陰謀論好きの読者が小躍りして喜ぶような、美味しすぎるM&Aバトルが繰り広げられています。
それはチキータ・ブランズ(ティッカーシンボル:CQB)、アイルランドのライバル、ファイフス、そしてブラジルのクトラーレの三つ巴の戦いです。
チキータ・ブランズは世界第二位のバナナ輸出業者です。

チキータは3月にライバルのファイフスと合併すると発表しました。
チキータの2013年のバナナ部門の売上高は19.6億ドルでした。一方のファイフスは欧州市場に強く、バナナ部門の売上高は8.3億ドルでした。
チキータはバナナ以外にスーパーで売られているフレッシュ・サラダやヘルシー・スナックのビジネスを展開しています。一方、ファイフスのバナナ以外のビジネスはメロンとパイナップルです。

チキータの売上の61%は米国、29%が欧州です。一方ファイフスは17%が米国、83%が欧州です。つまりそれぞれに強い地域が違うということです。従って合併後の新会社は、ちょうと米国と欧州のバランスが良くなることを意味します。

ところが先週になってこの合併に横槍が入りました。クトラーレがチキータに対して買収提案したからです。
クトラーレ・グループを支配するホゼ・ルイ・クトラーレは「オレンジ王」と呼ばれることもあります。同社はブラジル、ポルトガル、そしてアメリカのフロリダ州でオレンジを栽培しています。
クトラーレは今回の買収にあたって同じブラジルの投資グループ、サフラと共同し、チキータ株一株当たり$13で買収提案を行いました。
チキータはこの買収提案を「提示価格が低すぎる」として拒否しています。
オレンジのクトラーレがバナナに目を付けた理由は、最近、アメリカでオレンジジュースの消費量が減少していることによります。オレンジジュースは消費者にとって割高で、若者を中心にスタバやエネルギー・ドリンクなどへ嗜好がシフトしているのです。
クトラーレはオレンジ園での労働者の扱いの問題でブラジルの労働省から摘発を受けた経緯があります。
その意味ではチキータの前身であるユナイテッド・フルーツも「濃い」歴史を持っています。
ユナイテッド・フルーツはもともと船乗りだったロレンッオ・ダウ・ベーカーが1870年にボストンで設立したボストン・フルーツ・カンパニーがルーツです。それが後にトロピカル・トレーディング&トランスポート・カンパニーと合併し、1899年にユナイテッド・フルーツという名称になりました。
当時アメリカは南北戦争が終わり、いよいよ世界の大国として頭角を現し始めた時期でした。その頃、アメリカではマスメディアの媒体として、新聞が飛躍期を迎えており、ウイリアム・ランドル・ハーストやジョセフ・ピューリツァーなどの新聞王が部数を伸ばす競争のため(=なんだか最近のウェブメディアの競争みたいですねwww)イエロージャーナリズムと呼ばれる、煽り記事を連発しました。
1897年に「アメリカ人婦人がスペイン警察によって裸にされた!」というねつ造記事がきっかけとなり、アメリカの世論はスペインと一戦を交えよという方向へ大きく傾きます。
こうして起きたのが1898年の米西戦争です。
この当時、アメリカは経済大国としての自分のちからを国際的な舞台で試してみたくてウズウズするような状況であり、「カリブ海は、ほんらい自分たちの裏庭だ」という妄想を抱き始めていました。蛇足ながら、これは最近中国が尖閣や南シナ海で示威行動をしているのと酷似していると言えます。
それはチキータ・ブランズ(ティッカーシンボル:CQB)、アイルランドのライバル、ファイフス、そしてブラジルのクトラーレの三つ巴の戦いです。
チキータ・ブランズは世界第二位のバナナ輸出業者です。
チキータは3月にライバルのファイフスと合併すると発表しました。
チキータの2013年のバナナ部門の売上高は19.6億ドルでした。一方のファイフスは欧州市場に強く、バナナ部門の売上高は8.3億ドルでした。
チキータはバナナ以外にスーパーで売られているフレッシュ・サラダやヘルシー・スナックのビジネスを展開しています。一方、ファイフスのバナナ以外のビジネスはメロンとパイナップルです。
チキータの売上の61%は米国、29%が欧州です。一方ファイフスは17%が米国、83%が欧州です。つまりそれぞれに強い地域が違うということです。従って合併後の新会社は、ちょうと米国と欧州のバランスが良くなることを意味します。
ところが先週になってこの合併に横槍が入りました。クトラーレがチキータに対して買収提案したからです。
クトラーレ・グループを支配するホゼ・ルイ・クトラーレは「オレンジ王」と呼ばれることもあります。同社はブラジル、ポルトガル、そしてアメリカのフロリダ州でオレンジを栽培しています。
クトラーレは今回の買収にあたって同じブラジルの投資グループ、サフラと共同し、チキータ株一株当たり$13で買収提案を行いました。
チキータはこの買収提案を「提示価格が低すぎる」として拒否しています。
オレンジのクトラーレがバナナに目を付けた理由は、最近、アメリカでオレンジジュースの消費量が減少していることによります。オレンジジュースは消費者にとって割高で、若者を中心にスタバやエネルギー・ドリンクなどへ嗜好がシフトしているのです。
クトラーレはオレンジ園での労働者の扱いの問題でブラジルの労働省から摘発を受けた経緯があります。
その意味ではチキータの前身であるユナイテッド・フルーツも「濃い」歴史を持っています。
ユナイテッド・フルーツはもともと船乗りだったロレンッオ・ダウ・ベーカーが1870年にボストンで設立したボストン・フルーツ・カンパニーがルーツです。それが後にトロピカル・トレーディング&トランスポート・カンパニーと合併し、1899年にユナイテッド・フルーツという名称になりました。
当時アメリカは南北戦争が終わり、いよいよ世界の大国として頭角を現し始めた時期でした。その頃、アメリカではマスメディアの媒体として、新聞が飛躍期を迎えており、ウイリアム・ランドル・ハーストやジョセフ・ピューリツァーなどの新聞王が部数を伸ばす競争のため(=なんだか最近のウェブメディアの競争みたいですねwww)イエロージャーナリズムと呼ばれる、煽り記事を連発しました。
1897年に「アメリカ人婦人がスペイン警察によって裸にされた!」というねつ造記事がきっかけとなり、アメリカの世論はスペインと一戦を交えよという方向へ大きく傾きます。
こうして起きたのが1898年の米西戦争です。
この当時、アメリカは経済大国としての自分のちからを国際的な舞台で試してみたくてウズウズするような状況であり、「カリブ海は、ほんらい自分たちの裏庭だ」という妄想を抱き始めていました。蛇足ながら、これは最近中国が尖閣や南シナ海で示威行動をしているのと酷似していると言えます。
作家、O.ヘンリーは1904年に『キャベツと王様』で文壇デビューするわけですが、その中で初めて「バナナ共和国(Banana republic)」という表現が使われています。これはバナナに代表される、単一の作物の輸出で成り立っているトロピカルの国を指し、国家が国際資本の利益のために、まるで私物のように運営されている様子を皮肉った表現です。
なおギャップ(ティッカーシンボル:GPS)のブランドのひとつにBANANA REPUBLICというのがありますが、これはここから来ています。

今でこそバナナリパブリックはキャリアウーマンを意識した、アップスケールな洋服を売っていますが、1978年にメル・ジーグラーとパトリシア・ジーグラーの夫婦がマリン郡ミルバレーでBANANA REPUBLICを創業したときは、サウサリートの蚤の市でたまたま見つけたスペインの落下傘部隊のシャツの放出品を「これは面白い!」と買い込み、向かいのスーパーの果物売り場で使用済みになったフルーツを入れる木箱を「これ譲ってください!」と言って貰ってきて、その木箱の上に商品を並べたら、何となくトロピカルなオーラが出たので、胡散臭いオーラをプンプンに発散する意味で、会社名をBANANA REPUBLICとしたという逸話があります。
ちょっと話が脱線しましたが、そんな感じでカリブ海は遅まきながら帝国主義に目覚めたアメリカ政府の、格好の遊び場だったわけです。
ところでユナイテッド・フルーツは第二次大戦後、民間人で最初のCIA長官となったアレン・ダラスが重役として名前を連ねていた企業として知られています。彼のお兄さんのジョン・フォスター・ダレスはアイゼンハワー政権の国務長官でした。このダレス兄弟はイランのモサデク政権をクーデターで打倒することを画策したことで知られています。
ちょうどこの当時、アルゼンチンの若い医学生だったチェ・ゲバラは友人と南米を北上するバイク旅行に出て、グアテマラでユナイテッド・フルーツのプランテーションで働く人々の苦労を見て、革命家を目指します。

1968年にプライベート・エクイティのビジネスの先駆者であるイーライ・ブラックが自分の投資会社、AMKを使いユナイテッド・フルーツの玉を買占め、傘下に置きます。イーライ・ブラックはそれまでのユナイテッド・フルーツの過酷な労働管理を改め、プランテーションの労働者にやさしい経営を打ち立てます。
しかし債務を背負い込み過ぎたところへ1974年にハリケーン・フィーフィーが襲い、同社のホンジュラスのバナナ園が壊滅的な打撃を受けます。その上、バナナ輸出税をまけてもらうためホンジュラスの大統領に袖の下を使ったことが米国証券取引委員会の調査でバレてしまい、1975年2月5日、マンハッタンのグランドセントラル駅のすぐ北にあるパンナム・ビル(=現在のメットライフ・ビル)の44階にあった自分のオフィスの窓をアタッシュケースで割り、投身自殺を図ります。

当時、ハーバード大学のMBAコースで学んでいた息子のレオン・ブラックは、父の仇を取ることを誓い、ジャンクボンド王、マイケル・ミルケンの居るドレクセル・バーナム・ランベールに就職し、M&A部長に登り詰めます。その後、自分のPEファンド、アポロ・マネージメントを創業するわけです。
このドレクセル・バーナムでの上得意の顧客のひとりが大仕手、カール・リンドナーであり、リンドナーはイーライ・ブラックの死後、ユナイテッド・フルーツの支配権を握り、これをチキータに社名変更します。
1989年にベルリンの壁が倒壊し、ソ連圏が崩壊しはじめると東ヨーロッパという新しい市場が開けます。特に東欧の人々はトロピカル・フルーツを「自由の象徴」とみなし、バナナが飛ぶように売れ始めます。

僕がチキータに関わったのはこの頃で、チキータはコスタリカで大規模な事業拡張をするとともに欧州路線に冷凍船を投入するため、公募増資を行います。当時、SGウォーバーグに勤めていたのですが、東京オフィスのYちゃんが大活躍して、バナナ持参で機関投資家を回り、株の注文を取ってくれました。
ところがこの後で大変な事が起きます。「EU1992」で自由な統合市場が出来たばかりのEUが、欧州連合域内の企業を優遇するため、EC圏外の企業が持ち込むバナナに高い保護関税をかけたのです。これはアイルランドのファイフスを優遇するとともに、チキータに対するあからさまな嫌がらせだったわけです。
折角、公募増資して、日本の造船会社で冷凍船を建艦して、部長がその進水式にまで出席したのに、大事な時にチキータは欧州市場からシャットアウトされてしまったのです。
このようにチキータとファイフスは宿敵の関係となっていたわけですが、それが今回、合併して力を合わせるということで、僕的にはたいへん感慨深いものがあります。
なおギャップ(ティッカーシンボル:GPS)のブランドのひとつにBANANA REPUBLICというのがありますが、これはここから来ています。
今でこそバナナリパブリックはキャリアウーマンを意識した、アップスケールな洋服を売っていますが、1978年にメル・ジーグラーとパトリシア・ジーグラーの夫婦がマリン郡ミルバレーでBANANA REPUBLICを創業したときは、サウサリートの蚤の市でたまたま見つけたスペインの落下傘部隊のシャツの放出品を「これは面白い!」と買い込み、向かいのスーパーの果物売り場で使用済みになったフルーツを入れる木箱を「これ譲ってください!」と言って貰ってきて、その木箱の上に商品を並べたら、何となくトロピカルなオーラが出たので、胡散臭いオーラをプンプンに発散する意味で、会社名をBANANA REPUBLICとしたという逸話があります。
ちょっと話が脱線しましたが、そんな感じでカリブ海は遅まきながら帝国主義に目覚めたアメリカ政府の、格好の遊び場だったわけです。
ところでユナイテッド・フルーツは第二次大戦後、民間人で最初のCIA長官となったアレン・ダラスが重役として名前を連ねていた企業として知られています。彼のお兄さんのジョン・フォスター・ダレスはアイゼンハワー政権の国務長官でした。このダレス兄弟はイランのモサデク政権をクーデターで打倒することを画策したことで知られています。
ちょうどこの当時、アルゼンチンの若い医学生だったチェ・ゲバラは友人と南米を北上するバイク旅行に出て、グアテマラでユナイテッド・フルーツのプランテーションで働く人々の苦労を見て、革命家を目指します。
1968年にプライベート・エクイティのビジネスの先駆者であるイーライ・ブラックが自分の投資会社、AMKを使いユナイテッド・フルーツの玉を買占め、傘下に置きます。イーライ・ブラックはそれまでのユナイテッド・フルーツの過酷な労働管理を改め、プランテーションの労働者にやさしい経営を打ち立てます。
しかし債務を背負い込み過ぎたところへ1974年にハリケーン・フィーフィーが襲い、同社のホンジュラスのバナナ園が壊滅的な打撃を受けます。その上、バナナ輸出税をまけてもらうためホンジュラスの大統領に袖の下を使ったことが米国証券取引委員会の調査でバレてしまい、1975年2月5日、マンハッタンのグランドセントラル駅のすぐ北にあるパンナム・ビル(=現在のメットライフ・ビル)の44階にあった自分のオフィスの窓をアタッシュケースで割り、投身自殺を図ります。
当時、ハーバード大学のMBAコースで学んでいた息子のレオン・ブラックは、父の仇を取ることを誓い、ジャンクボンド王、マイケル・ミルケンの居るドレクセル・バーナム・ランベールに就職し、M&A部長に登り詰めます。その後、自分のPEファンド、アポロ・マネージメントを創業するわけです。
このドレクセル・バーナムでの上得意の顧客のひとりが大仕手、カール・リンドナーであり、リンドナーはイーライ・ブラックの死後、ユナイテッド・フルーツの支配権を握り、これをチキータに社名変更します。
1989年にベルリンの壁が倒壊し、ソ連圏が崩壊しはじめると東ヨーロッパという新しい市場が開けます。特に東欧の人々はトロピカル・フルーツを「自由の象徴」とみなし、バナナが飛ぶように売れ始めます。
僕がチキータに関わったのはこの頃で、チキータはコスタリカで大規模な事業拡張をするとともに欧州路線に冷凍船を投入するため、公募増資を行います。当時、SGウォーバーグに勤めていたのですが、東京オフィスのYちゃんが大活躍して、バナナ持参で機関投資家を回り、株の注文を取ってくれました。
ところがこの後で大変な事が起きます。「EU1992」で自由な統合市場が出来たばかりのEUが、欧州連合域内の企業を優遇するため、EC圏外の企業が持ち込むバナナに高い保護関税をかけたのです。これはアイルランドのファイフスを優遇するとともに、チキータに対するあからさまな嫌がらせだったわけです。
折角、公募増資して、日本の造船会社で冷凍船を建艦して、部長がその進水式にまで出席したのに、大事な時にチキータは欧州市場からシャットアウトされてしまったのです。
このようにチキータとファイフスは宿敵の関係となっていたわけですが、それが今回、合併して力を合わせるということで、僕的にはたいへん感慨深いものがあります。