと、つくねは黒髪の少女の傍に佇んでしきりに声を上げていた。黒を基調とした制服をその身に纏い、黒いショートヘアから飛び出た触角のようなアホ毛を持つ気の強そうな女の子である。その両手には焼き魚や飴、串カツなどの屋台で買ったであろう食べ物を持っていた。

「寄ってきたって何もあげないわよ。野良ネコに餌あげちゃダメだってパパに言われたんだから」

「にゃあ」

「あげないって言ってるでしょ! 余所行きなさいよ」

 少女は長いアホ毛をぴろぴろと揺らしながら手にした食べ物を頬張る。

 出るタイミングを失った瑠里は曲がり角の陰からそっとその様子を見ていたが、内心つくねが蹴られでもしないかという心配でいっぱいだった。しかし少女はつくねに乱暴するどころか持っていた串を咥えて長いアホ毛を揺らしながらその場に屈み、そっとつくねに手を伸ばした。

――しかし、

「シャー!」

「っ……な、何よ!」

 つくねは少女に牙を剥いたのだ。

 牙を剥き威嚇するつくねを噛みつくような視線で睨む少女。ぐねぐねと動くアホ毛は稲妻のように尖った形を成していた。青い目に光を宿し、歯噛みするその口元からは黒い煙が漏れ出し、行き場を失った手は虚空を引っ掻くばかり。

「(どうしてあの髪、動いてるんだろう……)」

 そんなことをぼんやりと考えながら、瑠里は少女の様子をじっと伺っていた。

 その子は私の猫ですと言って飛び出していくという発想は無かった。少女は確かに怒っているような雰囲気ではあるが、怒り狂っても相手はただの猫。無暗に危害を加えるようには見えなかったのだ。

 それに、少女は未遂ではあるが確かにつくねに触れようとした。あわよくば愛でようとしたのである。
 そもそも猫が嫌いならそんなことをするはずがない。

 ……きっとあの子は、優しい子なんだ。

 そんなことを、瑠里はぼんやりと察していた。

「ちょ、ちょっと大人しくしなさいよ! 少しくらい触らせてくれてもいいでしょ? ねぇ」

「シャー!」

 そっと捕まえようとする少女の手をするりと躱し、つくねは牙を剥く。
 少女は咥えていた串をベキンと噛み潰し、その身にゆらりと黒い煙を纏い始めた。

 薄暗い路地裏に佇む街灯に青い焔が入り、建物の壁に異質なシルエットが浮かび上がる。
 半透明の大きく薄い翅を広げ、一本の長く鋭く尖った触角を揺らし、何本もの足で体を支える平べったい甲虫のようなもの。瑠里の目にはそんな形容しがたいモノが見えた。

 瑠里は驚き、そしてすぐに首を傾げた。


 影が一つ、多いのだ。


 瑠里が身を隠す曲がり角から見える路地裏の壁には、猫であるつくねの影と翅を広げた甲虫の影。そして甲虫の背後から忍び寄り、静かに刃を構える人影が見えたのである。獣のような三角の耳と、柔らかな尻尾のような形が確認できる。どこか女性らしい丸みを帯びたその姿は、髪の長い女性に見えた。

 しかし路地裏にはつくねと少女が一人いるだけ。女性の姿はどこにもないのだ。
 よく見ると、つくねの視線は少女ではなく、その背後に向けられているような気がした。

 瑠里が状況把握に手間取っている間にも、女性の影はゆっくりと距離を詰め、そして……



――――鋭い刃を、高く振り上げた。



「あ……っ」


 思わず、瑠里の口から声が漏れる。
 刹那。バッと振り返った少女が立っていたまさにその場所に、音もなく亀裂が入った。

「!?」

 自分のすぐそばに生まれた亀裂と、角から様子を伺っていた瑠里の両方に驚き、少女は近くにあった木箱の陰に飛び込んでそのまま暗闇に姿を消した。残されたつくねは虚空をじっと睨みながら瑠里の元へと歩み寄る。

 瑠里はつくねをしっかりと抱きかかえ、すぐにでもその場を後にしようと踵を返した。
 直接的な身の危険を感じたわけではない。だがこの路地裏に長居するべきではないと察したのだ。


「―-待ってください」

「!」

 瑠里を呼び止めたのは、どこか凛としていて冷たく響く女性の声。

 音を立てて背後から吹き抜ける冷たい風。
 瑠里は背後に凍てつくような気配を感じ、つくねを抱いたままその場に立ち尽くしてしまった。

 ひた、ひたと冷たい石造りの地面を裸足で歩いているような足音が近づいてくる。

 瑠里の脳裏に浮かぶのは、路地裏の壁に映った女性の影。
 鋭い刃を振り上げたあのシルエットが、脳裏に焼き付いて離れない。

 嫌な冷や汗が、瑠里の頬を伝った。


「……大丈夫ですか?」


 強張る瑠里の背中をぽんと叩く小さな手。
 瑠里の背後からひょっこりと顔を覗かせたのは、白狼の少女・ユイである。

 その声はどこか冷たく響く声ではなく、透き通るような甘い声。
 ユイの姿は凛とした女性の姿ではなく、幼い少女そのものだった。

「……?」

「?」

 瑠里はただ首を傾げながらユイを見つめる。
 ユイも瑠里に合わせて首を傾け、二人の間で数秒間の沈黙が流れた。

「えっと、君は……?」

「私は通りすがりの狼です。暗闇に住む魔物は多いので少し気を付けたほうがいいですよ」

 ユイはぷいと顔を逸らして腰に添えた小太刀を握る。
 ふわりと柔らかな尻尾が揺れた。

 ユイに向かって牙を剥くつくねを撫でながら、瑠里はユイの姿をまじまじと見つめる。

 人間には付いているはずのない獣の耳と尻尾。狼や犬のそれと近い形をしたそれは飾りではなく、血の通った体の一部である。瑠里の目の前でゆらゆらと揺れ動く尻尾。薄暗い路地裏でも僅かな光を反射しきらきらと輝くその美しい毛並みに、瑠里は無意識のうちに手を伸ばしていた。


「!」

 ひんやりと冷たい細く柔らかな毛が、手のひらから指先を優しく包みこむ。
 蒸し暑い季節には堪らないその極上の感触に、瑠里が感嘆の息を漏らしかけたその時、顔を真っ赤にしたユイがバッと振り返ってぎゅうと尻尾を抱き寄せつつ、神妙な表情で瑠璃を見つめた。

「なっ……な、何するんですか! いきなり触らないでくださいっ」

「ぁ……ごめんなさい……つい…………」

 しゅんと俯く瑠里に対し頭一つと半分ほど身長が低いユイは、俯く瑠里を下から見上げるような形で顔を覗き込み、むっとした表情を浮かべた。瑠里の青い瞳とユイの真っ赤な瞳が視線を交わし、じっと見つめ合う。

「――尻尾くらい触らせてやりなさいよ。ケチ」

 どこかとげのある声と共に、黒髪の少女がにゅっと顔を出した。
 瑠里とユイが立っているすぐ横の物陰から顔を出した少女がむくれた顔でユイを睨む。長いアホ毛は相変わらずぴろぴろと揺れ動いていた。

「影打ちなんて卑怯なことしてくれるじゃない。絶対許さないんだからぁ」

「貴方は黙っていてください」

 黒髪の少女に目もくれず吐き捨てるように呟いたユイは、どこからか取り出した数本のつららを少女めがけて投げつける。しかしその鋭く尖った切っ先は少女の柔肌を貫く前に青い焔と消えた。

「このアサギ様にそんなの効くと思ってるわけ?」

 黒髪の少女・アサギはふんと得意げな表情を浮かべ、お返しと言わんばかりに暗闇から黒い刃を放つ。
 黒い刃はアサギの手から放たれた途端に凍りつき、その勢いのまま砕け散ってユイと瑠里の周りにぱらぱらと散らばった。ユイは横目でじろりとアサギを睨みつけ、はぁと嫌気に満ちた息を吐く。

 アサギはユイの嫌そうな顔を見て、逆に楽しげな表情を浮かべた。

「珍しく人間に興味持っちゃって。どうしたわけ?っていうか圭一はどこ行ったのよ」

「猫にすら触れない昆虫は黙っていてください」

「不意打ちで私を切ろうとした臆病者に言われたくないわ」

「じゃあ、気配に気づきすらしなかった貴方は臆病者以下ということで」


 瑠里の目の前で、突如火花が散った。
 凍てつくような風と黒く淀んだ魔力がぶつかり合い、音もなく虚空に消えてゆく。


「毛皮と剥製ならどっちがいい? 選ばせてあげるわ」
「虫けら風情が何を偉そうに……」


 何が起こったのかはよくわからない。

 だが目の前で二人がお互いに何かをし、尚且つ二人とも無傷であるということをぼんやりと理解した瑠里はとりあえず距離を取り、つくねと共にこそこそと木箱の影に隠れ、その場に座り込んだ。

 するとその様子に気づいたユイが生み出した氷塊でアサギを建物の壁ごと強引に押しつぶし、幾重にも氷塊を叩き付けてアサギを無理やり沈黙させ、とどめと言わんばかりに小太刀を振り抜く。重なる衝撃と斬撃に建物の壁は崩壊し、氷塊と瓦礫の入り混じる残骸が轟音と共に路地裏に散らばった。

 瓦礫の中からはみ出し、ピクピクと動く巨大な蟲の脚が一本。ユイはその黒々とした脚を易々と蹴り飛ばし、ふうとため息をついてくるりと振り返った。

 目の前で起こった惨劇に瑠里は状況を飲み込めず、呆然と路地裏を見つめている。

 音もなく瑠里との距離を詰めたユイは牙を剥いて威嚇するつくねを気にすることもなく、ぐっと顔を近づける。ひんやりと冷たい空気が、瑠里の頬を撫でた。

「……?」

「……」

 その距離およそ20㎝。互いの吐息が届くほどの距離である。瑠里は状況が理解できずにただ目の前の愛らしくもどこか凛としたユイの顔を見つめるばかり。ユイはじぃっと瑠里を見つめたまま静かに匂いを嗅ぎ、そしてふむと小さく声を漏らした。

「……やはり、妙な匂いがします」

「え……?」

「人間とは違う。魔物でも、精霊でも、神族でもない。貴方は何者ですか」

 ユイは少し疎ましげな表情を浮かべながら、瑠里を見つめる。
 その表情に満ちる感情は嫌悪感ではなく、どこか好奇心に溢れたものであった。

「私は、普通の人間だよ……?」

「さては異国から来た放浪者ですか。なるほど……これが異国の香り……」

 木箱の影から立ち上がった瑠里の周りをうろうろと移動しながらその全身をまじまじと見つめ、静かにその匂いを嗅ぐユイ。瑠里はそんなユイをどう扱ってよいものか分からず、ただその動きを目で追いながら立ち尽くすばかり。やがて満足したらしいユイは瑠里の正面で平らな胸を張り、ふむと息を漏らした。

「貴方はそれほど害のある存在ではないようですね。私が安全なところまで連れていってあげますよ」

 じっと瑠里の瞳を見つめながら、ぴっと小さな手を差し出すユイ。
 その表情は手を取れと無言でアピールしているような気がした。

「あ、ありがとう……」

 体格的に立場が逆であるような気もするが、瑠里は特に口出しをするわけでもなく、ユイのひんやりと冷たい小さな手を取った。









「遅いな……」

 ぽつりとつぶやいた圭一が、はあとため息をつく。

 休息を終え、待ち合わせ場所である時計塔前の階段にやってきた圭一であったが、そこに相棒の姿は無い。圭一は階段に腰かけ、やれやれと肩を落とす。
 ユイは待ち合わせを忘れるような奴ではない。待っていればそのうち姿を現すはずだ。

 圭一は待ち合わせ時刻を指定しなかった自分に行き場のない怒りをぶつけていた。

 良い匂いが風に乗って漂ってくる。
 しかしユイに渡した紙幣が圭一の全財産である。出店で何かを買うことも出来ない。

 炎天下の元歩き続けた圭一の体は疲れと空腹を訴えていた。

「はぁ……」

 退屈と空腹を持て余した圭一は階段に座り、大通りを行き交う雑踏を眺める。
 すると、道の向こうから物凄い勢いで駆けてくる人影が見えた。

「――っ! ――っ!!」

 大声で何かを呼びかけながら、雑踏を吹き飛ばすような勢いで道を駆ける人影。
 大通りを埋め尽くす雑踏は迫りくる猛牛のような気迫に驚き、慌てて道を開ける。



「――瑠里ぃぃぃぃぃいいいいい!! どこだぁぁあああああっっ!!」



 ……誰かの名前だろうか。大声でそんなことを叫びながら駆けて行ったのは女性である。
 どう考えても常人並みのスピードではない。

 残像を残すような速度で駆け抜ける女性の影。一瞬遅れて轟音と共に砂埃が舞い上がる。

 大通りに溢れる雑踏は呆然と立ち尽くしたまま、駆けてゆく女性の後ろ姿を見つめている。圭一も思わず立ち上がり、女性の行く先を見つめた。女性はあっという間に大通りを駆け抜け、見えなくなってしまった。

 道を開け損ねた人は腰を抜かし、その場にへたりと座り込むほどである。

 女性は道を一直線に走っているわけではなく、道を開け損ねた人々を避けながらあの速度を維持しているのだ。しかも誰かを探しているような様子だった。恐らく、雑踏の中にもきちんと目を通しているはずだ。


 あれは一体何者なのか。圭一は乾いた笑い声と共にその場に座り込んだ。


 そんな圭一の目の前を歩いてゆく少女が一人。
 濛々と立ち込める砂埃の中でも決して濁らず光り輝くような和服を身に纏う少女である。狐のお面で顔を隠し、その手には真っ赤な番傘。下駄を履いた足がカラコロと音を立てた。

 その腰元からは、いくつもの尻尾が柔らかく揺れている。

 少女は少し楽しげに身を揺らしながら、軽やかな足取りで混乱に満ちた大通りを歩いてゆく。


 魔物を見慣れている圭一は少女のことなど気にも留めず、未だ姿を現さない相棒の姿を探し始めた。




 ――東の街『ベルゼ』は和の国ではない。
 和服を着た魔物が街を歩いているという事自体が、既に不可思議であると言えるだが……


 圭一がその事に気付くのは、もう少し後の話である。









「……?」

 ふと、瑠里が立ち止まる。ユイは首を傾げた。

「どうしたのですか。いきなり立ち止まって」

「今、お姉ちゃんの声が……」

 大通りに出た二人は逸れないようにしっかりと手を繋ぎながら歩いていた。
 立ち止まった瑠里はきょろきょろと辺りを見渡すが、道を行き交う雑踏に姉の姿は無い。

 優れた聴覚を持つユイの耳には常に雑踏の足音や話し声、食べ物を炒める音や油の跳ねる音が届いている。津波の如く押し寄せる音の波の中に、親愛なる妹を探して街を駆け回る女性の声も微かに捉えていた。だが、その声が瑠里を探しているものだということに気づいていないのだ。

 しかし女性の声は遠く、ユイの聴覚でさえぼんやりと聞き取れるほどである。人間である瑠里の耳に届くはずがない。

「……貴方は、連れがいたのですね」

「うん……放送部の皆と、お姉ちゃんと一緒に夏祭りに来たんだけど、人ごみで逸れちゃったみたいで。気が付いたら私、こんなところに……」

「ほー、そう……ぶ?」

「あぁ、えっと、友達。だよ……うん」

「とにかく連れがいるなら話は早いのです。目立つ場所にいればそのうち合流できるでしょう。私も中央の時計塔に用がありますし……とりあえず何か食べましょうか」

 ぱたぱたと尻尾を振りながらユイは道に並ぶ屋台を覗き込む。
 肉や魚を焼いて串刺しにしたものや、餡を挟んで焼き上げたお菓子、綺麗な飴など様々な物が立ち並ぶ中、ユイはとある出店の前でぴたりと足を止めた。

 出店には、『えび団子』の文字。店先にはたった今揚がったところであろうえび団子がサクサクの衣を纏って輝いていた。ユイはこぼれかけた涎を拭い、手にした紙幣をぐっと店番の女性に差し出す。

「ひとつ、くださいっ」

「……いらっしゃいませ」

 差し出すと同時に、ユイの表情が凍りついた。
 ユイの後ろに立つ瑠里はきょとんと首を傾げる。店番の女性がにこりと優しい微笑みを浮かべた。

 深い海色の髪を三つ編みに結んだ柔和な女性である。その優しげな瞳は青く澄んでいた。

「杉原君と一緒じゃないなんて珍しいですねぇ、ユイさん。おつかいですか?」

「どうして貴方がここにいるんですか」

「ちょっとしたお手伝いですよ。それにしても……今日はずいぶんと珍しいお客様を連れていますね」

 女性はユイの後ろできょとんとしたままの瑠里を見つめ、くすくすと微笑む。

「……?」

「申し遅れました。私、暁と申します。以後お見知りおきを……()()さん」

「…………どうして、私の名前……」

「長生きの秘訣は、細かいことを気にしないことです。そうだ、お稲荷でもいかが?」

 などと言いながら女性がどこからか取り出したお稲荷。笹の葉でくるまれたそれを勢いのままに受け取ってしまった瑠里は少しあたふたと辺りを見渡した後、ぺこりと頭を下げた。

「その人は異国から来た旅人です。妙なものを売りつけないでください!」

「いや、その、旅人じゃないんだけど……」

「これは和の国で食べられている伝統的な料理ですよ。私、自分で作り方を調べて作ってみたんです。お代は結構ですのでユイさんも食べてみてください。とっても美味しくできましたよ」

「結構です。そんな怪しげなものより、そこに並んでるえび団子をください」

「これあんまり売れないので、私のおやつとして全部持ち帰ろうと思っていたんですけど……」

「お金ならあります。とりあえず二本ください」

 屋台の店先で話す二人の傍で、ぽつんと立ち尽くす瑠里。
 まだほんのりと温かいお稲荷の温もりが、やけに優しかった。

「7777(ゴルド)札じゃないですか。もはや骨董品ですよこんなもの……どこで手に入れたんです」

「私はこれしか預かっていないんです。えび団子二本と、お釣りください」

「このえび団子一本80Gなんですけど……」

 瑠里はきょろきょろと辺りを見渡し、別の屋台で売られている焼き鳥らしきものを見つけたが、瑠里の持つ小銭では買えない。かといって受け取った稲荷を食べる気にもならない。どうすることも出来ず、瑠里はただ二人をぼんやりと眺めることにした。


『……』


 ふと、瑠里の裾を引く小さな手。

「……?」

 瑠里が振り返ると、真っ赤な着物を着た少女が佇んでいた。
 金糸で縁取られた着物には、色とりどりの華が咲き乱れるように輝いている。

 腰から生えた何本もの尻尾が、ふわりと優しく地面を撫でる。

 狐面を被る少女の口元が、にへらと緩んだ。


「……っ」


 どこからか吹き荒れる風と共に、ざあっと瑠里を包み込む木の葉。



「にゃあっ」


 つくねの声にユイが振り返ると、そこに瑠里の姿は無かった。

 瑠里が立っていた場所には枯葉を含んだ風がつむじ風となって小さく渦を巻いている。地面に投げ出されたらしいつくねが辺りをきょろきょろと見渡し、しきりに声を上げていた。二本確保したえび団子を手に、瑠里が立っていた場所へとてとてと歩を進めてみても、そこには特に何もない。ユイは首を傾げたのち、何ともいえぬ表情で暁を見つめた。

「あらあら。持って行かれちゃいましたね」

「……これ、持っていてください」

 ユイは持っていた二本のえび団子を暁にぐいと押し付け、騒ぐつくねをキッと見つめる。

「にゃあっ にゃああ」

 瑠里が立っていた辺りで鳴き続けるつくねを抱き上げ、ユイは冷たい吐息を漏らした。
 つくねはユイの腕から抜け出そうともがくが、ユイはぎゅっと抱きしめ離さない。

 嫌がるつくねを高く掲げ、真っ赤な瞳で射るように見つめる。

「何があったんです。あの人はどこに行ってしまったんですか。教えてくださいっ」

「シャー!」

 確かにユイは獣型の魔物ではあるが、猫であるつくねと会話など出来るはずもない。
 牙を剥き、爪を振り回してもがくつくねをぐっと抱き上げたまま、ユイはむうと頬を膨らませた。

 ユイから受け取ったえび団子を串から抜いて口に放り込みつつ、暁が小さく首を傾げる。

「はて、あのお方は何処かでお会いしたような……」

「……何食べてるんですか。それ私のじゃ……」

「瑠里さんにずっと憑いていたみたいですけど、気づかなかったようですね。ユイさん」

 暁はしなやかな指先で竹串をくるくると弄び、くすくすと笑みを零す。
 ユイの腕の中で暴れるつくねはついに抜け出し、未だ小さく渦を巻くつむじ風に飛び込んでいった。

 するとつくねの姿は風に紛れる木の葉にかき消され、そのままつくねは風と共に姿を消した。
 残されたユイは何ともいえない歯がゆい表情で暁を見つめる。

「どうすれば、いいのですか。私に何か出来ることは……」

「この祭りは和の国で行われている祭りを模したもの。あのお方は自分の祭りの匂いに釣られ、ふらりとこちらの世界に迷い込んできたのかもしれませんね。残念ですが、連れて行かれてしまった以上こちらからは何も出来ません」

「……そのお方とやらは一体何者なのです」

「あのお方は……本来この祭りで人々に崇め奉られるべき存在。和の国を代表する神族の一人――」







「――お狐様です」










 木の葉と共に、吹き荒れる風。
 反射的に目を閉じた瑠里が再び目を開くと、そこは見知らぬ場所だった。


 辺りに広がるのは、一面の竹林。
 青々と茂る竹の葉が静かに揺れている。

 冷たく美しいベルゼの街並みも、道に溢れる雑踏も、すぐそばに居たユイすらも忽然と姿を消し、瑠里はただ一人静かな竹林に佇んでいた。僅かな風に揺れる竹林の中に、どこまでも連なる深紅の鳥居が見える。

「……?」

 状況が呑み込めない。瑠里は半ば呆然と立ち尽くしたまま辺りを見渡し、そしてあることに気付いた。

「つくね……」

 右を見ても、左を見ても、正面、背後に目を向けても、そこにはただ竹林が広がるばかり。愛猫の姿は、どこにもない。瑠里は寂しさと動揺でパニックになりそうな気持ちをぐっと堪え、深く息を吐いた。

「ここから出れば、きっと……」

 誰に言うでもなく呟いた瑠里はキッと正面を見据え、生い茂る竹林へと足を踏み入れる。
 目指す先は深紅の鳥居。鳥居を辿っていけば、神社やお社があるはずだ。そこに辿り着けば、何か手がかりが掴めるかもしれないと、瑠里は無意識のうちに考えていた。

 見上げた空は晴天。

 どこまでも高く、蒼く透き通るような空。青々と茂る竹の葉の隙間から、冷たい雨粒が滴リ落ちた。
 ぽつ、ぽつと優しく降り注ぐ雨が、静かな竹林を濡らしてゆく。

「天気雨……?」


――――カラン、コロン

 足音が、聞こえた。

 ハッと気が付くと、瑠里はいつの間にか連なる鳥居の道に立っていた。
 カラコロという特徴的な足音が徐々に大きくなる。

「……?」

 目を凝らすと、鳥居の奥からこちらに向かって歩いてくる人影が見えた。
 ゆったりとした着物と、輝く数本の尻尾。ゆらり揺れながら、歩を進める影。

「!」

 ふと、気が付いた。人影は一つではない。

 特徴的な足音もいつしか二人、三人と重なり合い、鈴や笛の音も混ぜ込みながらどんどん大きく近くなる。人影の群れは少しづつ瑠里の方へ向かってきているのだ。瑠里はさっと青ざめて鳥居の道から抜け出し、立派な竹の影に身を隠した。

――カラン、コロン、しゃらんと一定のリズムで竹林に響く音が近くなる。

 瑠里の視界に映ったのは、先ほどの少女と同じ狐の面で顔を隠した者たちの列。
 少女とは違う青い着物を身に纏い、その腰元からは大きく柔らかな尻尾が体の動きに合わせてゆらゆらと揺れているのが見えた。

 提灯を掲げる者、腰に刀を差す者、鈴を鳴らす者など、列を成す者たちには役割があるようだ。

「……」

 道の脇に佇む瑠里に見向きもせずに、列はゆっくりと進んでゆく。
 瑠里はどうすることもできず、どこか荘厳なその様子を呆然と見守っていた。

 やがて、列の中腹に差し掛かったころだろうか。

 光り輝くように豪華な神輿を四人がかりで担いだ者たちが瑠里の視界に入った。
 神輿は成人女性が寛ぎながら入れるくらいの大きさで、小窓の向こうには人影が見える。

 呆然としたままの瑠里の目の前を神輿が通り過ぎようとしたその時、列はぴたりと動きを止めた。

「……?」

 瑠里は佇む竹の影に身を隠し、そっと覗きこんで様子を伺う。
 動きを止めた列はしばらくの間じっと正面を向いていたが、ふと一斉に瑠里の方へと振り返った。

「!」

 いくつもの怪しげな狐の面が、静かに瑠里を見つめている。
 無数の射るような視線に圧倒され、瑠里はただぎこちない動きで後ずさった。

 本能的に距離を取る瑠里に近寄るでもなく、列はしばらくの間ただじっと瑠里を見つめていたが、やがて赤い着物を着た少女がひょっこりと姿を現し、列をかき分けて瑠里の元へ駆け寄ってきた。

 ベルゼの街で見かけた、あの少女である。
 少女はただ呆然と佇む瑠里の傍で再びにへらと緩い笑顔を見せ、すっと手を差し伸べた。


『一緒に行こう』


 と、そう言っている気がした。

 瑠里は無意識のうちにその手を取ろうと手を伸ばしていたが、その指先が少女の手に触れる寸前でハッと我に返り、慌てて手を引いた。この手を取ってはいけない。瑠里の胸の内で、何かがそう訴えている。

「?」

 少女は不思議そうに首を傾げて大きな尻尾を揺らし、手を取るように促す。が、瑠里は動かない。

「(どうしよう……どうすればいいんだろう……)」

 この手を取るわけにはいかない。断ったところで素直に見逃してくれるような雰囲気でもない。
 瑠里はすっかり困ってしまい、その場に立ち尽くしてぐるぐると思考を巡らせる。

 何かいい方法はないだろうか。少女を傷つけることなく、見逃してもらうための方法は。
 しばらく考えてみても、まるでいい案が浮かばない。

 やがて、混乱と思考の果てに瑠里は持っていた稲荷を無意識のうちに差し出していた。
 笹の葉にくるまれ、まだほんのりと温かい稲荷寿司。少女は渡されたそれをじっと見つめ、再びにへらと微笑みを零した。

 そして、少女は稲荷を両手で高く掲げ、嬉しそうに身を翻しながら瑠里に大きく手を振り、鳥居の道でじっと待機していた列の中に姿を消した。

 瑠里の方を向いていた列もゆっくりと正面を向き、しゃらんと鈴を鳴らして歩き出す。


「!」


 再び、鋭い音を立てて瑠里を包み込む風。
 吹き荒れる風に瑠里の視界は白く染まり、ねじ切れる。

 それっきり、瑠里の意識は途切れた。








「―――ちゃん! 瑠里ちゃん!! しっかりして!」


 瑠里がぼんやりと目を開くと、今にも泣き出しそうな顔の少女が心配そうに覗きこんでいた。
 明るい茶髪を丸い髪飾りで結んだ少女・中城 美月である。

「中城、さん……? どうして……」

「皆でずっと探してたんだよ? 無事で良かったぁ」

 まだ状況が掴めていない瑠里をぎゅうぎゅうと抱きしめ、ぐりぐりと頬を寄せる美月。
 細い腕のどこにこんな力があるのかというほどの力で抱きしめられ、瑠里は苦しげに息を漏らす。

「く、苦しいよ……中城さん……」

「良かった。本当に良かった。心配したんだからね」

 瑠里を強く抱きしめるその肩は、微かに震えているような気がした。
 ふと気が付くと、すぐ傍にはつくねが寝そべっていた。瑠里は安堵にため息を漏らす。



「おーい、美月。向こうに瑠佳さんが倒れて……って、代々木さん目を覚ましたのか。良かった」


 どこか勤勉な雰囲気を持つ一人の青年が、ひょっこりと顔を覗かせた。

「修! アンタどこ行ってたのよ」

「向こうの竹林をぐるっと見てきたんだよ。その、途中に……瑠佳さんが倒れてて……さ」

 修と呼ばれた青年は少し困ったような何とも言えない表情を浮かべ、後頭部を掻いた。

「どうしてそのまま放ったらかしにしてきたのよ、このバカ!」

 流れるような所作から繰り出された美月の鋭いアッパーカットが、的確に修の顎を捉える。
 威勢のいい鈍い音と共に修の体はいとも易々と打ち上げられ、そのまま青々とした草むらへ沈んだ。

「ッ痛てて……無茶言うな美月! 俺一人でどうしろっていうんだ」

「連れてこれなくても呼びかけたりとかやること色々あるでしょ!このバカ!ヘタレ!根性なし!」

 身を起こした修の脇腹に何度もローキックを叩き込む美月。
 そんな二人の様子をぼんやりと眺めながら、瑠里は青く晴れ渡る空を見つめた。

「(夢、だったのかな……)」

 さあ、と涼しい風が瑠里の頬を撫でる。

 辺りを見ると、そこには見慣れたいつもの風景。瑠里が友人や家族と共に過ごす町だ。
 瑠里が倒れていたのは、町から少し離れた竹林にぽつんと佇む石碑の前。

 竹林には見覚えのある真っ赤な鳥居が一本だけ立っており、その奥には小さなお社が見えた。

 石碑は文字が掠れて何も読み取れないが、ふと近くにあった石の台座を見上げると、そこには古びた狐の石像が静かに鎮座していた。苔むした石像は所々欠けていて、その表情はどこか寂しげに見えた。

 瑠里はすっと立ち上がり、無意識のうちに狐の像へと歩み寄る。

「……!」

 そして、ハッと気が付いた。
 鎮座する狐の像の足元には、笹の葉でくるまれた稲荷が置いてあったのだ。


「……そっか」


 ぽつりと呟いた瑠里は再び青く澄み渡る空を見上げ、ふっと思いを馳せる。
 脳裏に浮かぶのは、冷たく美しいベルゼの街並みと、ユイの姿。

 今となっては淡く消えゆく、ひと夏の思い出。


「お別れ、言えなかったな……」






 いつかまた、会える日まで。




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