山上憶良、子等を思ふ歌

山上憶良が記録に現れるのは続日本紀、大宝元年(701年)正月、「無位の山於億良を少録とする」という記事があります。すでにこの時42才でした。出自については帰化人説もかなり有力な説です。いずれにしても家柄としてはあまり高くなかったのでしょうが、当時として一級の知識人であったことは確かでしょう。万葉集では有名な「貧窮問答歌」を始め、76首もの歌を残していますが、ここでは子供に対する愛情溢れる歌を紹介します。

山上憶良、宴(うたげ)を罷(まか)る歌一首

憶良らは 今は罷(まか)らむ子泣くらむ それそのの母も 吾を待つらむぞ (巻三、三三七)

憶良はもう退出しよう。子供が泣いて待っていよう。その子の母も私を待っているだろう。

今の世の中でも、なかなか家族が待っているからといって宴会を抜け出すのはできない話ですね。憶良の率直さが良く現れています。


子等を思ふ歌一首 併せて序

釈迦如来、金口(こんぐ)に正(ただ)に説きたまはく、「等しく衆生を思ふこと羅ご羅のごとし」と。また説きたまはく、「愛は子に過ぎたることなし」と。至極(しごく)の大聖(たいせい)すらに、なほし子を愛(いつく)しぶる心あり、いはむや、世間(よのなか)の蒼生(あをひとくさ)、誰か子を愛(いつく)しびずあらめや。

釈迦如来がそのお口で正に説かれたことは、等しく命あるものを思うのは、わが子羅ご羅も同じであると仰せられた。また、説かれたことは愛情は子どもに対するもの以上のものはないとおっしゃった。釈迦如来にしてそうであるから、世の中の人間でわが子を愛さぬ者がいようか。

瓜食(は)めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲(しぬ)は ゆ いづくより 来たりしものぞ 眼交(まなか)ひに もとなかかりて 安寐(やすい)し寝(な)さぬ(巻五、八〇二)

瓜を食べれば子どもを思い出す。栗を食べればますます偲ばれる。どこから来たものか、子どもの面影が目の先にちらついて眠れそうもない。

反歌
銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに 勝れる宝 子にしかめやも (巻五、八〇三)

白銀も黄金も宝玉も、そんなもの何になろうか、子どもには及ぶべくもない。

序は漢文で書かれていますがここでは仮名まじり文で紹介しました。子煩悩の憶良の面目躍如というところですね。


男子(をのこ)名は古日(ふるひ)に恋ふる歌三首

世の人の 貴(たふと)び願ふ 七種(ななくさ)の 宝も我れは 何せむに 我が中の 生れ出でたる 白玉の 我が子古日は 明星(あかぼし)の 明くる朝(あした)は 敷栲(たへ)の 床(とこ)の辺(へ)去らず 立てれども 居(を)れども ともに戯(たはぶ)れ 夕星(ゆふつづ)の 夕(ゆふへ)になれば いざ寝よと 手をたづさはり 父母(ちちはは)も うへはなさがり さきくさの 中にを寝むと 愛(うつく)しく しが語らへば いつしかも 人と成り出でて 悪(あ)しけくも 善(よ)けくも見むと 大船(おおぶね)の 思ひ頼むに 思はぬに 横しま風の にふふかに 覆ひ来(きた)れば 為(せ)むすべの 方便(たどき)を知らに 白栲(たへ)の たすきを懸け まそ鏡 手に取り持ちて 天つ神 仰ぎ祈(こ)ひ祷(の)み 国つ神 伏して額(ぬか)つき かからずも かかりも 神のまにまにと 立ちあざり 我れ祈(こ)ひ祷(の)めど しましくも よけくはなしに やくやくに かたちつくほり 朝な朝な 言ふこと止(や)み たまきはる 命絶えぬれ 立ち踊り 足すり叫び 伏し仰ぎ 胸うち嘆き 手に持てる 我(あ)が児飛ばしつ 世間(よのなか)の道 (巻五、九〇四)

世間の人が貴び欲しがる七種の宝も、私には何の役にも立たない。私たちの間に生れた古日は、明けの明星が輝く朝は寝床のそばで、立っていても座っていても、いっしょに戯れ、宵の明星が輝く頃には、さあ寝なさいというと手を握って、父さんも母さんも側を離れないで、川の字になって寝ようと愛らしく言うから、いつ大人になるんだろう、悪いことも良いことも見てやろうと楽しみにしていた時に、思いがけず急に横風が吹きつけてきて、どうしてよいかわからず、白妙のたすきをかけ、真澄みの鏡を持って天の神に祈り、地の神にぬかづき、病にかかるもかからぬも神様の思し召しと、立ち騒ぎ、祈ったけれど、しばらくも良くはならずに、だんだん顔色も悪くなり、物も言わなくなって命が絶えてしまったから、躍り上がったり、足摺りしたり、うつ伏し、天を仰いだりして、胸を叩いて嘆き、手に抱えていた我が子を飛ばしてしまった。これが世間の道なのだろうか。

反歌
若ければ 道行き知らじ 幣(まひ)は為(せ)む 黄泉(したへ)の使(つかひ) 負ひて通らせ (巻五、九〇五)

まだ若くて、あの世への道も知らない者だから、贈り物をするから黄泉(よみ)の使いよ、どうか背負っていってください。

布施置きて われは乞ひ祷(の)む あざむかず 直(ただ)に率行(ゐゆ)きて 天道(あまぢ)知らしめ (巻五、九〇六)

お布施を置いて私は乞い祈ります。どうか欺かないで真っ直ぐに連れて行って、天の道を教えてやってください。

この歌には「右の一首は、作者いまだ詳(つまび)らかにあらず。ただし、裁歌(さいか)の体(てい)、山上(やまのうへ)の操(さう)に似たるをもちて、この次に載す」という左注がついています。つまり、作者は不明だが、歌の感じが山上憶良の作風に似ているのでここに載せたというものです。多分憶良の作でしょう。但し、古日という子は知人の子ではないかという説もあります。胸が締め付けられるような歌ですね。彼の歌にはこのほかの歌も私たちの心に突き刺さってくるものがたくさんあります。また、取り上げていきたいと思います。



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