Facebookは元々会社になることを目的として作られたのではありません。
可もなく不可もなくてつまりは悪くはないけどださい。中小企業だからいいんだけど、一部のはてなユーザーのはてなへの愛を考えると違和感を感じる。
QOLの向上みたいな誰も反対しないが実際は大して中身もないこと目的のために手斧がふるわれるのか。そこにはやっぱり、この文章から消されてしまった何かがある。ネット黎明期の混沌へのあこがれのようなもの。具体的には今はGoogleにすっかり区画整備されてしまったネットという新大陸への期待。Facebookに現実の一部にされてしまったインターネットに対する全く異なる異世界感。その残り香があるように思う。ポピュリズム化した民主主義によって順序づけられるのではなく、多数派も少数派も権力者も孤立者も平等に乱雑にごちゃ混ぜになったデータベース。人と、現実とつながっているから価値があるのではなく、それそのものの価値という幻想のみで評価されるミーム。
そういうものを求めていきたい。
そういうことをつらつらと考えていくと、
はてな(ユーザー)のミッションは「世界の混沌と多様性の拡大」
ではなかろうか