「嫌われる勇気」を読んで考えたことの続きです。
アドラーは「感情は目的を達成させるための手段だ」と言いました。
人が何かをするときは、先に目的があるというのです。
最近職場で、やたらと詰めるように話す人を見かけました。
早口でまくし立て、相手を威嚇するように話します。
「いや、それは違うでしょ」
「なんでなのか答えてよ」
「そうじゃないでしょ」
「なんでできないのかって聞いてるの」
みたいな。
こういう話し方する人、思い浮かぶ人もいるんじゃないでしょうかw
それで、この人達はなんの目的があって、こういう詰問口調で人を不快にさせようとするのかを考えてみました。
だって意味ないじゃないですか。
会社の対話っていうのは、街で絡んでくるヤンキーとは違う。
ビジネスをしているわけだから、ちゃんと人の話を聞いて、論理的に自分の意見を伝えればいいはず。
なのになぜ、このように相手に有無を言わせず、人の話を遮って、相手を威嚇するのか。
相手を不快にさせているのか。
彼らの目的は第一に、ビジネスを成功させることよりも、相手を屈服させることなんですよね。
自分が偉いと相手よりも上の立場だとわからせたい。
だから相手を威嚇する。詰問する。
言うまでもなく、それは自信の無さの表れです。
確固たる自信を持つ人は、人に偉そうにして、自分の権力を確認しようとはしないものです。
自分に自信がないから、人をこき下ろす。偉そうにして、自分が上であることを確認しようとする。
次に、考えられるのは、自分の意見と相手の意見を論理的に交わらせるのを避けたいという目的です。
普通に考えれば、相手を詰問するのではなく、対話によって冷静に解決策を探るのが絶対に良いはず。
それなのに、相手の意見を封じて、とにかく自分の話を聞かせようとするのは、意見の交換を避けるためです。
自分の言うことは絶対に正しい。だから言うことを聞け。そういう意図があります。
これは犬や猿のしつけと同じです。
上から目線で、相手をしつけるような傲慢さを感じます。
人間と人間は、親と子でもない限り、そんな関係にはならない。
たとえ会社内での立場の序列があったとしても、一人の人間として、横と横の対等な関係で結ばれるべきだと考えます。
会社の立場はただの職務の問題で、一人の人間として偉いわけではない。
俺は明確に、相手をひたすら詰問する人間を否定します。
そういう人はどこにでも必ずいるけれど、非常に未熟だと感じます。
40歳近くなって、その未熟さに気付かない人間は、不幸だとも言える。
しかし一方で、人間っていうのは考えて改善しようと努力しない限り、変わらないものでもあるんですよね。
偉そうに人を詰めまくってるオッサンを見つけて、自分はこうならないように気をつけようと、改めて決心することができました。
こういうのを見ても、前は何も考えることはなかったけれど、「嫌われる勇気」のような本を読むことで、自分の中でアンテナが立ちます。
それで、ふと「あ、これは本に書いてあったあの事かな」と振り返るきっかけになったりします。
そういう意味でも、「良いな」と思える本の内容を頭の片隅で、アンテナとして立てておくのはオススメです。
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