戦友に平和誓い碑清掃 大津の跡地に集う
太平洋戦争中、現在の大津市御陵町に開設された大津陸軍少年飛行兵学校の卒業生たちが、跡地に立つ「若鷲(わし)の碑」の清掃活動を続けている。飛行兵に志願した10代半ばの少年たちが訓練に明け暮れ、米軍機襲来の恐怖も体験した。終戦から来年で70年になるが、卒業生は「平和を願って清掃を続けたい」という。
碑は1975年、卒業生が同校の記憶をとどめ、永遠の平和を願って市歴史博物館の西側に建立した。清掃は有志らで始め、現在は年5回活動しており、10月は慰霊祭も行う。終戦の日を前にした今月上旬には県内や京都、愛知などから8人が集まり、落ち葉などを掃き集めた。
連絡役の中川義男さん(85)=京都市右京区=は44年入校。上官から「天皇陛下より預かった銃にほこりを付けるとは何事か」と鉄びょう付きの上履きで殴られた。45年には米軍機に急襲され、銃弾が食堂の天井を撃ち抜き、眼前で食器が砕け散ったという。
1年で卒業のはずが「お前たちの乗る機体はない」と言われ、終戦まで大津に留め置かれた。学徒出陣の学生の後に回されたためで、「大学生たちは不運だった。特攻したくなかっただろうが、自分たちはおかげで生き残れた。そのことを感謝して掃除を続けている」と語る。
43年入校の三上昭雄さん(87)=草津市野村3丁目=の同期生は約1200人いた。45年にソウル南西部の練習飛行隊に配属され、特攻要員に選ばれたが、出撃前に終戦を迎えた。同期生に誘われ約20年前から清掃に加わり「あそこには同僚や戦友がいるから」とほぼ毎回通う。卒業生の高齢化から年々参加者は減っているが、「平和が続いてほしいと願って掃除している。憲法を変えるのは反対」と話す。
【 2014年08月30日 11時23分 】