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究極の動物保護


2003,8,22

究極の動物保護

 あなたの近所の方でも、家族でも、親戚でもペットを非常に愛している方はいるはずである。また、非常に愛するあまり家族の食事は忘れてもペットのエサは忘れないという人もいるだろうし、他人の子供が川でおぼれても助けないが、自分のペットは助けるという人もいるだろう。もっと極端に、身内が亡くなっても悲しまないが、隣の犬が死んだら悲しむという人も少なからずいるに違いない....

 かつて、人間のこのような偏った慈愛を逆手にとって悪事を働いた集団があった。

 それはドイツのナチスである。

 あまり知られていないようだが、ナチスの教えのひとつに人間と動物の扱いの異常さがある。

 それは、人間と動物を分け隔てなく扱い、ただ能力や有用さといった極限られた面で階級立てるということである。つまり有能な犬は精神異常者やユダヤ人より格が上であると。

 このようなナチスの考え方は幹部に多くいて、例えばヒトラーは

「私は人が死んでも悲しまないが、動物が死んだら悲しむ。」

 と常々いっており、ヒムラーは

「私は人間を愛している。動物を愛するように。」

 と発言している。

 そして、このナチスの政策は「動物保護法」に集約された。

 この法律は、動物保護に関して凄まじいほどの内容が規定されている。つまり、動物に苦痛を与えてはいけないということに換言できるのだが、かなり曲解され自分のペットをしつけようとして痛みを与えても逮捕されるし、ミミズを解剖しようとしても内部告発されるといったものであった。

 一方、動物保護法には人間に関する条項もあり、動物とほぼ動揺の扱いとなっている。

ミミズを殺すと罪になるが、ユダヤ人を殺しても罪にならなかったのである。

 このような政策はなにもナチスの幹部だけの教条であるわけではない。当時のドイツ国民は熱狂的に支持したのである。インフレや失業で国民の不満の捌け口がそのような動物保護といったことに昇華したのであろう。それをナチスは悪用したわけである。

 今の日本でこのようなことは起こり得ないと言えるだろうか。昨今のニュース記事を見ると、人間と猫を分け隔てなくビルから落として殺すというような、人を人と思わないような事件が起きている。逆に動物の保護に関しては異常と思えるほどの盛り上がりぶりである。日本もかつてのドイツと同じように、国民の社会や経済への不満が高まっている。ドイツと違うのは単にインフレとデフレの違いと言えるのだろうか。

 あなたの周りをもう一度見てもらいたい。人間よりも動物の方が大事だと思っている人がいないかどうかを。