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結局、ドワンゴとは何だったのか
長い有給消化の夏休みも最終日となった今日ようやく、
この退職エントリで書こうとしていた本題の1つに触れていく。
結論を書くと、実にあたりまえなことに落ち着く。
ドワンゴとは "川上量生" である。というだけの結論になる。
少々長い動画になるが先日ワールドビジネスサテライトに川上さんが出演した時の映像を少々長いので後でで良いので見て欲しい。
2014/08/21(木)23:00~ 動画約24分
これを見て、あまりにも川上さんが
いつもどおりの川上さんすぎて (緊張しているのかハラハラする部分はあるが)
もうほんとにこのままなのである。
ああ、川上さんはどこまでいっても変わらないんだな。
これはもうドワンゴで川上さんと関わったことがある人なら誰もが納得する事だ。
(対外的にはもっと違った顔を持っているのかもしれないが)
こんな川上さんだったからこそ、ドワンゴという文化を続けられたし、
このドワンゴの文化を作り続けることが出来たんだろうと今となっては思う。
自分は15年目にしてドワンゴを退職するわけだが
以前にもドワンゴを辞めようと思ったタイミングがあった。
それは shi3z さんが退職したあとしばらく、社内の企画力が低下したと感じたときだった。
ドワンゴの imode ゲームの大部分を手がけ、
新しい企画を意欲的に取り組んできた shi3z さんが居なくなり、
その遺されたサービスだけが続いて保守されていた。
その時、ふと、"ドワンゴとは何か" を考えるようになり
そのコンテンツを作った本人が会社を去り、だがそのサービスは引続きドワンゴが続ける。
それが会社というブランドだろうか?
あまりにも身近だった shi3z さんが抜けたことで、ここはもうドワンゴではなくなっていく、そんな錯覚に見舞われていた。
例えばもし、
ドワンゴが買収されて、中身の社員が総入れ替えとなり、
サービスだけ継続して新しいドワンゴの看板を買った会社が運営を行うようになったとしたら?
そうなってもそれはドワンゴであろうか?
サービスを利用しているユーザにとって、外から見たら変わらない物だろうか?
そんなどうでもいいことを考えていた。
ドワンゴで着メロサービス "いろめろミックス" が大ヒットしていた頃だ。
コンテンツそのものへの興味が失われていき、
システムそのものへ興味を持つようになり、
MiracleLinux 社への転職を真剣に考え、転職セミナーを受けに行っていったりもしていたそんな時、
coji さんが京都に設立する事になった "京都研究開発センター" へ異動を申請することになる。
世間的にはあまり知られていないどころか、ドワンゴ社内においても存在を知る人の少ない施設だ。
そこで1年半を過ごした後、ニコニコ動画が巨額の赤字を出し、京都研究開発センターは閉じられ東京に戻る。
その間、京都大学の吉田寮や石垣カフェ紛争、京都で作ったフットサルチーム FC branch など知見を広げる貴重な体験をすることができた。
東京に戻ってきて、そこで川上さんが言っていたのが
「いまはとにかくニコニコ動画は人を増やす段階だから、収益とか考えなくていい。」
といって面白いサービスをどんどん作る方向へシフトしていく。
このへんがワールドビジネスサテライトで話していた収益化を忘れていた部分の1つだろう。
そしてこの経営方針(?)が今のニコニコ動画を作ったのは間違いなく、
あそこで指揮をとっていたのが川上さんじゃなかったら、
最初から「収益化!黒字化!」と叫んで面白い事を作るのが二の次になっていたとしたら
僕らの愛するニコニコ動画が生まれる事はなかっただろう。
ドワンゴは会社の主軸となるサービスを変化させながら続いてきた。
・ネットワーク開発下請け時代
・imode ゲーム時代
・着メロ時代
・ニコニコ時代
その中で変わらずにあった部分が "川上量生" その人であり、
ドワンゴの船長として進むべき道を示してきたような気がする。
ワンマン経営では決してない。これまでに書いてきたように面白い人たちが社内に沢山いて、いまも面白いことをやろうという人がいっぱい居る
そんなまとまりきれない集団を、良くも悪くも意識の先をどこに置くのか見せてくれているのが川上さんなんだ。
まさに超会議がそうであったように。
2014年10月からの KADOKAWA・DWANGO 経営統合で、
社員数は約1000人から約3000人になる。
自分が入社した頃が30人くらいだったことを思うと100倍になった。
これがもし会社経営シミュレーションゲームで15年で会社を100倍にしろって難易度だったら、
それはもう有り得ない難易度のクソゲーである。
そこには1発のラッキーヒットじゃなく、ネットに生きる企業として継続してきた有り様があってここまで来れたのだ。
これから KADOKAWA とドワンゴで作る "新しい物語" を見たい気持ちはあるが、
自分はここでドワンゴを離れ、今後は外からその様子を見守っていきたい。
もちろん業務的に関わっていくこともあるだろう。
今回でドワンゴについて話すのはこれが最後だ。
次回最終話は、自分が今後どんな新しい仕事をしていくかについて。
人生は劇的である。
余談
・coji さんから社外向け SE にならないかと誘われた時、「黒いコンソール画面と会話してるほうがいいです」と断ってしまったこと。
・社員の間でも常々「来年にはこの会社ないかもね」と覚悟していた。
・単なる内輪ウケを狙った退職エントリでしたが、思わぬ多くの方からの好評を頂きましたため、この話からアカウントのお気に入り登録を可能にしてもらいました。
僕自身が面白い人間だったわけではなく、おかしな人が周囲に多かっただけなので、
今後の自分が面白い事を書けるか分からないが、出来れば世に面白いエンターテイメントを提供し続けていきたいと思います。※と思ったらまだできないみたいです
・これは書くか相当悩んだ事だが、もし川上さんがドワンゴを去る時が来たとき、代えの効かない類い稀な人だけに、その後ドワンゴがどうなっていくのか一抹の不安を覚えるのであった。
長い有給消化の夏休みも最終日となった今日ようやく、
この退職エントリで書こうとしていた本題の1つに触れていく。
結論を書くと、実にあたりまえなことに落ち着く。
ドワンゴとは "川上量生" である。というだけの結論になる。
少々長い動画になるが先日ワールドビジネスサテライトに川上さんが出演した時の映像を少々長いので後でで良いので見て欲しい。
2014/08/21(木)23:00~ 動画約24分
これを見て、あまりにも川上さんが
いつもどおりの川上さんすぎて (緊張しているのかハラハラする部分はあるが)
もうほんとにこのままなのである。
ああ、川上さんはどこまでいっても変わらないんだな。
これはもうドワンゴで川上さんと関わったことがある人なら誰もが納得する事だ。
(対外的にはもっと違った顔を持っているのかもしれないが)
こんな川上さんだったからこそ、ドワンゴという文化を続けられたし、
このドワンゴの文化を作り続けることが出来たんだろうと今となっては思う。
自分は15年目にしてドワンゴを退職するわけだが
以前にもドワンゴを辞めようと思ったタイミングがあった。
それは shi3z さんが退職したあとしばらく、社内の企画力が低下したと感じたときだった。
ドワンゴの imode ゲームの大部分を手がけ、
新しい企画を意欲的に取り組んできた shi3z さんが居なくなり、
その遺されたサービスだけが続いて保守されていた。
その時、ふと、"ドワンゴとは何か" を考えるようになり
そのコンテンツを作った本人が会社を去り、だがそのサービスは引続きドワンゴが続ける。
それが会社というブランドだろうか?
あまりにも身近だった shi3z さんが抜けたことで、ここはもうドワンゴではなくなっていく、そんな錯覚に見舞われていた。
例えばもし、
ドワンゴが買収されて、中身の社員が総入れ替えとなり、
サービスだけ継続して新しいドワンゴの看板を買った会社が運営を行うようになったとしたら?
そうなってもそれはドワンゴであろうか?
サービスを利用しているユーザにとって、外から見たら変わらない物だろうか?
そんなどうでもいいことを考えていた。
ドワンゴで着メロサービス "いろめろミックス" が大ヒットしていた頃だ。
コンテンツそのものへの興味が失われていき、
システムそのものへ興味を持つようになり、
MiracleLinux 社への転職を真剣に考え、転職セミナーを受けに行っていったりもしていたそんな時、
coji さんが京都に設立する事になった "京都研究開発センター" へ異動を申請することになる。
世間的にはあまり知られていないどころか、ドワンゴ社内においても存在を知る人の少ない施設だ。
そこで1年半を過ごした後、ニコニコ動画が巨額の赤字を出し、京都研究開発センターは閉じられ東京に戻る。
その間、京都大学の吉田寮や石垣カフェ紛争、京都で作ったフットサルチーム FC branch など知見を広げる貴重な体験をすることができた。
東京に戻ってきて、そこで川上さんが言っていたのが
「いまはとにかくニコニコ動画は人を増やす段階だから、収益とか考えなくていい。」
といって面白いサービスをどんどん作る方向へシフトしていく。
このへんがワールドビジネスサテライトで話していた収益化を忘れていた部分の1つだろう。
そしてこの経営方針(?)が今のニコニコ動画を作ったのは間違いなく、
あそこで指揮をとっていたのが川上さんじゃなかったら、
最初から「収益化!黒字化!」と叫んで面白い事を作るのが二の次になっていたとしたら
僕らの愛するニコニコ動画が生まれる事はなかっただろう。
ドワンゴは会社の主軸となるサービスを変化させながら続いてきた。
・ネットワーク開発下請け時代
・imode ゲーム時代
・着メロ時代
・ニコニコ時代
その中で変わらずにあった部分が "川上量生" その人であり、
ドワンゴの船長として進むべき道を示してきたような気がする。
ワンマン経営では決してない。これまでに書いてきたように面白い人たちが社内に沢山いて、いまも面白いことをやろうという人がいっぱい居る
そんなまとまりきれない集団を、良くも悪くも意識の先をどこに置くのか見せてくれているのが川上さんなんだ。
まさに超会議がそうであったように。
2014年10月からの KADOKAWA・DWANGO 経営統合で、
社員数は約1000人から約3000人になる。
自分が入社した頃が30人くらいだったことを思うと100倍になった。
これがもし会社経営シミュレーションゲームで15年で会社を100倍にしろって難易度だったら、
それはもう有り得ない難易度のクソゲーである。
そこには1発のラッキーヒットじゃなく、ネットに生きる企業として継続してきた有り様があってここまで来れたのだ。
これから KADOKAWA とドワンゴで作る "新しい物語" を見たい気持ちはあるが、
自分はここでドワンゴを離れ、今後は外からその様子を見守っていきたい。
もちろん業務的に関わっていくこともあるだろう。
今回でドワンゴについて話すのはこれが最後だ。
次回最終話は、自分が今後どんな新しい仕事をしていくかについて。
人生は劇的である。
余談
・coji さんから社外向け SE にならないかと誘われた時、「黒いコンソール画面と会話してるほうがいいです」と断ってしまったこと。
・社員の間でも常々「来年にはこの会社ないかもね」と覚悟していた。
・単なる内輪ウケを狙った退職エントリでしたが、思わぬ多くの方からの好評を頂きましたため、この話からアカウントのお気に入り登録を可能にしてもらいました。
僕自身が面白い人間だったわけではなく、おかしな人が周囲に多かっただけなので、
今後の自分が面白い事を書けるか分からないが、出来れば世に面白いエンターテイメントを提供し続けていきたいと思います。※と思ったらまだできないみたいです
・これは書くか相当悩んだ事だが、もし川上さんがドワンゴを去る時が来たとき、代えの効かない類い稀な人だけに、その後ドワンゴがどうなっていくのか一抹の不安を覚えるのであった。
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